チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン

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Charles Thomson Rees Wilson
チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン
チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン(1927)
生誕せいたん (1869-02-14) 1869ねん2がつ14にち
イギリスの旗 イギリス スコットランド ミッドロージアン
死没しぼつ 1959ねん11月15にち(1959-11-15)(90さい
イギリスの旗 イギリス スコットランド エディンバラ
国籍こくせき イギリスの旗 イギリス
研究けんきゅう機関きかん キャベンディッシュ研究所けんきゅうじょなど
指導しどう教員きょういん ジョゼフ・ジョン・トムソン
博士はかせ課程かてい
指導しどう学生がくせい
セシル・パウエル
おも受賞じゅしょうれき ロイヤル・メダル(1922)
ノーベル物理ぶつりがくしょう(1927)
コプリ・メダル(1935)
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1927ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル物理ぶつりがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう蒸気じょうき凝縮ぎょうしゅくにより荷電かでん粒子りゅうし飛跡ひせき観察かんさつできるようにする方法ほうほうきりばこ)の研究けんきゅう

チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン(Charles Thomson Rees Wilson, CH FRS, 1869ねん2がつ14にち - 1959ねん11月15にち[1][2]は、スコットランド気象きしょう学者がくしゃ物理ぶつり学者がくしゃである[3]。C.T.R.ウィルソンともばれる。1911ねんきりばこ発明はつめいし、その功績こうせき1927ねんノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょうした。[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

イギリスの科学かがくしゃでC.T.R.ウィルソンともばれる。わかころくも興味きょうみち、1895ねんから人工じんこうてきくも発生はっせいさせる実験じっけんかさねて、水蒸気すいじょうき凝結ぎょうけつかくとして大気たいきちゅう自然しぜん発生はっせいするイオンの存在そんざいたしかめた。その実験じっけん装置そうちはイオンを可視かしする装置そうちとして改良かいりょうされCloud Chamber(きりばこ)と名付なづけられた。1911ねんX線えっくすせんα線あるふぁせんなどの放射線ほうしゃせん飛跡ひせき可視かしして写真しゃしん撮影さつえいすることに成功せいこうした。きりばこはそのおおくの研究けんきゅうしゃによって初期しょき原子げんし物理ぶつりがく研究けんきゅうとく宇宙うちゅうせん研究けんきゅうおおいに役立やくだてられ、その功績こうせき1927ねんノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょうした。[3]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

生誕せいたんからマンチェスター時代じだい[編集へんしゅう]

ウィルソンはスコットランドのエディンバラちかくのグレンコースぐんまれた[4]。ウィルソン代々だいだい農家のうかで、ちち牧羊ぼくよう業者ぎょうしゃはは製糸せいしぎょういとないえだしであった[3]。4さいときちちうしない、はははウィルソンをれてマンチェスターうつり、かれはそこで教育きょういくけた。大学だいがくはオーエン大学だいがく現在げんざいマンチェスター大学だいがくである[4]大学生だいがくせいのときは医者いしゃになるつもりで動物どうぶつがく専攻せんこうした[4]。しかし、ここで物理ぶつりがく教授きょうじゅのバルファー・スチュアート(1828-1887)[ちゅう 1]出会であい、物理ぶつりがく興味きょうみつようになった[3]

ケンブリッジ時代じだい[編集へんしゅう]

1888ねんのときに奨学生しょうがくせいとしてケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく転校てんこう[4]物理ぶつりがく化学かがく勉強べんきょうをして1891ねん卒業そつぎょうし、1年間ねんかん母校ぼこう助手じょしゅつとめたのち中学校ちゅうがっこう教師きょうしとなった[3]。1894ねんクラーク・マクスウェル研究所けんきゅうじょ奨学生しょうがくせいになり、3年間ねんかん研究けんきゅうつづけ、その1年間ねんかん気象きしょう協会きょうかい大気たいきちゅう電気でんき現象げんしょう研究けんきゅうをした[4]。この時代じだいのことをウィルソンは1927ねんのノーベルしょう講演こうえんで「1894ねんの9がつわたしはスコットランド最高峰さいこうほうのベン・ネヴィスサンチュの天文台てんもんだいすう週間しゅうかんごした。そのときくも日光にっこうたってできるうつくしい自然しぜん現象げんしょうしんたれ、おな自然しぜん現象げんしょう実験じっけんしつ再現さいげんしたいとおもった」とかたっている[5]

きりばこ発明はつめい[編集へんしゅう]

C.T.R.Wilsonが1912ねん撮影さつえいしたα線あるふぁせん飛跡ひせき[6]
C.T.R.Wilsonが1912ねん撮影さつえいしたX線えっくすせんによる飛跡ひせき[7]

ウィルソンの業績ぎょうせきもっと有名ゆうめいなのは1911ねん放射線ほうしゃせん飛跡ひせき撮影さつえい成功せいこうしたきりばこ発明はつめいであるが、その開発かいはつ研究けんきゅうおも部分ぶぶんは1895ねんから1900ねんあいだになされた[4]。ウィルソンのきりばこ利用りようしてノーベルしょう科学かがくしゃは、1927ねんコンプトン、1936ねんアンダーソン、1948ねんブラケットなどがいる[4]

キャベンディッシュ研究所けんきゅうじょ時代じだい[編集へんしゅう]

ウィルソンは1900ねんケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくのシドニー・サセックス・カレッジのフェローになり、同時どうじどう大学だいがく講師こうしとなった[4]。 1908ねん結婚けっこんし2なん2じょをもうけた[8]。1918ねんまでウィルソンはケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくキャベンディッシュ研究所けんきゅうじょ上級生じょうきゅうせいのための応用おうよう物理ぶつりがく講座こうざ責任せきにんしゃつとめ、光学こうがく講義こうぎもした[4]。1911ねんには世界せかいはじめてαあるふぁ粒子りゅうしβべーた粒子りゅうし飛跡ひせき写真しゃしんることに成功せいこうした。1913ねん太陽たいよう物理ぶつり観察かんさつしょのオブザーバーに任命にんめいされ、ここできりばこによるイオン化いおんか粒子りゅうし研究けんきゅうとカミナリ電気でんき研究けんきゅうつづけた。1918ねんにはケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく気象きしょう電気でんきがく講師こうしになり、1927ねんにコンプトンとともきりばこ発明はつめい業績ぎょうせきでノーベル物理ぶつりがくしょうけた[8]。ノーベルしょう以外いがいにも数々かずかずしょう受賞じゅしょうし、ロンドンのおうみとめ学会がっかい[ちゅう 2]ロイヤル・ソサエティ)の会員かいいんでもあった[8]。キャベンディッシュ研究所けんきゅうじょではウィルソンは大変たいへん用心深ようじんぶか研究けんきゅうしゃで、ゲーテのモットー「いそがずに、しかしやすまずに」にしたがって仕事しごとすすめていたという。かれ自分じぶんのガラス細工ざいくはすべて自分じぶんでやり、うつくしく設計せっけいした自分じぶん装置そうちをすべて自分じぶん見事みごとてた[15][ちゅう 3]

エディンバラでの晩年ばんねん[編集へんしゅう]

退職たいしょくにエディンバラにきょうつし、80さいとき生地きじちかいカーロップスむらうつったが、しゅうに1かいはバスでエディンバラにかけ、友人ゆうじん昼食ちゅうしょくともにするなど元気げんきごした[8]。1956ねん(87さい)のときに雷雲らいうん電気でんきについての論文ろんぶんを『プロシーディングス・オブ・ザ・ロイヤル・ソサエティ(ロンドン)』に掲載けいさいし、晩年ばんねんまで活発かっぱつ科学かがく研究けんきゅうつづけた[8]。1959ねん11月15にち家族かぞく見守みまもられて生涯しょうがいじた[8]

業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

大気たいきちゅうにできるきり研究けんきゅう[編集へんしゅう]

1895ねん当時とうじ実験じっけん装置そうち。Fを真空しんくうにしてからEにつなぐとAの空気くうききゅう膨張ぼうちょうしてAのなかきりができる。[16]

1895ねんにウィルソンはキャベディッシュ研究所けんきゅうじょジョゼフ・ジョン・トムソン(1856-1940)[ちゅう 4]助手じょしゅとなって、人工じんこうてきくも発生はっせいさせる研究けんきゅうはじめた[3]。1880-1890当時とうじ理論りろんではJ.エイトケン(1839-1919)らの研究けんきゅうによって空気くうきちゅうには無数むすうちり存在そんざいしていることが発見はっけんされ、そのちりかくとなって水蒸気すいじょうき凝結ぎょうけつしてきりちいさな水滴すいてき)になるが、ちりいときりはできないという「ちりせつ」が主流しゅりゅうであった[3][17]かれらは湿しめった空気くうき急激きゅうげき膨張ぼうちょうさせて断熱だんねつ膨張ぼうちょう温度おんど低下ていかきりつく実験じっけんおこなった[18]一方いっぽう、1890ねんごろからR.v.ヘルムホルツらによって、「水蒸気すいじょうき凝結ぎょうけつ原因げんいん気体きたいのイオンだ」という「イオンせつ」が登場とうじょうした[ちゅう 5]。ヘルムホルツらはこうあつ水蒸気すいじょうき噴射ふんしゃでは放電ほうでん水蒸気すいじょうき凝結ぎょうけつ影響えいきょうおよぼすことや、ろした空気くうきでも水滴すいてきしょうじることを発見はっけんし、ちり以外いがい原因げんいんでも凝結ぎょうけつこることをしめした[20]

しかしながら1890ねん当時とうじは「ちりせつ」が優勢ゆうせいであり、ちりせつをとる人々ひとびとはイオンせつ実験じっけん不備ふびひとひと指摘してきした[ちゅう 6]。イオンせつ人々ひとびとにはこれらの指摘してきにうまくこたえることができず、ちりせつとイオンせつ対立たいりつ未解決みかいけつであった[19]

ウィルソンはこうした状況じょうきょう決着けっちゃくをつけるために実験じっけん装置そうち考案こうあんした。それは「外部がいぶからはいんだすべての凝結ぎょうけつかくちり)を除去じょきょした空気くうきでもきりしょうじるか」をたしかめる膨張ぼうちょう装置そうちだった[19]。ウィルソンは空気くうき膨張ぼうちょうさせるガラス容器ようき水中すいちゅうしずめて、そとから容器ようきなかちりまないようにした。これは「ろした空気くうきでも微粒子びりゅうしのこるのではないか」という反論はんろんへの対策たいさくであった[19]水中すいちゅうにおいた容器ようきない空気くうきなん断熱だんねつ膨張ぼうちょうさせることによりきり発生はっせいさせ、容器ようきないちり水滴すいてきとともにしたとして除去じょきょしていった。この装置そうちによってウィルソンは「湿しめった空気くうき同一どういつ試料しりょうなんでもかえ膨張ぼうちょうさせる」ことができるようになった[21]。この装置そうち空気くうき膨張ぼうちょう比率ひりつ自由じゆうえることもできた。この装置そうちすうかいかえして膨張ぼうちょうさせてきりつくれば、空気くうきちゅう存在そんざいしていたちり完全かんぜん除去じょきょされるし、みずかこまれた空間くうかんそとからちりはい可能かのうせいもなかった。ウィルソンは完全かんぜん清浄せいじょう空気くうきることができるようになった[21]

ウィルソンは実験じっけん結果けっかなんきりつくらせてそのきり沈下ちんかするのをまって、エイトケンの凝結ぎょうけつかくすこしもいような湿しめった空気くうきなかでは、膨張ぼうちょう過飽和かほうわの4ばい臨界りんかいえなければどんなに膨張ぼうちょうさせても水滴すいてきはできないが、ひとたびこの臨界りんかい膨張ぼうちょうえると、水滴すいてきあめのようにる」ことを発見はっけんした。これによってちり以外いがい凝結ぎょうけつかく存在そんざいすることをはっきりとしめすことができた[21]

あめじょう凝結ぎょうけつかく追求ついきゅう[編集へんしゅう]

ウィルソンはちりがないときでも水滴すいてきかくになるものの正体しょうたい追求ついきゅうした。かれは1897ねん発表はっぴょうした論文ろんぶん[22]で、「膨張ぼうちょう上記じょうき限界げんかい臨界りんかい)をえたときに凝結ぎょうけつこすかく一定いってい時間じかん少数しょうすう存在そんざいしているにすぎないが、それがのぞかれるのとおなじぐらいはやく、同種どうしゅかくえられる[23]」ことを発見はっけんした。「ちりではないかく」はなんでも復活ふっかつし、「どれだけ頻繁ひんぱん空気くうき膨張ぼうちょうさせても、水滴すいてきすう減少げんしょう検知けんちできなかった[23]」と報告ほうこくしている。また、「あらゆる外来がいらいかくのない飽和ほうわ空気くうきにおいて凝結ぎょうけつこす断熱だんねつ膨張ぼうちょうたいして、我々われわれ最終さいしゅう容積ようせき初期しょき容積ようせきの1.252をえねばならないことがかった。[24]」としてる。

ウィルソンはくものできかたについて、「湿しめった空気くうき上昇じょうしょうりゅうがあるとき、外来がいらいかくがそれにともなって凝結ぎょうけつしてのぞかれていくこと、そのようにしてつくられたくもそううえ上昇じょうしょうするちりたない空気くうき過飽和かほうわになって凝結ぎょうけつはじまることは、ここでの実験じっけんみちびかれることである」とした[25]

ウィルソンはこのかくについての計算けいさんおこない、そのおおきさがせいぜい分子ぶんしのオーダーであることを指摘してきした[26]。つまりそのかくちりのようなマクロなものではないことをめた[26]

空気くうき帯電たいでんさせるもの[編集へんしゅう]

ウィルソンのであるトムソンは1895ねん以来いらい帯電たいでんした水滴すいてき成長せいちょうかんする理論りろんてき研究けんきゅうおこなっていて、帯電たいでんした水滴すいてき表面ひょうめんからの蒸発じょうはつり、帯電たいでんしていなければ蒸発じょうはつしてえてしまうはずの水滴すいてき成長せいちょうできることを、ウィルソンもっていた[26]。ウィルソンは1896ねん3がつちりふくまない空気くうきにXせん照射しょうしゃ[ちゅう 7]、それを膨張ぼうちょうさせるときりしょうじるのをいだした[26]。1896ねんにウィルソンののトムソンと同僚どうりょうラザフォードX線えっくすせんてた気体きたいにはイオンがしょうじていることを発見はっけんした[27]。ウィルソンもちりでない凝結ぎょうけつかく大気たいきちゅうのイオンであるとかんがえた[26]。しかしウィルソンにとってなぞとなったのは「どうして大気たいきイオンはなんでも再生さいせいするのか」という問題もんだいであった[26]

復活ふっかつする大気たいきイオンのなぞ[編集へんしゅう]

ウィルソンは1901ねんに「空気くうきイオン化いおんかする原因げんいんがもしそらからってくるなら、トンネルの岩盤がんばん吸収きゅうしゅうされるだろう」と予想よそうして、携帯けいたいできるけん電器でんきつくってトンネルのなかそと空気くうきちゅう静電気せいでんきりょうはかったが、大気たいきイオンの発生はっせいりつられなかった。ウィルソンは「空気くうきちゅう再生さいせいするイオンは、空気くうき自体じたい性質せいしつというほかない」とした[28]。そのなぞけないままウィルソンは1904ねんきり実験じっけんえた[29][ちゅう 8]。ウィルソンはその論文ろんぶんなか自身じしん実験じっけん装置そうちCloud Chamberんでいる[32]

膨張ぼうちょう装置そうちからきりばこ[編集へんしゅう]

ウィルソンが1911ねん完成かんせいさせたきりばこ
ウィルソンのきりばこ。1912ねん論文ろんぶん。Cを真空しんくうにしてからBをつなぐと、Dの周囲しゅういきゅう減圧げんあつし、シリンダーががりAの空気くうききゅう膨張ぼうちょうする。Aのうえにカメラをセットして,膨張ぼうちょう同時どうじにフラッシュをひからせて撮影さつえいする。Aない放射ほうしゃせい原子げんしをセットすれば,放射線ほうしゃせん飛跡ひせきうつる。[33]

ウィルソンは1910ねんから「イオンを可視かしする研究けんきゅう」をはじめた。ウィルソンは水蒸気すいじょうき凝結ぎょうけつ使つかえば、空気くうきちゅうのイオンを水滴すいてきとしてえるようにでき、イオンをかぞえることができるとかんがえたのである[34]。ウィルソンは膨張ぼうちょう装置そうち水滴すいてき写真しゃしんれるように実験じっけん装置そうち改良かいりょうおこなった。目的もくてきは「イオン電荷でんか直接ちょくせつ測定そくていする」ことだった[29][ちゅう 9]

その当時とうじすでに放射線ほうしゃせん研究けんきゅうすすんでおり、α線あるふぁせんβ線べーたせんぶと、空気くうきちゅうにイオンでができることがられていた。ウィルソンは「α線あるふぁせんβ線べーたせん電離でんり作用さようによってできる空気くうきちゅうのイオンにみず凝縮ぎょうしゅくさせて可視かしさせる可能かのうせい写真しゃしん可能かのうせい」を追求ついきゅうした[29]。1911ねん装置そうち改良かいりょうおこない、膨張ぼうちょう装置そうちなかラジウムをつけたほそはりれて、はじめてα線あるふぁせんほど沿ってきりうつくしい効果こうか観察かんさつされた。いとのようにほそβ線べーたせん飛跡ひせきることに成功せいこうした。ウィルソンはその結果けっかを1911ねん4がつおうみとめ学会がっかい投稿とうこうした[35]。1911ねんなつ装置そうち改良かいりょうし1911ねんふゆにも撮影さつえい成功せいこうし、1912ねん6がつ論文ろんぶんとしておうみとめ学会がっかい投稿とうこうした[35]。この論文ろんぶんなかでもウィルソンは実験じっけん装置そうちのことをcloud chamberとんでいる[36]。1912ねんから1913ねんふゆにかけてX線えっくすせん効果こうかるために撮影さつえいおこなった[37]。その写真しゃしんコンプトン散乱さんらん可視かししたものとなった[38]。ウィルソンはその功績こうせきみとめられ、アーサー・コンプトン同時どうじに1927ねんにノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょうした[39]

雷雲らいうん研究けんきゅう[編集へんしゅう]

ウィルソンは1916ねん論文ろんぶん雷雲らいうん電気でんきりょう雷雲らいうん正負せいふ電荷でんか分布ぶんぷあきらかにした[40]当時とうじはロンドン気象台きしょうだいちょうのシンプソン[ちゅう 10]せつ有力ゆうりょくされていた[41]。シンプソンはかみなり電光でんこう写真しゃしん分析ぶんせきから、雷光らいこう枝分えだわかれはほとんどがくもから地面じめん方向ほうこうかっていることをあきらかにした。シンプソンは空気くうきちゅう火花ひばな実験じっけんから、電場でんじょうのあるなか運動うんどうするイオンは衝突しょうとつ過程かてい正負せいふかれ、おな電場でんじょうちゅうではかげイオンはせいイオンよりもくらべものにならないぐらいはやうごくとかんがえた。シンプソンはこの結果けっか雷雲らいうん下部かぶまさ帯電たいでんし、そのした地面じめんでは電荷でんか誘導ゆうどうされているというせつとなえた[42]

ウィルソンは雷雲らいうん電荷でんかによって地面じめん誘導ゆうどうされる電気でんきりょう変化へんか測定そくていする実験じっけん装置そうちつく[43]、その装置そうちをケンブリッジの郊外こうがいてたちいさな小屋こや設置せっちして[44]雷雲らいうんるごとに雷雲らいうん通過つうか地面じめん電荷でんかがどのように変化へんかするかを観測かんそくした[45]。その結果けっか雷雲らいうん上部じょうぶせい下部かぶまけ帯電たいでんした双極そうきょくであることを確認かくにんした。これは雷雲らいうん下部かぶまさ帯電たいでんしているとするシンプソンの理論りろんとはせい反対はんたい結果けっかであった[46]。またウィルソンは雷雲らいうんない電気でんきりょうはだいたい30クーロンであると推定すいていした[46]。シンプソンはそのすうねん沈黙ちんもくしていたが、あらたな観測かんそく結果けっかをもとに雷雲らいうんないのさらにくわしい電気でんき分布ぶんぷあきらかにし、おおむねウィルソンのただしいことと、部分ぶぶんてきにはシンプソンのかんがえもつことをしめした[47]

かみなり危険きけんせい研究けんきゅう[編集へんしゅう]

ウィルソンは1919ねん論文ろんぶん気球ききゅうかみなりたいする危険きけんせいについて報告ほうこくした。当時とうじ飛行機ひこうき飛行船ひこうせんかみなり危険きけんせいがあるとおもわれていた。ウィルソンは繋留けいりゅう気球ききゅうかみなりたいして危険きけんであるが、飛行船ひこうせん飛行機ひこうきおもったよりかみなり危険きけんせいいことをあきらかにした[48]飛行船ひこうせん飛行機ひこうき大地だいちとの連絡れんらくいため、船体せんたい機体きたい雷雲らいうん電圧でんあつとだいたいおなじになって危険きけんせいすくない[49]繋留けいりゅう気球ききゅう地面じめんとつながっているため気球ききゅう電位でんい大地だいちおなじになる。そのため大地だいち雷雲らいうんあいだ電圧でんあつ直接ちょくせつ気球ききゅうにかかり、気球ききゅうから放電ほうでんこって気球ききゅう表面ひょうめんいためる。それがやがて水素すいそ爆発ばくはつ事故じこにつながる。ウィルソンは放電ほうでん気球ききゅう頭部とうぶからこることをあきらかにし、気球ききゅう全体ぜんたい金属きんぞくベルトをけてそれらを頭部とうぶにつなげ、そのさき避雷針ひらいしんとなる尖端せんたんけておくと、放電ほうでんはすべてこの尖端せんたんからしょうじるので、気球ききゅう本体ほんたいかみなり放電ほうでんからまもれることを発見はっけんした。さらに、気球ききゅうけたゴンドラからも金属きんぞくせんばして気球ききゅう尖端せんたんにつないでおけば、ひとるゴンドラもかみなりからまもられることをあきらかにした[48]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

ノーベル財団ざいだんはウィルソンの受賞じゅしょう理由りゆうなかで、「このすうねん、ウィルソンの方法ほうほうによってあたらしく科学かがくてききわめて重要じゅうよう結果けっか達成たっせいされましたが、それは方法ほうほうではられなかったでしょう。この結果けっかによって、ウィルソンの発見はっけんがかなり以前いぜんになされたにもかかわらず、ノーベルしょう受賞じゅしょう要件ようけんたしているのです。(りゃく)あなたがたくみな膨張ぼうちょうほう発見はっけんしてからなが年月としつきがたちましたけれども、あなたの発見はっけん価値かちは、あなた自身じしん熱心ねっしん研究けんきゅうと、ひとびとによってられた結果けっかとによって、きわめてたかめられました。」と功績こうせきとなえている[50]。ウィルソンきりばこ使つかって宇宙うちゅうせん研究けんきゅうおこなってノーベル物理ぶつりがくしょう受賞じゅしょうしたパトリック・ブラケットは、1960ねんに「C.T.R.ウィルソンがったこれらの初期しょき放射線ほうしゃせん飛跡ひせき写真しゃしんは、今日きょうでもなお、このたね写真しゃしんのなかでは技術ぎじゅつにおいて最優秀さいゆうしゅうぞくする」とべている[51]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

おも論文ろんぶん[編集へんしゅう]

[30]

  • On the formation of a cloud in the absence of dust. Proc.Camb.Phill.Soc.8,306.(1895)
  • The effect of Röntgen's rays on cloudy condensation. Rroc.Roy.Soc.59,338.(1896)
  • Condensation of Water Vapour in the Presence of Dust-free Air and Other Gases. Transactions of the Royal Society, London (1897)
  • On the Comparative Efficiency as Condensation Nuclei of positively and negatively charged Ions. Proceedings of the Royal Society of London, (1899).
  • On the Condensation Nuclei Produced in Gases by the Action of Rontgen Rays. Harrison and Sons (1899)
  • On the Comparative Efficiency as Condensation Nuclei of Positively and Negatively Charged Ions. Harrison and Sons, for the Royal Society, London (1900)
  • On the Ionisation of Atmospheric Air. Proceedings of the Royal Society of London, 1901, Vol 68. (1901)
  • On the Spontaneous Ionisation of Gases. Proceedings of the Royal Society of London, 1901, Vol 69. (1901)
  • On radio-active rain. Proc.Comb.Phil.Soc.11,428.(1902)
  • Further experiments on radio-activity from rain. Proc.Camb.Phil.Soc.12,12.(1902)
  • On a sensitive gold-leaf electrometer. Proc.Camb.Phil.Soc.12,135.(1903)
  • On radio-activity from snow. Proc.Camb.Phil.Soc12,85.(1903)
  • CONDENSATION NUCLEI. Internat. Electrical Congress of St.Louis,U.S.A. (1904)
  • On a method of making visible the paths of ionising particles through a gas. Proc.Roy.Soc.A,85,285.(1911)
  • On an Expansion Apparatus for Making Visible the Tracks of Ionising Particles in Gases and Some Results Obtained By Its Use. Proceedings of the Royal Society, London (1912)
  • Photography of the Paths of Particles Ejected from Atoms in The Royal Institution of Great Britain. Clowes and Sons, London (1913)
  • On Some Determinations of the Sign and Magnitude of Electric Discharges in Lightning Flashes. Proceedings of the Royal Society of London, London (1916)
  • Memorandam on the protection of balloons from disruptive discharge. Advisory Committee on Aeronautics.(1919)
  • Investigations on lighting discharges. Phil.Trans.A,221,104.(1921)
  • Investigation on X-Rays and βべーた-Rays by the Cloud Method.Prat I:X-rays. Proc.Roy.Soc.A,104,1.(1923)
  • Investigation on X-Rays and βべーた-Rays by the Cloud Method.Prat II:βべーた-rays. Proc.Roy.Soc.A,104,192.(1923)
  • The acceleration of βべーた-particles in strong electric fields such as those of thunderclouds. Proc.Camb.Phil.Soc.22,534.(1925)
  • Some thunderstorm ploblems. F.Franklin Inst.209,1.(1929)
  • On a new type of expansion apparatus. Proc.Roy.Soc.A,142,88.(1933)
  • A theory of thundercloud electricity. Proc.Roy.Soc.A,236,297.(1956)

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ スチュアートはのちにキャベンディッシュ研究所けんきゅうじょでウィルソンの先生せんせいとなったジョゼフ・ジョン・トムソン先生せんせいでもあった[3]
  2. ^ 「Royal Societyは通常つうじょう王立おうりつ学会がっかい」とか「王立おうりつ協会きょうかい」と邦訳ほうやくされるが、はじまりはアマチュア科学かがくしゃ団体だんたいとして自主じしゅてき設立せつりつされ、そのメンバーたちが「特権とっけんった法人ほうじん組織そしきCorporationとしての認可にんか国王こくおう請願せいがんしよう」ということになり、その結果けっか1672ねん7がつ国王こくおうチャールス2せいからみことのりみとめじょうCharterを命名めいめいした団体だんたいである[9]。この団体だんたい国王こくおう設立せつりつしたものでもなく、国家こっか設立せつりつしたものでもないので「おうみとめ」とやくすべきである」と科学かがく史家しか中村なかむら邦光くにみつべている[9]同様どうよう主張しゅちょう科学かがく史家しか科学かがく教育きょういく研究けんきゅうしゃ板倉いたくらきよしせんはやくからとなえている[10][11]科学かがく史家しか科学かがく教育きょういく研究けんきゅうしゃ永田ながた英治えいじ同様どうように「くにから資金しきんをもらわないのでこのほんでは「おうみとめ学会がっかい」とします。」[12]としているし、自身じしん論文ろんぶんでもおうみとめ学会がっかい訳語やくごもちいている[13]科学かがく史家しか科学かがく教育きょういく研究けんきゅうしゃ松野まつのおさむもその論文ろんぶんおうみとめ学会がっかいとしてる[14]
  3. ^ ウィルソンの仕事しごとぶりについては、当時とうじかれ同僚どうりょうであったアーネスト・ラザフォードが1925ねんのニュージーランド訪問ほうもんからかえったときにったつぎ言葉ことばのこっている。「しかしたのしいことはすべてわって、われわれは故国ここく、そしてケンブリッジにかえってきた。数ヶ月すうかげつあいだ留守るすにしたのち、わたしはまず最初さいしょ旧友きゅうゆうのC.T.R.のところへってみた。すると、かれはまだ相変あいかわらずおおきなガラスのみがいていた」[15]
  4. ^ J.J.トムソンともばれている。電子でんし発見はっけんしゃで1906ねんにノーベル物理ぶつりがくしょうけている[3]
  5. ^ 1890ねんごろにはアレニウスらの研究けんきゅうによって、原子げんし電離でんりによるイオンが発見はっけんされ、ヘルムホルツらはそれをけついでいた[19]
  6. ^ たとえば綿めんちりをろした実験じっけんでは、綿めんとおけるぐらいちいさなちり粒子りゅうし残存ざんそんしているいためきりができるのではないか。蒸気じょうき噴射ふんしゃ場合ばあいはノズルから分離ぶんりした金属きんぞく微粒子びりゅうし混入こんにゅうした可能かのうせいはないのかなどである。[19]
  7. ^ すでに1895ねん12月にドイツの物理ぶつり学者がくしゃレントゲンがX線えっくすせん発見はっけんしており、1896ねん1がつにはヨーロッパちゅうわたっていた。(ヴィルヘルム・レントゲン記事きじ参照さんしょうのこと)
  8. ^ ウィルソンの1902ねん~1903ねん論文ろんぶんタイトルをると[30]、ウィルソンは空気くうきちゅうのイオンの発生はっせいげんとして,あめゆきはこ大気たいきちゅう放射ほうしゃせい原子げんし想定そうていしていたことがうかがわれる。このなぞヴィクトール・フランツ・ヘスが1912ねん宇宙うちゅうせん発見はっけんするまで解決かいけつしなかった。宇宙うちゅうせん岩盤がんばんつらぬくほどの透過とうかりょくって地上ちじょうとどいている放射線ほうしゃせんで、えず空気くうきイオン化いおんかしている。ウィルソンの装置そうちなか空気くうきえず宇宙うちゅうせんイオン化いおんかしていたのである[31]
  9. ^ この実験じっけん当時とうじ課題かだいであった「電子でんし電荷でんかはかる」ことを目的もくてきとしたものだったが、アメリカのミリカンあぶらしずく電荷でんか測定そくてい実験じっけん電気でんきもとりょうもとめたため,さきをこされてしまい、むすぶことはなかった。(ロバート・ミリカン記事きじ参照さんしょうのこと。)
  10. ^ ジョージ・クラーク シンプソン(George Clark Simpson:1878.9.2 - 1965.1.1)。英国えいこく気象きしょう学者がくしゃ

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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参考さんこう文献ぶんけん [編集へんしゅう]

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  • 關戸せきと彌太郎やたろう宇宙うちゅうせん河出かわで書房しょぼう、1944ねん 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:46015408
  • もりいずみ「人物じんぶつ科学かがく「ウィルソンのきりばこ」を発明はつめいし、原子げんし物理ぶつりがく発展はってん貢献こうけんしたーチャールズ・ウィルソン」『Newton 2003ねん9がつごうだい23かんだい9ごう、ニュートンプレス、2003ねん、122-127ぺーじ 
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  • Royal Society (1960). “CHARLES THOMSON RESS WILSON 1896-1956”. Biograhical Memoirs of Fellows of the Royal Society 6: 269-295. 
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  • 永田ながた英治えいじランフォードちょねつかんする著者ちょしゃしょ実験じっけんについての歴史れきしてき回顧かいこ」,解説かいせつとその抄訳しょうやく」『教育きょういく科学かがく研究けんきゅうだい2かん東京都立大学とうきょうとりつだいがく教育きょういくがく研究けんきゅうしつ、1983ねん、146-161ぺーじ 
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  • ロバートブック ちょ板倉いたくらきよしせん永田ながた英治えいじ やく『ミクログラフィア 微小びしょう世界せかい図説ずせつ仮説かせつしゃ、1984ねん (図版ずはんしゅう全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20845258)
  • 中谷なかたに宇吉郎うきちろうかみなり岩波書店いわなみしょてん、1939ねん 
  • C.T.R.Wilson (1916). “On some determinations of the sign and magnitude of electric discharges in lightning flashes”. Proceedings of the Royal Society of London. Series A, Containing Papers of a Mathematical and Physical Character (The Royal Society) 92 (644): 555-574. https://royalsocietypublishing.org/doi/epdf/10.1098/rspa.1916.0040. 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]