(Translated by https://www.hiragana.jp/)
バタイスク - Wikipedia コンテンツにスキップ

バタイスク

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標ざひょう: 北緯ほくい4710ふん0びょう 東経とうけい3944ふん0びょう / 北緯ほくい47.16667 東経とうけい39.73333 / 47.16667; 39.73333

バタイスク紋章もんしょう

バタイスク(バターイスク、ロシア: Бата́йск, Bataysk)は、ロシア南部なんぶロストフしゅうにある都市とし州都しゅうとロストフ・ナ・ドヌの15km南西なんせいドンがわ対岸たいがん位置いちする。人口じんこうは12まん6988にん(2021ねん[1]

歴史れきし

[編集へんしゅう]
バタイスクのまち

バタイスクのまち1769ねんひらかれ、1938ねんとなった。

バタイスクはドンがわアゾフうみへとそそ河口かこうにある重要じゅうよう港町みなとちょうアゾフクリミア・ハンこく軍勢ぐんぜいからまもるための基地きちとしててられた。まち建設けんせつ当時とうじ、1768ねんから1774ねんにかけて戦争せんそうこっていたが、この戦争せんそう以前いぜんはバタイスク周辺しゅうへん地方ちほうオスマン帝国ていこくぞくしていた。このにあったオスマン帝国ていこくのバタイ要塞ようさい名前なまえから、ロシアのバタイスクという地名ちめいまれている。

19世紀せいきにはバタイスクは軍事ぐんじてき重要じゅうようせいうしなったが、ロシア中央ちゅうおうからクバンがわ地方ちほうへとかう街道かいどう途中とちゅうにあることから経済けいざいてき発展はってんした。1875ねんにはきたカフカスかうきたカフカース鉄道てつどうがバタイスクをとおるようになった。

1920年代ねんだい、このまちてられた最初さいしょ工場こうじょうぐん電力でんりょく供給きょうきゅうするため、はじめて電気でんきとおった。1927ねんには労働ろうどうしゃ地区ちくになり、人口じんこうが50,000にんたっしていた1938ねんにはとなった。1931ねんには赤軍せきぐん飛行ひこう訓練くんれん学校がっこう設立せつりつされ、その卒業生そつぎょうせいには宇宙うちゅう飛行ひこうウラジーミル・コマロフらがいる。

1942ねん7がつには赤軍せきぐんドイツ国防こくぼうぐんとのあいだでバタイスクをめぐはげしい戦闘せんとうきた。ドイツぐんはドンがわわたるためのはしあたまきずきたカフカスへと進軍しんぐんしたが、スターリングラードのたたか赤軍せきぐん勝利しょうりわったのちにバタイスクも奪還だっかんされた。バタイスクをめぐたたかいで市民しみんおおくが犠牲ぎせいとなった。戦後せんご都市とし基盤きばん再建さいけん急速きゅうそくすすみ、1950年代ねんだいから1960年代ねんだいにかけて規模きぼ拡大かくだいしている。

産業さんぎょう

[編集へんしゅう]

バタイスクの産業さんぎょうおおくは、近隣きんりん大都市だいとしロストフ=ナ=ドヌの需要じゅようにこたえるためのものである。そのなかには食品しょくひん繊維せんい建材けんざい、コンクリートなどの産業さんぎょうふくまれる。高速こうそく道路どうろM4がとおり、鉄道てつどう分岐ぶんきてんでもある。こうしたことから貨物かもつ物流ぶつりゅう拠点きょてんでもある。

出身しゅっしんしゃ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ city population”. 2 May 2023閲覧えつらん

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]