ツェーフェン または ツェーヴェン (ドイツ語 ご : Zeven 発音 はつおん ) は、ドイツ連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく ニーダーザクセン州 しゅう のローテンブルク(ヴュンメ)郡 ぐん に属 ぞく す小 しょう 都市 とし で、エルスドルフ 、ギフム 、ヘースリンゲン とともに形成 けいせい するザムトゲマインデ・ツェーフェン の本部 ほんぶ 所在地 しょざいち である。
この街 まち は、ブレーマーハーフェン 、ブレーメン 、ハンブルク の大都市 だいとし トライアングルの中央 ちゅうおう に位置 いち する。ツェーフェン市内 しない をメーデ=アウエ川 がわ が流 なが れている。この川 かわ は市 し の約 やく 2km北 きた でオステ川 がわ に注 そそ ぐ。中核 ちゅうかく 市区 しく の他 ほか 、周辺 しゅうへん のアスペ、バーデンシュテット、バーデミューレン、ブラウエル、ブリュッテンドルフ、オルデンドルフ、ヴィシュテットがこの都市 とし に属 ぞく している。
聖 せい ヴィーティ教会 きょうかい と修道院 しゅうどういん の建物 たてもの
ツェーフェンは近隣 きんりん のヘースリンゲン 修道院 しゅうどういん の最 もっと も古 ふる い記録 きろく 簿 ぼ に「kivinan à Heeslingen」として記録 きろく されているのが初出 しょしゅつ である。この修道院 しゅうどういん は1141年 ねん にはツェーフェンに移転 いてん して来 き た。その後 ご 、このツェーフェン修道院 しゅうどういん は集落 しゅうらく にとって重要 じゅうよう な役割 やくわり を演 えん じた。ツェーフェンは2つのできごとで歴史 れきし 上 じょう 知 し られている。1つは1694年 ねん 5月のブレーメン 市 し とスウェーデン との代表 だいひょう 者 しゃ 会談 かいだん で、ブレーメン市 し およびブレーメン司教 しきょう 区 く の置 お かれた状況 じょうきょう について話 はな し合 あ われた。もう1つは七 なな 年 ねん 戦争 せんそう 中 なか の1757年 ねん 9月にハノーファー 軍 ぐん とフランス 軍 ぐん の司令 しれい 官 かん が合意 ごうい した停戦 ていせん のためのツェーフェン協定 きょうてい である。ただしこの協定 きょうてい はイギリス国王 こくおう が受諾 じゅだく を拒否 きょひ したため成立 せいりつ はしなかった。
市内 しない に現存 げんそん する最古 さいこ の世俗 せぞく 建築 けんちく であるクリスティーネンハウス
ウィーン会議 かいぎ 後 ご 、ツェーフェンはハノーファー王国 おうこく に属 ぞく した。ハノーファー王 おう の命令 めいれい により王国 おうこく の測量 そくりょう を行 おこな っていたカール・フリードリヒ・ガウス は、1824年 ねん から1825年 ねん にかけてツェーフェンを訪 おとず れた。彼 かれ は聖 せい ヴィーティ教会 きょうかい の教会 きょうかい 塔 とう から測量 そくりょう を行 おこな った。1866年 ねん からツェーフェンはプロイセン王国 おうこく のハノーファー州 しゅう の所属 しょぞく となった。この街 まち は地方 ちほう 役場 やくば の所在地 しょざいち の地位 ちい を保持 ほじ した。1885年 ねん からはツェーフェンにプロイセン王 おう の地方 ちほう 評議 ひょうぎ 会 かい が置 お かれた。
当時 とうじ の人口 じんこう は、100年 ねん ほどの間 あいだ 常 つね に1,200人 にん 前後 ぜんこう の一定 いってい の値 ね を保持 ほじ していた。コレラ の流行 りゅうこう やアメリカ への移民 いみん などで、人口 じんこう は増加 ぞうか しなかったのである。20世紀 せいき 初 はじ めになると人口 じんこう は増加 ぞうか した。1906年 ねん にツェーフェンからローテンブルク (ヴュンメ) への鉄道 てつどう が開通 かいつう し、オイルランプの街灯 がいとう が灯 とも った。1929年 ねん にツェーフェンの市政 しせい への移行 いこう が認可 にんか された。ツェーフェン郡 ぐん は1932年 ねん に早 はや くも廃止 はいし され、ブレーマーフェルデ とともに、新 あたら しいブレーマーフェルデ郡 ぐん に統合 とうごう された。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ のツェーフェンの人口 じんこう は3,233人 にん であった。戦後 せんご になると人口 じんこう は、難民 なんみん の流入 りゅうにゅう などにより、ほぼ倍増 ばいぞう した。この街 まち にはイギリス軍 ぐん が駐留 ちゅうりゅう することとなり、その居住 きょじゅう 地 ち も必要 ひつよう であったため深刻 しんこく な住宅 じゅうたく 不足 ふそく の状態 じょうたい に陥 おちい った。このため市域 しいき はこの戦後 せんご の時期 じき に拡大 かくだい していった。戦後 せんご ツェーフェンは重要 じゅうよう な地方 ちほう 工業 こうぎょう 都市 とし にもなった。市 し の南部 なんぶ のツェーフェン=アスペ工業 こうぎょう 地区 ちく には全国 ぜんこく 的 てき に知 し られる工業 こうぎょう 系 けい 企業 きぎょう が多 おお く拠点 きょてん を構 かま えた。さらに市 し の北側 きたがわ にも工業 こうぎょう 地区 ちく (ノルト=ヴェスト・リング)が整備 せいび された。
1965年 ねん にザムトゲマインデ・ツェーフェン が成立 せいりつ した。1977年 ねん にブレーマーフェルデ郡 ぐん が廃止 はいし され、この街 まち はローテンブルク(ヴュンメ)郡 ぐん に属 ぞく すこととなった。2001年 ねん から2002年 ねん に中核 ちゅうかく 市部 しぶ が新 あら たに造 つく られた。それまで交通 こうつう 量 りょう の多 おお い通 とお り抜 ぬ け道路 どうろ であったランゲ通 どお りは歩行 ほこう 者 しゃ 専用 せんよう 道 どう となり、交通 こうつう 機関 きかん はバイパス道路 どうろ を通 とお るよう改造 かいぞう がなされたのである。
1963年 ねん から隣接 りんせつ するゼードルフ (ローテンブルク郡 ぐん ) にオランダ 軍兵 ぐんびょう 舎 しゃ が設 もう けられていた。そのオランダ人 じん 家族 かぞく はほぼ全員 ぜんいん がツェーフェンに住 す んでいた。このため、この街 まち にはオランダ人 じん 向 む けの学校 がっこう や事務所 じむしょ (ホラントハウス)があった。2006年 ねん にオランダのNATO 軍 ぐん はゼードルフから撤退 てったい し、家族 かぞく の大 だい 部分 ぶぶん はオランダに帰 かえ っていった。この兵舎 へいしゃ はそれ以後 いご ドイツ連邦 れんぽう 軍 ぐん が使用 しよう している。
ヴィトゥスの泉 いずみ
ツェーフェン修道院 しゅうどういん 博物館 はくぶつかん
クリスティーネン・ハウス: 「クリスティーネン」はスウェーデン女王 じょおう クリスティーナ を指 さ す。
聖 せい ヴィーティ教会 きょうかい
消防 しょうぼう 博物館 はくぶつかん
ヴィトゥスの泉 いずみ
ガウスの部屋 へや
クリスティーネン・ハウス前 まえ に建 た つスウェーデン女王 じょおう クリスティーナの像 ぞう
馬匹 ばひつ 生産 せいさん の伝統 でんとう を伝 つた える馬 うま 商人 しょうにん の泉 いずみ
歩行 ほこう 者 しゃ 専用 せんよう 区域 くいき にあるマルティナ・ベンツ作 さく 「Welle」(波 なみ )
2007年 ねん から毎年 まいとし 10月 がつ に「ツェーフェン大賞 たいしょう 」が開催 かいさい されている。この競技 きょうぎ 大会 たいかい は、ハーフマラソン、10km走 はし 、2008年 ねん から新設 しんせつ された5km走 はし が行 おこな われる。次世代 じせだい 競技 きょうぎ 者 しゃ 育成 いくせい のための子供 こども レースもある。スタートとゴールはツェーフェンの歩行 ほこう 者 しゃ 専用 せんよう 区域 くいき に設 もう けられる。また、ツェーフェン乗馬 じょうば クラブやLAVツェーフェンがスポーツの機会 きかい を提供 ていきょう している。
MAPA: 日用 にちよう 衛生 えいせい 用品 ようひん 、ベビー用品 ようひん 。
Nordmilch: 乳製品 にゅうせいひん 製造 せいぞう 。Milramの商品 しょうひん 名 めい でドイツ全土 ぜんど で知 し られている。
Lisega AG: パイプ・配管 はいかん 製造 せいぞう 。
SANOVO Eiprodukte GmbH & Co.: 卵 たまご およびその加工 かこう 製品 せいひん 。
Premium Fleisch AG: 食肉 しょくにく 製品 せいひん 。
ツェーフェン国民 こくみん 銀行 ぎんこう
ローテンブルク=ブレーマーフェルデ貯蓄 ちょちく 銀行 ぎんこう
連邦 れんぽう 道 どう B71号線 ごうせん が、この都市 とし を南北 なんぼく に貫 つらぬ いている。
ツェーフェンは、エルベ=ヴェーザー鉄道 てつどう ・交通 こうつう 会社 かいしゃ によって運営 うんえい されている貨物 かもつ 路線 ろせん ローテンブルク (ヴュンメ) - ツェーフェン - ブレーマーフェルデ線 せん (かつてのブレーマーフェルデ - ヴァルスローデ 線 せん )およびツェーフェン - ヘースリンゲン - ジッテンゼン - トーシュテット 線 せん に面 めん している。かつて後者 こうしゃ につながっていたツェーフェンからヴィルシュテット までの区間 くかん については廃止 はいし されている。この街 まち にはローテンブルク (ヴュンメ) - ツェーフェン - ブレーマーフェルデ貨物 かもつ 線 せん のツェーフェン(ハン)貨物 かもつ 駅 えき の他 ほか 、ツェーフェン - ヘースリンゲン - ジッテンゼン - トーシュテット線 せん のツェーフェン南 みなみ 駅 えき とツェーフェン北 きた 駅 えき がある。ツェーフェン南 みなみ 駅 えき とツェーフェン(ハン)駅 えき すぐ隣 とな り合 あ っており、軌道 きどう がつながっている。
また、ツェーフェンはハンブルク - ブレーメン自転車 じてんしゃ 道 どう にも面 めん している。
聖 せい ヴィーティ・ギムナジウム
カール・フリードリヒ・ガウス実科 じっか 学校 がっこう
カール・フリードリヒ・ガウス本 ほん 課程 かてい 学校 がっこう
基礎 きそ 課程 かてい 学校 がっこう 2校 こう
職業 しょくぎょう 訓練 くんれん センター Kivinan
ツェーフェンおよびその周辺 しゅうへん 向 む けの地方 ちほう 日刊 にっかん 紙 し には ツェーフェナー・ツァイトゥングがある。
旧 きゅう Deccaナビゲーションシステム の通信 つうしん アンテナ。現在 げんざい はディファレンシャルGPS (DGPS)局 きょく として用 もち いられている。
高 たか さ100mのモバイル通信 つうしん 用 よう アンテナ
ツェーフェンには、病院 びょういん グループ Sana Kliniken AG のオステメト・マルティン・ルター病院 びょういん がある。
Stadt Zeven (Hrsg.): Zeven - Kloster · Flecken · Stadt. Verlag J. F. Zeller, Zeven 1980
Georg Meyer: Zeven und sein Benedictiner-Nonnenkloster St. Viti. Verlag J. F. Zeller, Zeven 1976
これらの文献 ぶんけん は、翻訳 ほんやく 元 もと であるドイツ語 ご 版 ばん の参考 さんこう 文献 ぶんけん として挙 あ げられていたものであり、日本語 にほんご 版 ばん 作成 さくせい に際 さい し直接 ちょくせつ 参照 さんしょう してはおりません。
ウィキメディア・コモンズには、
ツェーフェン に
関連 かんれん するカテゴリがあります。