ディルハム

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ウマイヤあさのディルハム貨

ディルハムdirham、アラビア文字もじ:درهم)は、モロッコアラブ首長しゅちょうこく連邦れんぽう (UAE) で使用しようされている通貨つうか単位たんいDH

ディナールリアル補助ほじょ通貨つうか単位たんいとしても使用しようされている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ディルハムというアラビアは、サーサーンあさペルシア鋳造ちゅうぞうされたディレム銀貨ぎんか由来ゆらいし、最終さいしゅうてきにはアレキサンダー大王だいおう東征とうせいによってひろまったギリシア通貨つうかドラクマ起源きげんである。

7世紀せいき成立せいりつしたイスラームきょうは、どう世紀せいきイランシリアエジプトなどを征服せいふくするが、きゅうサーサーンあさ地域ちいきでは従来じゅうらいのサーサーンあさのディレム銀貨ぎんかきゅうひがしマ帝国まていこくりょう(シリアやエジプトなど)では従来じゅうらいノミスマ金貨きんかもちいられていた。このうち、きゅうサーサーンあさ地域ちいき流通りゅうつうしていた銀貨ぎんかをディルハム銀貨ぎんかしょうする。

693ねんにはウマイヤあさカリフ・アブドゥルマリクのもとで、イスラーム国家こっかとしての独自どくじせいをもったディルハム銀貨ぎんかディナール金貨きんかこくされ、8世紀せいきなかばに成立せいりつしたアッバースあさでは、その領土りょうど各地かくち銀貨ぎんか金貨きんか併用へいようされるようになった。

また、ぎんおも産地さんちマー・ワラー・アンナフル、アフガニスタン、東部とうぶペルシャであった。10世紀せいきから11世紀せいきにかけて豊富ほうふぎん産地さんち支配しはいいたサーマーンあさたいガズナあさ交易こうえきにより大量たいりょうぎんがインドに流出りゅうしゅつしたため、イスラーム世界せかいではぎん不足ふそくして悪質あくしつなディルハム銀貨ぎんか出回でまわったものの、12世紀せいきから13世紀せいきには中央ちゅうおうアジアからぎん供給きょうきゅうされ、ディルハム銀貨ぎんかがディナール金貨きんかわる主要しゅよう通貨つうかとなった。そして、モンゴル帝国ていこくイルハンあさではディルハムの4ばいものおもさの銀貨ぎんか鋳造ちゅうぞうされ、ディナール銀貨ぎんかばれた。14世紀せいき以降いこう、エジプトやシリアでは銀貨ぎんか鋳造ちゅうぞうされなくなり、ファルス銅貨どうかわっていった。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]