(Translated by https://www.hiragana.jp/)
テトス - Wikipedia コンテンツにスキップ

テトス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
せいテトス
テトスのイコン
崇敬すうけいする教派きょうは カトリック教会きょうかい
正教会せいきょうかい
東方とうほう典礼てんれいカトリック教会きょうかい
ルーテル教会きょうかい
せい公会こうかい
記念きねん 1がつ26にち西方せいほう教会きょうかい
8がつ25にち東方とうほう教会きょうかい
テンプレートを表示ひょうじ

テトスなま没年ぼつねんしょう)は、新約しんやく聖書せいしょ登場とうじょうするパウロ弟子でし協力きょうりょくしゃであったギリシャじんティトスギリシャ: Τίτος, ラテン文字もじ転写てんしゃ: Titos)、ティトゥスラテン語らてんご: Titus)、ティトとも。伝統でんとうてき教会きょうかいでは聖人せいじん正教会せいきょうかいではななじゅう門徒もんとのひとりにかぞえられる。

使徒しとぎょうでん』にはその名前なまえないが、『ガラテヤの信徒しんとへの手紙てがみ』ではパウロやバルナバともエルサレムでの使徒しと会議かいぎ参加さんかしたという記述きじゅつがある[1]。パウロはギリシアじんであるテトスが割礼かつれいけずにキリスト教徒きりすときょうととしてれられたことを強調きょうちょうしており、テトスの両親りょうしんはともに異邦いほうじんユダヤじん)であった可能かのうせいたかい。

パウロはテトスをたか評価ひょうかしており、「仲間なかま」「協力きょうりょくしゃ」とび、その熱心ねっしんさを賞賛しょうさんしている[2]。『コリントじんへのだい手紙てがみ』ではテトスはエルサレム教会きょうかいのための募金ぼきんコリントおこな[3]、またパウロの手紙てがみをコリントへとどけるために派遣はけんされている[4]

テモテへのだい手紙てがみ』では、テトスはダルマティアに滞在たいざいしている[5]

聖書せいしょにはかれについての記事きじはない。伝承でんしょうによればテトスはパウロによってクレタとう主教しゅきょう司教しきょう)ににんじられ、1世紀せいきはじめにクレタとう生涯しょうがいえたという。かれかんした『テトスへの手紙てがみ』はパウロがクレタとうのテトスにあてた手紙てがみである。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ ガラテヤ2:1
  2. ^ 2コリ8:23
  3. ^ 2コリ8:6
  4. ^ 2コリ8:18
  5. ^ 『テモテへのだい手紙てがみ』4:10