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バスマラ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
オスマンちょうスレイマン1せい献上けんじょうされた宗教しゅうきょうしょ表紙ひょうし[1]アフメド・カラヒサーリーふで[1]中段ちゅうだんにムサルサルたいによる流麗りゅうれいなバスマラ、下段げだん正方形せいほうけいなかクーフィーたいによるバスマラ[1]
バスマラの発音はつおんれい

バスマラ(アラビア: بَسْمَلَة, ラテン文字もじ転写てんしゃ: basmalah もしくは basmala, バスマラ)は、アラビア定型ていけいبِسْمِ ٱللَّٰهِ ٱلرَّحْمَٰنِ ٱلرَّحِيمِ‎(実際じっさい発音はつおん:bi-smi llāhi r-raḥmāni r-raḥīm, ビ・スミ・ッラーヒ・ッ=ラフマーニ・ッ=ラヒーム、タジュウィードしき発音はつおん:ビ・スミ・ッラーヒ・ル=ラフマーニ・ル=ラヒーム) のことを用語ようごである[2][3]

この定型ていけい日本語にほんごやくとしては、たとえば、「慈悲じひあまねく慈愛じあいふかアッラー御名ぎょめいにおいて」などがある(#定型ていけい内容ないよう)。この定型ていけいは、イスラームきょう聖典せいてんクルアーン悔悟かいごのぞくすべてのしょう冒頭ぼうとうもちいられている(#聖典せいてんにおける使用しよう)。

定型ていけい内容ないよう

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「バスマラ」とは、アラビアによるイスラームの文言もんごん بِسْمِ ٱللَّٰهِ ٱلرَّحْمَٰنِ ٱلرَّحِيمِ‎(bi-smi llāhi r-raḥmāni r-raḥīm)というアラビア定型ていけいそのものを名詞めいしである[2][3]

この定型ていけい最初さいしょ単語たんご bi- は「~において、~によって」を意味いみする前置詞ぜんちしである。つぎ単語たんご ʾism は「名前なまえ」を意味いみする名詞めいしである。ただし発音はつおん規則きそくにより、ʾism の冒頭ぼうとう母音ぼいん i をともな声門せいもん破裂はれつおん声門せいもん閉鎖へいさおん「ʾ」をまないで、前置詞ぜんちし bi- につづける。またぞくかく変化へんか語尾ごび "-i" を付加ふかして、「b-ismi(ビ・スミ)」とむ。つづく3つの allāh唯一ゆいいつかみアッラーの名称めいしょう後続こうぞくal-raḥmān, al-raḥīm はそのかみ属性ぞくせいめい別称べっしょうである。

バスマラの日本語にほんごやくとしては、たとえばつぎのようなものがられている。

  • 大悲だいひしゃ大慈だいじしゃラーによりて」(大川おおかわ周明しゅうめいわけ 1950ねん
  • 慈悲じひふかく慈愛じあいあまねきアッラーの御名ぎょめいみなにおいて」(井筒いづつ俊彦としひこわけ岩波いわなみばん》1957ねん
  • 慈悲じひぶかく、慈悲じひあつきかみ御名ぎょめいみなにおいて」(藤本ふじもと勝次かつじばん康哉こうさい池田いけだおさむわけ中公ちゅうこうばん》1970ねん
  • 慈悲じひあまねく慈愛じあいふかきアッラーの御名ぎょめいみなにおいて」(にち対訳たいやくクルアーン《作品社さくひんしゃばん》2014ねん

「バスマラ」の語源ごげんは、上記じょうき定型ていけい最初さいしょの4つの子音しいん ب-س-م-ل (b-s-m-l)である[4]:105。この4つの子音しいん語根ごこんとして、どう名詞めいし basmala(h)(バスマラ)や、「バスマラをとなえること」を意味いみするよん語根ごこん動詞どうし basmala(バスマラ)が造語ぞうごされた[4]:105。このように頭字かしらじ語源ごげんとする語彙ごいは、古典こてんてきなアラビア語彙ごいとしてはイスラーム関係かんけいしょ定型ていけいかんして設定せっていされていることがおおい。

聖典せいてんにおける使用しよう

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14-15世紀せいき、マムルークあさ時代じだいのエジプトで筆写ひっしゃされたクルアーンのいちよう。4だんムハッカクたいによるバスマラ。だい53しょう冒頭ぼうとう

イスラームきょう聖典せいてんクルアーンにおいて、バスマラは、ぜん114しょうちゅうだい9しょうのぞいたすべてのしょう冒頭ぼうとうかれている[2][3]ぶんでは、だい27しょう30せつでソロモンからシェバの女王じょおうてた手紙てがみのくだりにおいて、手紙てがみぶん冒頭ぼうとうに、バスマラが完全かんぜんかたちあらわれる[2]。また、だい11しょう43せつでノアがみな方舟はこぶねるようびかける発言はつげんなかでも、不完全ふかんぜんかたちでバスマラがあらわれる[2]。クルアーンのぶんでバスマラが使用しようされるケースは、以上いじょうの2かいのみである[2]

ところで、本節ほんぶしにおけるここまでの記述きじゅつでは、クルアーン・テクストを分節ぶんせつするにあたって「あきら」と「ふし」、「ぶん」という用語ようご便宜べんぎてきもちいたが、「あきら」はアラビアで「スーラ」(序列じょれつ)、「ふし」あるいは「ぶん」は「アーヤ」(見聞けんぶんしうる表徴ひょうちょう)という[2]。アーヤはかみ預言よげんしゃかいして人類じんるいつたえたメッセージということになっている。バスマラがアーヤにふくまれるかかというてんかんして、20世紀せいき前半ぜんはんごろまではウラマーあいだ見解けんかい相違そういがあった[2][5]ハナフィーは「ふくまれない」というせつをとり、それゆえに、クルアーン読誦とくしょうさいにバスマラは発声はっせいされなくてもよいとした[2]。ハナフィーはバスマラとスーラをシンプルに分離ぶんりし、バスマラは後続こうぞくするスーラにたいする祝祷しゅくとうかんがえた[2]。これにたいしてシャーフィイーは「ふくまれる」というせつをとり、これはいできた聖典せいてんテクストにバスマラがふくまれた状態じょうたいかれていることを理由りゆうとする[2]。20世紀せいき後半こうはん以後いご便宜べんぎてきにシャーフィイー見解けんかい採用さいようされることが普通ふつうである(たとえば、世界中せかいじゅう流通りゅうつうしている標準ひょうじゅんエジプトばんクルアーンもバスマラがアーヤにふくまれるものとして編集へんしゅうされている。)[2]

日常にちじょう生活せいかつにおける使用しよう

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イスラーム教徒きょうとは、なにかの義務ぎむ(たとえば儀礼ぎれいてき規範きはんイバーダート)をたすときやなにいことをするときには、かならず、そのまえにバスマラをとなえる[2]。ただし、礼拝れいはい(サラー)まえ例外れいがいであり、この場合ばあいタクビール文句もんくallāhu akbar)をとなえる(これは聖典せいてん規定きてい根拠こんきょがある)[2][3]。また、かみめいかえとなえるズィクルまえも、バスマラはとなえない(これは慣行かんこうである)[2][3]

バスマラは、「アッラフマーン」と「アッラヒーム」を省略しょうりゃくし、「ビスミッラー」のかたちでもよくとなえられている[2]一般いっぱんてきには、まじめな行為こういまえでは完全かんぜんかたちのバスマラがとなえられるべきであり、ぎゃくに、そうでない場合ばあいには省略しょうりゃくされたかたちのバスマラがとなえられるべきであるとされる[2]省略しょうりゃくされたかたちのバスマラ、すなわち「ビスミッラー」がとなえられる典型てんけいてきなシチュエーションとしては、食事しょくじまえとなえるバスマラがある[2]。この場合ばあいの「ビスミッラー」は、日本語にほんご日本にっぽん文化ぶんかにおける「いただきます」に相当そうとうするとわれる。状況じょうきょうおうじて行為こういしつ変化へんかするような行為こうい場合ばあいには、バスマラをとなえることによってかみ祝福しゅくふくけられる場合ばあいがあるとされる[2][3]たとえば、婚姻こんいん関係かんけいにあるもの同士どうし性行為せいこういがそのいちれいである[2]

このようなイスラーム教徒きょうと日常にちじょう生活せいかつ隅々すみずみにまでいきわたった慣行かんこうは、せい法学ほうがく、いわゆる「イスラーム法学ほうがく」が預言よげんしゃのハディースにもとづいて根拠こんきょづけをしている[2]重要じゅうよう行為こういをするさいに、バスマラをとなえたうえでないと、その行為こうい中断ちゅうだんするであろうという趣旨しゅしのことを預言よげんしゃムハンマドがべたとするハディースがある[2]。このハディースが、イスラーム教徒きょうとがバスマラをとなえる慣行かんこうどころになっている[2]。このハディースについては多様たよう解釈かいしゃく可能かのうであるが、たとえば、イブラーヒーム・バージューリー英語えいごばんという19世紀せいきエジプトのシャーフィイーウラマーは、当該とうがいハディースちゅうの「重要じゅうよう行為こうい」とはせい法的ほうてき価値かちḥukm)を行為こういであるとし、禁止きんしされた行為こうい非難ひなんあたいする行為こういではないとっている[2]

しょ文化ぶんかにおける使用しよう

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シェイフ・ハムドゥッラーふで、バスマラをふくむパネル。上段じょうだんスルスたいによるバスマラ。

バスマラは書物しょもつ文書ぶんしょ巻頭かんとうかれる[2][3]。バスマラをアラビア文字もじ場合ばあい、バスマラ冒頭ぼうとう名詞めいし ism は、最初さいしょのアリフが発音はつおんされないだけでなく表記ひょうきじょう省略しょうりゃくされる[注釈ちゅうしゃく 1][2]。いいつたえによれば、このかた最初さいしょめたのはウマル・ブン・ハッターブである[2]。また、バスマラの1文字もじ ب‎ はよく、ながばしてかれる[2]

バスマラは、手写しゅしゃほん碑文ひぶん装飾そうしょくとして、きわめて人気にんきたか主題しゅだいである[2]。バスマラのかれた護符ごふもよく製作せいさくされている[2]護符ごふ祝福しゅくふくちからがこもることが期待きたいされているためである[2]

タスミヤ

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かみによりて~」という祝祷しゅくとう意味いみするアラビアには、تَسْمِيَة‎(tasmiya(h), タスミヤ)というかたりもあり、これは「バスマラ」というかたりよりもふる時代じだいからある言葉ことばである。さきイスラーム時代じだいジャーヒリーヤ)からアラブには、重要じゅうよう行為こういまえにタスミヤをとなえる慣習かんしゅうがあった[2]。タスミヤの慣習かんしゅうにはさんとする行為こういかみてき祝福しゅくふくもとめ、その行為こうい神聖しんせいするという意味いみがあり、さきイスラームのメッカの人々ひとびとはしばしば「ラートしんal-Lāt)のによりて~」「ウッザーしんal-ʿUzzā)のによりて~」という祝祷しゅくとうとなえ、かくかみによる祝福しゅくふく祈願きがんしていた[2]

イスラームてきタスミヤたるバスマラにふくまれる「ラフマーン」(定冠詞ていかんしみでえばアッラフマーン al-raḥmān)については、前述ぜんじゅつのように、「慈悲じひふかい」という意味いみ形容詞けいようし冠詞かんし付加ふかされ抽象ちゅうしょう名詞めいしされたものであり、唯一ゆいいつかみアッラーの美名びめいのひとつとかんがえるのが古典こてんてき教義きょうぎ成立せいりつ以後いご多数たすう解釈かいしゃくである。しかし、20世紀せいき前半ぜんはんのフランスの東洋とうよう学者がくしゃジョミエ指摘してきしたところによると、このかたり al-raḥmān は、イスラーム誕生たんじょう以前いぜんからみなみアラビアやアラビア半島はんとう中央ちゅうおうにおいては唯一ゆいいつかみかみめいであった[2]。アラビア半島はんとう中央ちゅうおう人々ひとびと預言よげんしゃムサイリマかいして、この「慈悲じひふかい」という唯一ゆいいつかみから啓示けいじっていたとされる[2]。また、タバリーによると、フダイビーヤの和議わぎさい、メッカかた代表だいひょうしゃal-raḥmānのもとにちかてすることを拒否きょひした[2][注釈ちゅうしゃく 2]。ジョミエのせつによると、預言よげんしゃムハンマドがヤマンとヤマーマのかみであった「ラフマーン」をクルアーンちゅう頻繁ひんぱん登場とうじょうさせた理由りゆうは、絶対ぜったいてきただいちかみ慈悲じひふかさを強調きょうちょうするという宣教せんきょうじょう目的もくてきがあったためかもしれない[2]

Unicodeではバスマラが1つの文字もじとして登録とうろくされている[6]

文字もじ Unicode JIS X 0213 文字もじ参照さんしょう 備考びこう
U+FDFD - ﷽
﷽
環境かんきょうによってはナスタアリークたい表示ひょうじされる。

註釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 発音はつおんじょうハムザトル・ワスルが省略しょうりゃくされて発音はつおんされず、表記ひょうきじょうもハムザのだいになっているアリフが脱落だつらくする。
  2. ^ このため、和議わぎ条文じょうぶんは、「おおかみよ、あなたのによりて」(ビスミカ・アッラーフンマ)から開始かいしされた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c Blair, Sheila S. (2020). Islamic Calligraphy. Edinburgh University Press. p. 495. ISBN 9781474464475. https://books.google.co.jp/books?id=m6QxEAAAQBAJ 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak De Vaux, B. Carra; Gardet, L. (1995). "Basmala". In Bosworth, C. E. [in 英語えいご]; van Donzel, E. [in 英語えいご]; Heinrichs, W. P. [in 英語えいご]; Lecomte, G. [in 英語えいご] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume VIII: Ned–Sam. Leiden: E. J. Brill. pp. 1084–1085. ISBN 90-04-09834-8
  3. ^ a b c d e f g 後藤ごとうあきら (1982). "バスマラ". イスラム事典じてん. 平凡社へいぼんしゃ.
  4. ^ a b Holes, Clive (2004). Modern Arabic: Structures, Functions, and Varieties. Georgetown University Press. ISBN 9781589010222. https://books.google.co.jp/books?id=8E0Rr1xY4TQC&pg=PAPA105 
  5. ^ Haider, Najam (2012). “A Kūfan Jurist in Yemen: Contextualizing Muḥammad b. Sulaymān al-Kūfī's Kitāb al-Muntaḫab”. Arabica 59 (3-4): 200-217. doi:10.1163/157005812X629239. 
  6. ^ ﷽ - Arabic Ligature Bismillah Ar-Rahman Ar-Raheem: U+FDFD” (英語えいご). symbl.cc. 2022ねん1がつ1にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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