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バッキンガム公 - Wikipedia コンテンツにスキップ

バッキンガムこう

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バッキンガムこう(バッキンガムこう、えい: Duke of Buckingham)は、かつて存在そんざいしたイギリス公爵こうしゃくくらいひとつ。バッキンガムのかんした公爵こうしゃくには1444ねん創設そうせつのスタッフォード所有しょゆうのバッキンガム公爵こうしゃくイングランド貴族きぞく)、1623ねん創設そうせつヴィリアーズ所有しょゆうのバッキンガム公爵こうしゃく(イングランド貴族きぞく)、1703ねん創設そうせつのシェフィールド所有しょゆうのバッキンガム=ノーマンビー公爵こうしゃく(イングランド貴族きぞく)、1822ねん創設そうせつのグレンヴィル所有しょゆうのバッキンガム=シャンドス公爵こうしゃく連合れんごう王国おうこく貴族きぞく)がある。いずれも剥奪はくだつされたか廃絶はいぜつしており、現存げんそんしていない。

歴史れきし

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1444ねん-1521ねんのバッキンガムこう(スタッフォード

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初代しょだいバッキンガムこうハンフリー・スタッフォード紋章もんしょう

はじめてバッキンガム公爵こうしゃくじょされるだい6だいスタッフォード伯爵はくしゃくハンフリー・スタッフォード (1402–1460) は、おさなころの1403ねん7がつ21にち死去しきょしたちちだい5だいスタッフォードはくエドワード・スタッフォード英語えいごばんから伯爵はくしゃくスタッフォード男爵だんしゃく英語えいごばん継承けいしょうし、1420ねんにはヘンリー5せいフランスでの作戦さくせん従軍じゅうぐんしたが、1422ねんおう崩御ほうぎょでその遺体いたいとともにイングランドに帰国きこくヘンリー6せい側近そっきんとなり、1444ねん9月14にちバッキンガム公爵こうしゃく叙爵じょしゃくされた[1]薔薇ばら戦争せんそうでもランカスターとしてヘンリー6せいしたがったが、1460ねん7がつ10日とおかノーサンプトンのたたかでヨークやぶれて殺害さつがいされた[2]

そのため、そのまごだい2だい公爵こうしゃくヘンリー (1454–1483)エドワード4せいからうとまれ、キャサリン・ウッドヴィル英語えいごばんとののぞまぬ縁組えんぐみけられ、これがかれ1483ねんリチャード3せいによる王位おうい簒奪さんだつ支持しじいやった。しかしそのわずか3カ月かげつにはヘンリー・テューダー(ヘンリー7せい)を擁立ようりつしてリチャード3せいたいする反乱はんらんこした。すぐに鎮圧ちんあつされ、裁判さいばんなしで私権しけん剥奪はくだつのうえ処刑しょけいされた[3][4]

そのため、その息子むすこの3だい公爵こうしゃくエドワード (1478–1521) は、当初とうしょ爵位しゃくいげなかったが、ヘンリー7せいがリチャード3せいから王位おうい簒奪さんだつして即位そくいしてテューダーあさはじまった1485ねんには議会ぎかいほうにより爵位しゃくい回復かいふくされた[1]。しかし枢機卿すうききょうトマス・ウルジーから敵意てきいけられ、1521ねん5月には大逆だいぎゃくざい私権しけん剥奪はくだつのうえ処刑しょけいされた[1]

1623ねん-1687ねんのバッキンガムこう(ヴィリアーズ

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初代しょだいバッキンガムこうジョージ・ヴィリアーズ紋章もんしょう

ついでバッキンガムこうじょされるのはステュアートあさジェームズ1せい寵臣ちょうしんジョージ・ヴィリアーズ (1592–1628) である。かれジェントリ息子むすこだったが、1614ねん宮廷きゅうていりしてから急速きゅうそく昇進しょうしんし、しゅ馬頭めず英語えいごばん海軍かいぐんきょうなどの要職ようしょく歴任れきにんした。爵位しゃくい急速きゅうそく昇進しょうしんし、1616ねん8がつ27にちにはヴィリアーズ子爵ししゃく (Viscount Villiers)バッキンガムしゅうにおけるワッドンのワッドン男爵だんしゃく (Baron Whaddon, of Whaddon in the County of Buckingham)叙位じょいされ、1617ねん1がつ5にちにはバッキンガム伯爵はくしゃく英語えいごばん叙位じょいされた。同年どうねん3月14にちにはこの3つの爵位しゃくいについて自身じしん男系だんけい男子だんしいで、同母どうぼ兄弟きょうだいジョン英語えいごばんクリストファー英語えいごばん男系だんけい男子だんしへの継承けいしょうみとめられた。さらに1618ねん1がつ1にちにはバッキンガム侯爵こうしゃく (Marquess of Buckingham)じょされ、そして1623ねん5月18にちにはバッキンガム公爵こうしゃくコヴェントリー伯爵はくしゃく英語えいごばん(Earl of Coventry)叙位じょいされた。1627ねん8がつ27にちにはバッキンガム公爵こうしゃくとコヴェントリー伯爵はくしゃくについて男系だんけい男子だんしいで、むすめメアリー英語えいごばん男系だんけい男子だんし継承けいしょうみとめられた[5]。1625ねん即位そくいしたチャールズ1せいしたでも栄進えいしんし、スペインやフランスとたたかったが、成果せいかられず議会ぎかい弾劾だんがいけるもチャールズ1せい介入かいにゅう失脚しっきゃくまぬかれた。しかし1628ねんにはイングランドぐん将校しょうこうジョン・フェルトン英語えいごばん暗殺あんさつされた[3]

ちち暗殺あんさつされたとしまれた息子むすこだい2だい公爵こうしゃくジョージ (1628–1687) は、清教徒せいきょうと革命かくめいちゅうおう党派とうはぞくして一時いちじ国外こくがい亡命ぼうめいし、その帰国きこくするもイングランド共和きょうわこくから投獄とうごくけた。王政おうせい復古ふっこのちチャールズ2せい登用とうようされて初代しょだいクラレンドン伯爵はくしゃくエドワード・ハイド失脚しっきゃく一役ひとやくい、そのカバルばれる政権せいけん一員いちいんとなった。しかしカバル政権せいけん不評ふひょうとも議会ぎかいから批判ひはん対象たいしょうとなり、1674ねんには罷免ひめんされた[3]。またかれは1667ねんははからド・ロス男爵だんしゃく英語えいごばん継承けいしょうしている[5]

1687ねん4がつ16にちかれ死後しご帰属きぞくしゃ確定かくてい (abeyance) となったド・ロス男爵だんしゃくのぞき、すべての爵位しゃくい継承けいしょうしゃ廃絶はいぜつした[5]

1703ねん-1735ねんのバッキンガム=ノーマンビーこう(シェフィールド

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1710ねんごろのバッキンガム・ハウス(バッキンガム宮殿きゅうでん前身ぜんしん

ジョン・シェフィールド (1648–1721) は、1658ねんちちからだい3だいマルグレイヴ伯爵はくしゃく英語えいごばん継承けいしょう[6]チャールズ2せい名誉めいよ革命かくめいウィリアム3せいアン女王じょおうなどにつか[7]、ウィリアム3せい在位ざいいちゅう1694ねん5がつ10日とおかにはノーマンビー侯爵こうしゃく (Marquess of Normanby)叙位じょいされた。とくにアン女王じょおうから重用じゅうようされ[7]トーリーとう政治せいじとしておう璽尚しょなどの官職かんしょくつとめた。スコットランドとの連合れんごう委員いいんにもなった[7]1703ねん3月23にちにはバッキンガム=ノーマンビー公爵こうしゃく叙位じょいされた[6]。また1702ねんから1703ねんにかけてアーリントン・ハウスを改築かいちくしてバッキンガム宮殿きゅうでん前身ぜんしんバッキンガム・ハウスを建設けんせつした人物じんぶつである[7]

初代しょだいこう死後しご生存せいぞんしていた唯一ゆいいつ嫡出ちゃくしゅつジョン (1716–1735)爵位しゃくい継承けいしょうしたが、子供こどものこさずにわかくして死去しきょ保有ほゆう爵位しゃくいすべてが廃絶はいぜつした[6]財産ざいさんだい部分ぶぶん嫡出ちゃくしゅつにあたる異母いぼけいチャールズ・ハーバート・シェフィールド英語えいごばんにわたった[6]。バッキンガム・ハウスもかれ相続そうぞくしているが、1762ねん国王こくおうジョージ3せいに8,000ポンドで売却ばいきゃくしており、ジョージ3せいはここを王妃おうひシャーロット住居じゅうきょとし、のちにバッキンガム宮殿きゅうでんとなった[7]

1822ねん-1889ねんのバッキンガム=シャンドスこう(グレンヴィル

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首相しゅしょうジョージ・グレンヴィル息子むすこ外務がいむ大臣だいじんつとめた初代しょだいバッキンガム侯爵こうしゃくジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル息子むすこであるリチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル (1776–1839) は、1796ねんにはだい3だいシャンドス公爵こうしゃくジェイムズ・ブリッジス一人娘ひとりむすめアンと結婚けっこんし、「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」せい改姓かいせいし、1813ねんちちでバッキンガム侯爵こうしゃく (Marquess of Buckingham)テンプル伯爵はくしゃく (Earl Temple)ニュージェント伯爵はくしゃく英語えいごばん(Earl Nugent)コバム子爵ししゃく (Viscount Cobham)コバムのコバム男爵だんしゃく (Baron Cobham, of Cobham)継承けいしょうしたのち1822ねん2がつ4にちバッキンガム=シャンドス公爵こうしゃく (Duke of Buckingham and Chandos)シャンドス侯爵こうしゃく (Marquess of Chandos)ストーのテンプル伯爵はくしゃく (Earl Temple of Stowe)じょされた。このうちストーのテンプル伯爵はくしゃくには、孫娘まごむすめアンとその男系だんけい男子だんし継承けいしょう可能かのう特別とくべつ継承けいしょうしゃ規定きていけられていた。かれ一人ひとり息子むすこテンプルはくリチャードにはこの時点じてんでは子供こどもむすめのアンしかいなかったためである(テンプルはくはこの翌年よくねんの1823ねん男子だんしリチャードもうけている)[8]

初代しょだいこう死後しご息子むすこのリチャード (1797–1861) が2だいおおやけ継承けいしょうし、かれ死後しごはその息子むすこリチャード (1823–1889) が3だいおおやけ継承けいしょう。3だいこう保守党ほしゅとう政権せいけん枢密院すうみついん議長ぎちょう在職ざいしょく1866ねん-1867ねん)や植民しょくみん大臣だいじん在職ざいしょく1867ねん-1868ねん)をつとめた[8]かれだい1868ねん7がつ21にちにはスコットランド貴族きぞく爵位しゃくいキンロスきょうちちから継承けいしょうしていたことがみとめられた[8]

男子だんしがない3だいこう死後しご、バッキンガム=シャンドス公爵こうしゃくはじめ保有ほゆう爵位しゃくいおおくは廃絶はいぜつしたが、特別とくべつ継承けいしょうしゃ規定きていがある爵位しゃくいはいくつかのこった。キンロスきょうは3だいこう長女ちょうじょメアリー、コバム子爵ししゃく親族しんぞくだい5だいリトルトン男爵だんしゃく英語えいごばんチャールズ・リトルトン英語えいごばん、ストーのテンプル伯爵はくしゃくおいウィリアム・ゴア=ラントン英語えいごばんがそれぞれ継承けいしょうしている[8]

歴代れきだい当主とうしゅ一覧いちらん

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バッキンガムこう (1444ねん)

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肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら 称号しょうごう
初代しょだいバッキンガム公爵こうしゃく
ハンフリー・スタッフォード
(Humphrey Stafford)
(1402–1460)
1444ねん9月14にち
- 1460ねん7がつ10日とおか
5だいスタッフォードはく英語えいごばん スタッフォード伯爵はくしゃく
スタッフォード男爵だんしゃく英語えいごばん
だい2だいバッキンガム公爵こうしゃく
ヘンリー・スタッフォード
(Henry Stafford)
(1454–1483)
1460ねん7がつ10日とおか
- 1483ねん11月2にち
先代せんだいまご
だい3だいバッキンガム公爵こうしゃく
エドワード・スタッフォード
(Edward Stafford)
(1478–1521)
1485ねん11月
- 1521ねん5月13にち
先代せんだい
大逆だいぎゃくざい処刑しょけい私権しけん剥奪はくだつ

バッキンガムこう (1623ねん)

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肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら 称号しょうごう
初代しょだいバッキンガム公爵こうしゃく
ジョージ・ヴィリアーズ
(George Villiers)
(1592–1628)
1623ねん5月18にち
- 1628ねん8がつ23にち
ジョージ・ヴィリアーズ英語えいごばん バッキンガム侯爵こうしゃく
バッキンガム伯爵はくしゃく英語えいごばん
コヴェントリー伯爵はくしゃく英語えいごばん
ヴィリアーズ子爵ししゃく
ワッドンのワッドン男爵だんしゃく
2だいバッキンガム公爵こうしゃく
ジョージ・ヴィリアーズ
(George Villiers)
(1628–1687)
1628ねん8がつ23にち
- 1687ねん4がつ16にち
先代せんだい バッキンガム侯爵こうしゃく
バッキンガム伯爵はくしゃく
コヴェントリー伯爵はくしゃく
ヴィリアーズ子爵ししゃく
ド・ロス男爵だんしゃく英語えいごばん
ワッドンのワッドン男爵だんしゃく
死後しごド・ロス男爵だんしゃく帰属きぞくしゃ確定かくてい(abeyance)。廃絶はいぜつ

バッキンガム=ノーマンビーこう (1703ねん)

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肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら 称号しょうごう
初代しょだいバッキンガム=ノーマンビー公爵こうしゃく
ジョン・シェフィールド
(John Sheffield)
(1648–1721)
1703ねん3月23にち
- 1721ねん2がつ24にち
2だいマルグレイヴはく英語えいごばん ノーマンビー侯爵こうしゃく
マルグレイヴ伯爵はくしゃく英語えいごばん
シェフィールド男爵だんしゃく
だい2だいバッキンガム=ノーマンビー公爵こうしゃく
ジョン・シェフィールド
(John Sheffield)
(1716–1735)
1721ねん2がつ24にち
- 1735ねん10月30にち
先代せんだい
死後しごぜん爵位しゃくい廃絶はいぜつ

バッキンガム=シャンドスこう (1822ねん)

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肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら 称号しょうごう
初代しょだいバッキンガム=シャンドス公爵こうしゃく
リチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル
(Richard Plantagenet Campbell Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville)
(1776–1839)
1822ねん2がつ4にち
- 1839ねん1がつ17にち
初代しょだいバッキンガムこう バッキンガム侯爵こうしゃく
シャンドス侯爵こうしゃく
テンプル伯爵はくしゃく
ニュージェント伯爵はくしゃく英語えいごばん
ストーのテンプル伯爵はくしゃく
コバム子爵ししゃく
コバム男爵だんしゃく英語えいごばん
だい2だいバッキンガム=シャンドス公爵こうしゃく
リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル
(Richard Plantagenet Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville)
(1797–1861)
1839ねん1がつ17にち
- 1861ねん7がつ29にち
先代せんだい バッキンガム侯爵こうしゃく
シャンドス侯爵こうしゃく
テンプル伯爵はくしゃく
ニュージェント伯爵はくしゃく
ストーのテンプル伯爵はくしゃく
コバム子爵ししゃく
キンロスきょう
コバム男爵だんしゃく
だい3だいバッキンガム=シャンドス公爵こうしゃく
リチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル
(Richard Plantagenet Campbell Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville)
(1823–1889)
1861ねん7がつ29にち
- 1889ねん3月26にち
先代せんだい
死後しごストーのテンプル伯爵はくしゃく、コバム子爵ししゃく、キンロスきょうのぞぜん爵位しゃくい廃絶はいぜつ

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Buckingham, Duke of (E, 1444 - 1521)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ キング 2006, p. 308.
  3. ^ a b c 松村まつむらたけし & 富田とみた虎男とらお 2000, p. 102.
  4. ^ 青山あおやま吉信よしのぶ(へん) 1991, pp. 442–443.
  5. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Buckingham, Duke of (E, 1623 - 1687)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Buckingham & Normanby, Duke of (E, 1702/3 - 1735)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e もりまもる 1994, p. 184.
  8. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Buckingham and Chandos, Duke of (UK, 1822 - 1889)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • キング, エドマンド『中世ちゅうせいのイギリス』慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2006ねんISBN 978-4766413236 
  • 松村まつむらたけし富田とみた虎男とらおえいべい辞典じてん研究けんきゅうしゃ、2000ねんISBN 978-4767430478 
  • もりまもる英国えいこく王室おうしつ事典じてん大修館書店たいしゅうかんしょてん、1994ねんISBN 978-4469012408