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ニコラ・レオナール・サディ・カルノー

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ニコラ・レオナール・サディ・カルノー
ニコラ・レオナール・サディ・カルノー
ニコラ・レオナール・サディ・カルノー
ルイ=レオポルド・ボワイーさく
生誕せいたん (1796-06-01) 1796ねん6月1にち
フランス共和きょうわこくパリ
死没しぼつ (1832-08-24) 1832ねん8がつ24にち(36さいぼつ
フランスの旗 フランス王国おうこくパリ
コレラ
国籍こくせき フランスの旗 フランス
研究けんきゅう分野ぶんや 物理ぶつり学者がくしゃ
技術ぎじゅつしゃ
出身しゅっしんこう エコール・ポリテクニーク
博士はかせ課程かてい
指導しどう教員きょういん
シメオン・ドニ・ポアソン
おも業績ぎょうせき カルノー・サイクル
カルノーの定理ていり
影響えいきょう
あたえた人物じんぶつ
エミール・クラペイロン
ウィリアム・トムソン
ルドルフ・クラウジウス
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ニコラ・レオナール・サディ・カルノーフランス語ふらんすご: Nicolas Léonard Sadi Carnot, 1796ねん6月1にち パリ - 1832ねん8がつ24にち パリ)は、フランス軍人ぐんじん物理ぶつり学者がくしゃ技術ぎじゅつしゃで、仮想かそうねつ機関きかんカルノーサイクル」の研究けんきゅうによりねつ力学りきがくだい法則ほうそく原型げんけいみちびいたことでられる。

生涯しょうがい

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ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー軍人ぐんじん政治せいじ技術ぎじゅつしゃ数学すうがくしゃ)の長男ちょうなんとしてまれた。少年しょうねん時代じだいから、水車みずぐるまのメカニズムなど、科学かがくてき現象げんしょう興味きょうみっていたという。またひか社交しゃこうてきであったが、正義せいぎかん感受性かんじゅせいつよ性格せいかくであった。

1812ねんエコール・ポリテクニーク入学にゅうがく。1814ねん卒業そつぎょう公務こうむ実施じっし学校がっこう工兵こうへいへとすすみ、技師ぎしとして活動かつどうした。 1814ねん、15ねんのナポレオン失脚しっきゃくにより、共和きょうわ政治せいじであったちちラザールはマクデブルクでの亡命ぼうめい生活せいかつ余儀よぎなくされたが、サディ・カルノーは王政おうせい復古ふっこ軍隊ぐんたいのこった。

1819ねん参謀さんぼう中尉ちゅうい任命にんめいされたが、まもなく休職きゅうしょくし、パリやその近郊きんこう芸術げいじゅつ鑑賞かんしょう楽器がっき演奏えんそうなどのかたわら、ねつ機関きかん科学かがく研究けんきゅうおこなった。当時とうじパリ工芸こうげいいんにいた応用おうよう化学かがくしゃニコラ・クレマンとも親交しんこうっていた。

1824ねん、『動力どうりょく、および、この動力どうりょく発生はっせいさせるにてきした機関きかんについての考察こうさつ』(以下いか、『動力どうりょく』)を出版しゅっぱんした。これはねつ力学りきがくにおける画期的かっきてき論文ろんぶんであり、出版しゅっぱん直後ちょくご技術ぎじゅつしゃのジラールによりフランス学士がくしいん紹介しょうかいされた。そのにはラプラスアンペールゲイ=リュサックポアソンなど、当時とうじのフランスの科学かがくしゃ多数たすう出席しゅっせきしていたとされる。しかしそのではまったく反響はんきょうることがなかった[1]

1826ねん工兵こうへいたいもど大尉たいいとなるが、軍隊ぐんたい生活せいかつきらい、1828ねん軍服ぐんぷくぎ、ねつ機関きかん科学かがく研究けんきゅうつづけた。

1830ねんフランス7がつ革命かくめいこるとカルノーはこれを歓迎かんげい研究けんきゅう一時いちじ中断ちゅうだんした。しかし政治せいじ直接的ちょくせつてきかかわろうとはしなかった。カルノーとおとうとのイッポリート・カルノーのどちらかを貴族きぞくいんむかれる提案ていあんがあったときも、世襲せしゅうきらちち立場たちば尊重そんちょうし、おとうとともにこの提案ていあんっている。

7がつ革命かくめいふたた科学かがく没頭ぼっとうし、気体きたい性質せいしつなどにかんする研究けんきゅうおこなった。しかしその研究けんきゅう途中とちゅうの1832ねん6がつやまいたおれ、同年どうねん8がつ24にちコレラにより36さい生涯しょうがいえた。死後しご遺品いひんはコレラの感染かんせん防止ぼうしのためほとんどが焼却しょうきゃく処分しょぶんされた。そのため、カルノーの経歴けいれきひととなりをつたえるものは、わずかにのこされたかれ自身じしんのノート(『数学すうがく物理ぶつりがくそのについての覚書おぼえがき』、以下いか覚書おぼえがき』)、そしておとうとのイッポリート・カルノーがあらわした伝記でんきがほぼすべてである[2]

研究けんきゅう業績ぎょうせき

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ねつ仕事しごと

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ワットの蒸気じょうき機関きかん

カルノーが『動力どうりょく』でテーマにかかげたのは、ねつ動力どうりょくとしての効率こうりつである。

ねつ動力どうりょくとしての活用かつようとしては、当時とうじ蒸気じょうき機関きかん代表だいひょうてきであった。蒸気じょうき機関きかんジェームズ・ワットにより飛躍ひやくてき発展はってんげたが、そのねつ効率こうりつについての確固かっこたる科学かがくてき理論りろんはなく、開発かいはつはいきあたりばったりにおこなわれているめんがあった[3]。 カルノーはねつ効率こうりつ限界げんかいはあるのか、そしてどうすれば効率こうりつ最大限さいだいげんたかめることが出来できるのかをかんがえたのである。

このテーマをかんがえるにあたって、カルノーはねつの「動力どうりょく」という概念がいねん使用しようした。これは、ちちのラザール・カルノーが使用しようした「活性かっせいモーメント」とおな意味いみであり[4]、「おもさともちあげられたたかさとのせき[5]」で定義ていぎされる。つまり現代げんだいう「仕事しごと」に相当そうとうする。

カルノーの定理ていり

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カルノーはまず、ねつから動力どうりょくすのには温度おんど必要ひつようだとろんじた。そして、ねつ高温こうおん物体ぶったいから低温ていおん物体ぶったい移動いどうすることで物体ぶったい膨張ぼうちょう収縮しゅうしゅくし、その結果けっかとして仕事しごとされるとかんがえた。カルノーはこれを、水車みずぐるまみずたかいところからひくいところへちることで動力どうりょく発生はっせいすることになぞらえている。

ただし、温度おんど変化へんかするときかなら体積たいせき変化へんかともなうとしたのはあやまりであり(ゼーベック効果こうかなどの例外れいがいがある)[6]、また、ねつ移動いどうすることで動力どうりょくされるというのも現代げんだいからるとただしくない[7]。しかし、ねつから仕事しごとすのにはねつ供給きょうきゅうする高温こうおん熱源ねつげんほかねつ低温ていおん熱源ねつげん必要ひつようだとした発想はっそうはカルノー独自どくじのもので、おおきな功績こうせきであった[7]

カルノーは、ねつから無駄むだなく動力どうりょくるには、つね温度おんどおよび圧力あつりょくいをたもった変化へんか(じゅん静的せいてき変化へんか)をおこなわせることが必要ひつようであり、また、このような変化へんかわせたサイクルをぎゃくうごかせば、おな動力どうりょくおな熱量ねつりょうげるねつポンプとして動作どうさできる(可逆かぎゃく機関きかんである)とかんがえた。

この可逆かぎゃく機関きかん任意にんいねつ機関きかんわせが永久えいきゅう機関きかんにならないためには、(1)可逆かぎゃく機関きかんねつ効率こうりつ最大さいだいであり、(2)そのねつ効率こうりつ熱源ねつげん温度おんどだけでまり、ねつつたえる物質ぶっしつには依存いぞんしない、ということをみちびいた。これは現在げんざいカルノーの定理ていりばれている。

カルノーがおこなった誘導ゆうどうは、あやまった熱量ねつりょう保存ほぞんそくもとづいていたが、カルノーの定理ていりただしいことは後年こうねんルドルフ・クラウジウスおよびウィリアム・トムソンによりしめされた。

カルノーサイクル

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カルノーは、ねつ機関きかん最大さいだい効率こうりつすには、可逆かぎゃくてき過程かてい必要ひつようだとかんがえた。そして、以下いかのような仮想かそうてき仕組しくみを考案こうあんした。これはカルノーサイクルばれている。

  • 空気くうきれたシリンダーと、高温こうおんげんA、低温ていおんげんBを用意よういする。
  • まず、シリンダーをAと接触せっしょくさせる。この状態じょうたいでAからシリンダーにねつ供給きょうきゅうされると、シリンダーない空気くうき膨張ぼうちょうし、ピストンをげる。このとき、シリンダーはAと接触せっしょくしているので、シリンダーない空気くうき温度おんどはAのまま変化へんかしない(等温とうおん膨張ぼうちょう1)。
  • つぎにシリンダーとAをはなし、ピストンを断熱だんねつ状態じょうたいにする。ピストンはがりつづけるが、熱源ねつげんいためシリンダーない温度おんどがる(断熱だんねつ膨張ぼうちょう2)。
  • シリンダーない空気くうき温度おんどがBとおな温度おんどまでがったところで、シリンダーとBを接触せっしょくさせる。そしてピストンを下降かこうさせると、空気くうき圧縮あっしゅくされる。そして圧縮あっしゅくによって発生はっせいしたねつが、シリンダーからBへと移動いどうする。シリンダーの温度おんどはBのまま変化へんかしない(等温とうおん圧縮あっしゅく3)。
  • シリンダーとBをはなし、ピストンを断熱だんねつ状態じょうたいにする。ピストンはさらにがり空気くうき圧縮あっしゅくされる。このときねつ発生はっせいし、シリンダーない空気くうき温度おんどがる(断熱だんねつ圧縮あっしゅく4)。
  • シリンダーない空気くうき温度おんどがAとおな温度おんどまでがったところでふたたびシリンダーをAと接触せっしょくさせる。Aからシリンダーへねつつたわり、シリンダーない空気くうき膨張ぼうちょうする(等温とうおん膨張ぼうちょう5)。こうして、1とおな状態じょうたいとなる。
動力どうりょく掲載けいさい

この過程かていで、シリンダーない空気くうきはAからねつをもらい、Bにねつあたえている。つまりAからBにねつ移動いどうしたことになる。そしてその過程かていで、ピストンを上下じょうげさせるという仕事しごとおこなっている[注釈ちゅうしゃく 1]仕事しごと使つかわれる以外いがい余分よぶんねつ移動いどういため、これがねつ機関きかん最大さいだい効率こうりつとなる。また、うえ説明せつめいでは空気くうき膨張ぼうちょう圧縮あっしゅくさせたが、カルノーの定理ていりによれば、最大さいだい効率こうりつねつつたえる物質ぶっしつには依存いぞんしないのであるから、これは空気くうき以外いがい気体きたい、あるいは液体えきたい固体こたいでも理論りろんてきにはかまわない。

なお、たとえば1のとき、Aからシリンダーへと移動いどうしたねつ無駄むだなく仕事しごと使つかわれるためには、接触せっしょくした時点じてんでAとシリンダーの温度おんどちいさいのがのぞましい。というのも、温度おんどがあると、Aからシリンダーへと移動いどうしたねつは、シリンダーない空気くうきあたためるのに使つかわれてしまい、そのぶんピストンをげるのに使つかわれるねつすくなくなってしまうからである。よって、最大さいだい効率こうりつるためにはAとシリンダーはおな温度おんどでなければならない。しかし、先述せんじゅつとお実際じっさいには温度おんどがないとねつ移動いどうしないため、おな温度おんどでは仕事しごとおこなわれない。

そこでカルノーは、両者りょうしゃ温度おんど無限むげんちいさいとさだめた。こうすることで、等温とうおん変化へんかのどの状態じょうたいであっても、空気くうきとAはおな温度おんどたもつ。そしてねつ無限むげんにゆっくりとつたわり、ピストンは無限むげんにゆっくりと上昇じょうしょうする。これは現在げんざいではじゅん静的せいてき過程かていばれる手法しゅほうである。

さらに、カルノーはこのサイクルをぎゃく方向ほうこうおこなうことで、仕事しごとから温度おんどせることにもれている。これは現在げんざいぎゃくカルノーサイクルばれている。

気体きたいかんする研究けんきゅう

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カルノーは『動力どうりょく』において、ほかにもいくつかの気体きたいについての法則ほうそくみちびした[8]

  • (1) 等温とうおん変化へんかさい気体きたい放出ほうしゅつ吸収きゅうしゅうする熱量ねつりょうは、どの気体きたいでも、はじめとわりの体積たいせきだけでまる。
  • (2) 定圧ていあつ比熱ひねつていせき比熱ひねつは、どの気体きたいでもひとしい。
  • (3) 気体きたい等温とうおん変化へんかでの体積たいせき変化へんか幾何級数きかきゅうすうてきならば、吸収きゅうしゅう放出ほうしゅつされる熱量ねつりょう算術さんじゅつ級数きゅうすうである。
  • (4) 気体きたい体積たいせき変化へんかにともなうていせき比熱ひねつ変化へんかは、前後ぜんご体積たいせきだけでまる。
  • (5) 定圧ていあつ比熱ひねつていせき比熱ひねつ気体きたい密度みつどによらない。

またカルノーは、断熱だんねつ変化へんかしきみちびしている。現在げんざいねつ力学りきがくにおいては、これらの定理ていりのうち、(4)および断熱だんねつ変化へんかしきあやまりである。(1)(2)(3)はまさしく、(5)は理想りそう気体きたい場合ばあいについてはただしい。あやまった結論けつろんみちびかれたのは、カルノーが熱量ねつりょう保存ほぞんそく採用さいようしていたことと、比熱ひねつ圧力あつりょく依存いぞんについてあやまった実験じっけん使つかったことが原因げんいんである[9][10]

カルノーとねつ運動うんどうろん

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カルノーが『動力どうりょく』を出版しゅっぱんした1823ねんは、ねつ本質ほんしつねつもと(カロリック)という物質ぶっしつであるという、カロリックせつがまだれられていた。カルノーも『動力どうりょく』では基本きほんてきにこのせつれ、ねつもとという表記ひょうきおお使用しようしている。また、カルノーの理論りろんおおくは、当時とうじカロリックせつ基本きほん法則ほうそくとされていた熱量ねつりょう保存ほぞんそく前提ぜんていとしており、「これを否認ひにんすることは、ねつ理論りろん全体ぜんたい破壊はかいすることを意味いみする。」としるしている[11]

しかし、そのぶん直後ちょくごに「ちなみに、ねつ理論りろんってっているもろもろの原理げんりは、なおいっそうの注意深ちゅういぶか研究けんきゅうようするとおもわれる。ねつ理論りろんのこんにちの状態じょうたいではほとんど説明せつめいできないようにみえる多数たすう経験けいけん事実じじつ存在そんざいするのである。[11]」とべているように、当時とうじねつ理論りろん全面ぜんめんてき信頼しんらいをおいているわけではなかった[12]

動力どうりょく執筆しっぴつかれた『覚書おぼえがき』では、はっきりとねつ運動うんどうせつかたむいている。そして、「ある仮説かせつ現象げんしょう説明せつめいするのにもはや十分じゅうぶんでないとき、この仮説かせつはすてられるべきである。ねつもとひとつの物質ぶっしつ、ある稀薄きはく流体りゅうたいとみなす仮説かせつは、まさしくかような仮説かせつである。[13]」と、カロリックせつ否定ひていしている。その根拠こんきょとしてランフォードおこなった摩擦まさつによるねつ発生はっせい実験じっけんなどをげている。さらに、ねつ仕事しごととうりょう算出さんしゅつおこなっている。

カルノー存命ぞんめいねつ運動うんどうだとするせつ徐々じょじょひろまりつつあったが、まだ完成かんせいされた理論りろん形態けいたいにはなっておらず、そのてんではまだカロリックせつほうぶんがあった。カルノーがカロリックせつ疑問ぎもんいだきつつも、結局けっきょくはカロリックせつもと理論りろんてたのは、こういった時代じだいてき背景はいけい原因げんいんともわれている[14]

評価ひょうか

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評価ひょうかたかまり

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カルノーがなま前世ぜんせいした論文ろんぶんは『動力どうりょく』のみである。先述せんじゅつとおり、生前せいぜん正当せいとう評価ひょうかることが出来できなかった。

カルノー死後しごの1834ねんに、エミール・クラペイロン論文ろんぶんでカルノーをげた。クラペイロンはこの論文ろんぶんで、カルノーサイクルを図式ずしきし、さらに解析かいせきてき表現ひょうげん使つかってカルノーの理論りろん発展はってんさせた。クラペイロンの論文ろんぶん英訳えいやく(1837ねん)、どくやく(1843ねん)されたが、この時点じてんでもカルノーの一般いっぱんにはられることはなかった[15]

カルノーのひろまったのは、ウィリアム・トムソン影響えいきょうおおきい。トムソンはクラペイロンの論文ろんぶんからカルノーをり、1848ねんと1849ねんに、カルノーの研究けんきゅうもとにした論文ろんぶん発表はっぴょうした。カルノーの研究けんきゅうは、トムソン自身じしんあたらしい温度おんど目盛めもり考案こうあんなどにおおきな影響えいきょうあたえている[16]

動力どうりょく』は1840年代ねんだいにはすでに入手にゅうしゅ困難こんなんとなっていた[注釈ちゅうしゃく 2]が、カルノーが評価ひょうかされたのちの1872ねん雑誌ざっし再掲さいけいされ、さらに1878ねんには、イッポリートのによりだい2はん出版しゅっぱんされた。イッポリートによる伝記でんきや、『覚書おぼえがき』(抜粋ばっすい)は、このときはじめて収録しゅうろくされた。『覚書おぼえがき』の全文ぜんぶんるようになったのは、20世紀せいきはいってからである[15]

カルノーの論文ろんぶん出版しゅっぱん当時とうじ評価ひょうかされなかったことについては、原因げんいんとして、カルノーは『動力どうりょく』では数式すうしき使つかった解析かいせきてき表現ひょうげんおこなわなかったこと[注釈ちゅうしゃく 3]、カルノーはフランス学士がくしいんなどの当時とうじ有名ゆうめい学会がっかい参加さんかしていなかったこと、さらに、カルノーが使つかった「仕事しごと」の概念がいねんは、おも技術ぎじゅつてき分野ぶんや使つかわれていたもので、物理ぶつり化学かがく分野ぶんやではなじみがうすかったこと[17]など、いくつかがかんがえられている。

ねつ力学りきがくとカルノー

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カルノーが正当せいとう評価ひょうかされるのには年月としつきようしたので、研究けんきゅう発表はっぴょう当時とうじあたらしい発見はっけんであったが、それが科学かがく発展はってんには結果けっかてき寄与きよしなかったものもおおい(たとえば、ねつ仕事しごととうりょう算出さんしゅつなど)。一方いっぽうで、カルノーサイクルや、じゅん静的せいてき過程かていかんがえなど、現在げんざいでもねつ力学りきがくまなうえ必須ひっす事柄ことがらとなっているものもある。

また、カルノーの定理ていり代表だいひょうされる、ねつ仕事しごと関係かんけいせい研究けんきゅうは、ねつ力学りきがく発展はってんおおきく寄与きよしている。

トムソンによりカルノーの論文ろんぶん注目ちゅうもくされはじめた1840年代ねんだい後半こうはんねつ研究けんきゅう分野ぶんやでは、旧来きゅうらいのカロリックせつから脱却だっきゃくし、ねつ運動うんどういち形態けいたいだとする理論りろんてられつつあった。その中心ちゅうしん人物じんぶつ一人ひとりであるジュールによる、ねつ仕事しごととうりょう測定そくていは、ねつ仕事しごと同質どうしつのものであるという結論けつろんみちびした。しかし、これはカルノーの「ねつ高温こうおん低温ていおんがなければ仕事しごととしてははたらかない」という理論りろんとは矛盾むじゅんがあった。カルノー自身じしんも『覚書おぼえがき』で、ねつ運動うんどうだというかんがえでは、「ねつによって動力どうりょく発生はっせいさせるときにつめたい物体ぶったい必要ひつようなのはなぜか、また、あつくなった物体ぶったいねつ消費しょうひしながら運動うんどうしょうじさせることができないのはなぜか、を説明せつめいすることは困難こんなんであろう。」とべている。この問題もんだい解決かいけつするために、ウィリアム・トムソンやルドルフ・クラウジウスによってされたのがねつ力学りきがくだい法則ほうそくである。

つまり歴史れきしてきると、カルノーはだいいち法則ほうそく(エネルギー保存ほぞんそく)も確立かくりつされていない時代じだいに、ねつ仕事しごと関係かんけいせいにいちはや注目ちゅうもくし、その研究けんきゅう内容ないようねつ力学りきがくだい法則ほうそくまでんだものとなっていたことになる。そのため、カルノーはねつ力学りきがくとされることがある[15][18][19]物理ぶつり学者がくしゃであるエルンスト・マッハは、当時とうじ数少かずすくない実験じっけんデータからまと原理げんりみちびしたカルノーの研究けんきゅうたいし、「そこには、ひとりの天才てんさいのこのうえもなくこころよ演技えんぎかんがある。――かれは、格別かくべつ精励せいれいもなく、ことこまかいそして重苦おもくるしい学問がくもんてき手練しゅれんをさしてついやしもせず、ただ、ごく単純たんじゅん経験けいけんてき事実じじつしんけることによって、いわばほとんどろうすることなしにもっと重要じゅうようなことを見通みとおしているのである[20]」とひょうしている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 現代げんだいねつ力学りきがくでは、Aのねつ一部いちぶがピストンの上下動じょうげどう使つかわれ、のこりがBへ移動いどうしたととらえるのがただしい。
  2. ^ 実際じっさい、トムソンは1845ねんに『動力どうりょく』をさがもとめたがなか入手にゅうしゅできず、はいったのは1848ねんまつであった。1848ねんのトムソンの論文ろんぶんは、『動力どうりょく入手にゅうしゅまえかれたものである。(山本やまもと義隆よしたか 2009, pp. 172–173, 383)
  3. ^ なお、カルノーが解析かいせきてき表現ひょうげん使つかわなかったのは、実際じっさいねつ機関きかん開発かいはつおこな技術ぎじゅつしゃけにいたためとされるが、実際じっさいはカルノーの論文ろんぶん理論りろんてきすぎて技術ぎじゅつしゃ影響えいきょうあたえることはなかった(クロッパー 2009, p. 97) および、(山本やまもと義隆よしたか 2009, p. 224)。

出典しゅってん

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  1. ^ 山本やまもと義隆よしたか 2009, p. 169.
  2. ^ (カルノー 1973, p. 23) なお同書どうしょには、カルノーの『動力どうりょく』、および『覚書おぼえがき』、さらにイッポリートによる伝記でんきおさめられている。本節ほんぶしにおいてとく脚注きゃくちゅうしるしていない箇所かしょ出典しゅってんは、すべて同書どうしょによる。
  3. ^ 山本やまもと義隆よしたか 2009, p. 223.
  4. ^ 太田おおたひろしいち 2003, p. 73.
  5. ^ カルノー 1973, p. 41.
  6. ^ 山本やまもと義隆よしたか 2009, pp. 225–226.
  7. ^ a b カルノー 1973, p. 127.
  8. ^ カルノー 1973, p. 30.
  9. ^ カルノー 1973, p. 129.
  10. ^ 山本やまもと義隆よしたか 2009, p. 271.
  11. ^ a b カルノー 1973, p. 54.
  12. ^ カルノー 1973, p. 31.
  13. ^ カルノー 1973, p. 92.
  14. ^ うめひさしかおる 1975, p. 63.
  15. ^ a b c 杉山すぎやましげるろう ちょ村上むらかみ陽一郎よういちろうへん へんねつがく展開てんかい』1988ねん 収録しゅうろく
  16. ^ マッハ 1978, p. 235.
  17. ^ 山本やまもと義隆よしたか 2009, pp. 177–180.
  18. ^ 山本やまもと義隆よしたか 2009, p. 244.
  19. ^ クロッパー 2009, p. 88.
  20. ^ マッハ 1978, p. 236.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • うめひさしかおるねつもとせつ論理ろんり ―S. Carnot の場合ばあい―」『Bulletin of Fukuoka University of Education』だい25かんⅢ、1975ねん、57-65ぺーじ 
  • 太田おおた浩一こういち天才てんさいだってつらいよ―物理ぶつり学者がくしゃ列伝れつでん 革命かくめいほのおなかからまれたねつ力学りきがく―カルノー」『パリティ』だい18かんだい6ごう、2003ねん、71-74ぺーじ 
  • カルノー ちょ広重ひろしげとおるやく解説かいせつ やく『カルノー・ねつ機関きかん研究けんきゅう』みすず書房しょぼう、1973ねん新版しんぱん2020ねんISBN 978-4622089377 
  • ウィリアム・H・クロッパー ちょ水谷みずたにあつし やく物理ぶつりがく天才てんさい列伝れつでん じょう講談社こうだんしゃブルーバックス、2009ねんISBN 978-4062576635 
  • マッハ ちょ高田たかだ誠二せいじ やくねつがくしょ原理げんり東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい物理ぶつり科学かがく古典こてん〉、1978ねんISBN 978-4486002451 
  • 村上むらかみ陽一郎よういちろうへん へん近代きんだいねつがく論集ろんしゅう朝日出版社あさひしゅっぱんしゃ科学かがく名著めいちょ だい3〉、1988ねんISBN 978-4255880105 
  • 山本やまもと義隆よしたかねつがく思想しそう史的してき展開てんかい2』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2009ねんISBN 978-4480091826 

関連かんれん項目こうもく

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  • マリー・フランソワ・サディ・カルノー - フランスだいさん共和きょうわせいだい4だい大統領だいとうりょうおいにあたる。
  • ジョゼフ・フーリエ - カルノーとどう時代じだい科学かがくしゃ直接的ちょくせつてきかかわりはなかったが、おなじフランスでねつ研究けんきゅうおこなった。

外部がいぶリンク

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