(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ビデオゲームの墓場 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ビデオゲームの墓場はかば

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビデオゲームの墓場はかば
Atari 2600本体ほんたい。カートリッジととも埋立うめたて処分しょぶんされた[1] 地図
日付ひづけ 1983ねん9がつ26にち (1983-09-26)
場所ばしょ ニューメキシコしゅうアラモゴード
座標ざひょう 北緯ほくい3253ふん11.87びょう 西経せいけい10557ふん38.69びょう / 北緯ほくい32.8866306 西経せいけい105.9607472 / 32.8866306; -105.9607472
テンプレートを表示ひょうじ

ビデオゲームの墓場はかば(ビデオゲームのはかば、Atari video game burial)もしくはAtari(アタリ表記ひょうき場合ばあいもある)のはか[2]とは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニューメキシコしゅうアラモゴード存在そんざいする俗称ぞくしょう1983ねんアタリ大量たいりょう在庫ざいこゲームカートリッジ・ゲーム本体ほんたい処分しょぶんした地点ちてんである。

頂点ちょうてんからの凋落ちょうらく

[編集へんしゅう]

1976ねん[ちゅう 1]、ワーナー・コミュニケーションズ(げんワーナー・ブラザース・ディスカバリー)に2800まんドルで買収ばいしゅうされたアタリは、1982ねんには市場いちば価値かちが20おくドルにまで成長せいちょう[5]当時とうじのビデオゲーム市場いちばはアタリがシェアの80%をめる[5]など隆盛りゅうせいきわめ、ワーナーの営業えいぎょう利益りえきやく65 - 70%はアタリのげでつほどであった[5][6]

アーケードゲーム家庭かていよう移植いしょくおもとするアタリは、『アステロイド』や『スペースインベーダー』などの移植いしょくばんだいヒットを記録きろく。そのながれをけ、1982ねん3がつにはアーケードゲームとして根強ねづよ人気にんきがあった『パックマン』英語えいごばんAtari 2600以下いか「2600」と表記ひょうきよう移植いしょくし、当時とうじの2600の出荷しゅっか台数だいすう・1000まんだいゆうえる1200まんほん出荷しゅっか計画けいかくてた[5]。これにより5おくドルの売上うりあげだかをソフトのみで見込みこんだほか、本体ほんたい出荷しゅっか台数だいすう相乗そうじょう効果こうかすうひゃくまんだいびると予測よそくしたが[7][8]市場いちば出回でまわったソフトの劣悪れつあく内容ないよう[5]から、700まんほん出荷しゅっか記録きろくとは裏腹うらはらに500まんほんのデッドストックをみ、相当そうとうすう返品へんぴんされたという[7][9]

この失敗しっぱいからほどなくしてワーナーとスティーヴン・スピルバーグあいだ交渉こうしょうおこなわれ、映画えいがE.T.』のゲーム決定けっていほんさく映画えいがベースのストーリーながら完全かんぜん新作しんさく既存きそんアーケード作品さくひん移植いしょくではない)として製作せいさく開始かいししたが[5]せまったクリスマスシーズンにわせるため、プログラマーであるハワード・スコット・ウォーショウが1めい、かつ短期間たんきかん開発かいはつおこなった。完成かんせいにこぎつけた一方いっぽう性急せいきゅうかつリソース不足ふそく開発かいはつ無理むりたたり、発売はつばい前後ぜんこうすで内容ないよう劣悪れつあくさを酷評こくひょうされ、発売はつばいがつの1982ねん12月には製造せいぞうした500まんほん[5]のうちの150まんほんれたのみで、半数はんすう以上いじょう在庫ざいこした[10]。『ビルボードによれば「競争きょうそう激化げきかとともに小売こうり業者ぎょうしゃはアタリへ返品へんぴん要求ようきゅうをしたが、この大量たいりょう不良ふりょう在庫ざいこ一因いちいんであった」としている[11]

一方いっぽう、『パックマン』や『E.T.』で軒並のきなたか売上うりあげ予測よそくしていたアタリは、販売はんばいてんへ1982年度ねんどぶん注文ちゅうもんいちれるよう要請ようせい。また、どう年度ねんどだい4四半期しはんきにはよく1983年度ねんど成長せいちょうりつを50%と見込みこんでいたが[5]予想よそう以上いじょう販売はんばいなやみで販売はんばいてんがわから大量たいりょう返品へんぴんおこなわれたために、すうひゃくまんほんものデッドストックをかか[5]、12月7にち報告ほうこくしょで「売上うりあげだかが10 - 15%程度ていど上昇じょうしょう」と下方かほう修正しゅうせいする[5]報告ほうこくしょ発表はっぴょう翌日よくじつにはワーナーの株価かぶかが1/3まで下落げらくし、四半期しはんき終了しゅうりょうには56%の利益りえきげんまねいたほか[5]、アタリのCEOであったレイ・カサール (Ray Kassarが「業績ぎょうせき報告ほうこくしょ発表はっぴょう23ふんまえ自社じしゃかぶ5000かぶ売却ばいきゃくした」として、インサイダー取引とりひき容疑ようぎ取調とりしらべをける事態じたいとなる。嫌疑けんぎ自体じたいのちれたものの、7がつには辞任じにんいたった[12]

これらの要因よういんかさなった結果けっか、アタリは1983ねんには5おくドル以上いじょう損失そんしつし、1985ねんにはワーナーからも売却ばいきゃくされている[5]

廃棄はいき処分しょぶん

[編集へんしゅう]

1983ねん9がつ、アラモゴードの地元じもとであるアラモゴード・デイリー・ニュースは、一連いちれん記事きじちゅうで「エルパソ倉庫そうこからセミトレーラー10 - 20だいぶん[13]本体ほんたい・カートリッジをはこし、処分しょぶんじょう廃棄はいきした」ことをほうじた。処分しょぶんじょうは「こされることがない」という理由りゆうから選定せんていされ、夜間やかん作業さぎょうおこなわれた。ゲーム本体ほんたい廃棄はいき理由りゆうについては、この時点じてんで「2600から(後継こうけいの)Atari 5200へのえのため[14]」と「一切いっさい廃棄はいきされていない[15]」の2せつ存在そんざいし、アタリの役員やくいんサイドは「返品へんぴんちゅうから“修理しゅうり不能ふのうひん”を会社かいしゃがわ判断はんだんし、アラモゴードにおくった」とべている[13]

9月27にちには、UPI通信つうしんしゃ目撃もくげきしゃ談話だんわとして「『E.T.』『パックマン』『ミズ・パックマン』などのゲームや、ゲーム本体ほんたい高額こうがくパソコン処分しょぶんした」[16]、9月28にちにはナイトリッダー英語えいごばんが「地元じもと子供こどもたちが処分しょぶんじょうからぬすした」ことをほうじ、後者こうしゃ報道ほうどうでは「“アタリのはか”を盗掘とうくつして『E.T.』、『レイダース/うしなわれたアーク《せいひつ』、『ディフェンダー』、『Berzerk』といったゲームをしている」ともつたえている[17]。また、同日どうじつにはニューヨーク・タイムズも「アタリの代表だいひょう在庫ざいこはこんだことをみとめた」とつたえた[18]

処分しょぶんされた物品ぶっぴん具体ぐたいてき部分ぶぶんかんしては、情報じょうほう錯綜さくそうから結論けつろんずにいた[5]。アラモゴード・デイリー・ニュースの「City to Atari: 'E.T.' trash go home」という記事きじ見出みだ[ちゅう 2]は“E.T.がめられた”ことの示唆しさともれるが、記事きじないでは「見出みだしにあるE.T.とは『域外いきがい (Extra-territorial)』の意味いみ」とぼかし、具体ぐたいてき物品ぶっぴん特定とくていしてはいない[13]

9月29にちには「処分しょぶんぶつへのコンクリート処理しょり」といった、廃棄はいきぶつ処理しょりとしては異例いれい作業さぎょう開始かいし。このときアラモゴード・デイリー・ニュースの報道ほうどうでは、匿名とくめい作業さぎょうしゃの「動物どうぶつ死体したいがあるから、子供こどもたちがかえしたさい怪我けがふせぐため」といった作業さぎょう理由りゆう記載きさいした[15]結局けっきょく、この大量たいりょう処分しょぶんからの抗議こうぎけ、当局とうきょく人間にんげんからはエルパソが産業さんぎょう廃棄はいきぶつ処分しょぶんじょうすことを憂慮ゆうりょする声明せいめいされた[13]地元じもと管理かんりかんには迅速じんそく処分しょぶん停止ていしめいじられ、アラモゴードではのち緊急きんきゅう管理かんりほう (Emergency Management Act) を可決かけつ。また、緊急きんきゅう管理かんり特別とくべつ委員いいんかい (Emergency Management Task Force) を設立せつりつして産業さんぎょう廃棄はいきぶつ処理しょり業者ぎょうしゃ一定いってい制限せいげんもうけるようにした[15]

発掘はっくつ、「Tularosa Basin Museum of History」(英語えいごばん)というアラモゴードの歴史れきしについての展示てんじひんだけでなく、ビデオゲームのはかから発掘はっくつされたゲームもかざっている博物館はくぶつかん館長かんちょうであり、当時とうじ廃棄はいきした会社かいしゃべつ廃棄はいき会社かいしゃはたらいていたジョー・レヴァンドフスキは、「住民じゅうみんは(廃棄はいきされた)初日しょにちからっていました。というのも廃棄はいきじょう作業さぎょういん息子むすこ学校がっこうおしえてしまったんです。警備けいびいんもないような場所ばしょなのでどもたちは夜中よなかしのみました。正確せいかくには3にんの10代グループが、なんせんものゲームをかえし、ピックアップトラックいちはいにゲームをぬすんでかえっていきました。」とかたったのち、「埋立うめたてからこれ以上いじょうゲームがぬすまれないように、セメントトラックでゲームのうえにコンクリートをながしました。」とアラモゴード・デイリー・ニュースの報道ほうどう実際じっさい理由りゆうすこちがうとべていた[19]

都市とし伝説でんせつ

[編集へんしゅう]

様々さまざま媒体ばいたいから発生はっせいした情報じょうほうソースが憶測おくそく憶測おくそくび、最終さいしゅうてきには「のこりの『E.T.』が350まんほんちかめられ、コンクリートめになっている」というせつにまで発展はってん[20]し、2600よう周辺しゅうへん機器ききとして発売はつばい予定よていだった「『Atari Mindlink英語えいごばん』の試作しさくひんめられた」せつまれた[21]。また、情報じょうほう錯綜さくそうから当初とうしょは「細部さいぶちがいについては信頼しんらいできない」とされたはなしが、「はなし信憑しんぴょうせいうすい」「『E.T.』の処分しょぶんそのものが都市とし伝説でんせつ」という論調ろんちょうまで登場とうじょうした[22]。このほか、「アタリショックこした業界ぎょうかい全体ぜんたい低迷ていめいのきっかけ」と勘違かんちがいされる(間接かんせつてき原因げんいんではある)事象じしょうもあり[23]事業じぎょう傲慢ごうまんになることの警鐘けいしょうとしてもよくいにされる[24][25][26]が、アタリはこれらの行為こうい節税せつぜい目的もくてき実行じっこうしたことから、厳密げんみつには意味合いみあいがことなる[25]

2004ねん4がつには、プログラマーだったウォーショウが「大量たいりょうのゲームが処分しょぶんされたことはしんじていない」「アタリが慣例かんれいてきっていた“わせ販売はんばいすじ商品しょうひん不人気ふにんき商品しょうひんわせて販売はんばいてんらせる)”が、特定とくてい失敗しっぱいさくよりアタリの没落ぼつらくおおきな影響えいきょうあたえた」との見方みかたしめしている[27]。アタリ没落ぼつらく原因げんいんについてはIGNのトラヴィス・ファスも同様どうよう見解けんかいち、「大量たいりょう不良ふりょう在庫ざいこというアタリの問題もんだいは、2600のきを過大かだい評価ひょうかしたことからしょうじたもので、個々ここのゲームのしつによるものではない」とかんがえている[28]。『パシフィック・ヒストリカル・レビュー』の執筆しっぴつしゃであるジョン・ウィルズも「処分しょぶん都市とし伝説でんせつ」とており、「よくられてはいるが検証けんしょうされたことはない」「トリニティ実験じっけんロズウェル事件じけん現場げんばちかくでこり、なになぞめいた砂漠さばく地帯ちたいであったことも、このはなし神話しんわしていくことにつながったのだろう」とした[29]

ポップ・カルチャーではこのいちけん揶揄やゆした作品さくひんおおく、ウィンターグリーン英語えいごばんの「When I Wake Up」のミュージック・ビデオでは、バンドが処分しょぶんじょうまでたびをし、てられたカートリッジをこすといったものになっている[30]。この映像えいぞう監督かんとくしたキース・スコフィールド (Keith Schofieldはビデオゲームを題材だいざいにしたミュージック・ビデオを以前いぜんにも製作せいさくしている[31]D・B・ワイス小説しょうせつラッキー・ワンダー・ボーイ英語えいごばん』はアラモゴードの郊外こうがいのシーンで、二人ふたり登場とうじょう人物じんぶつ処分しょぶんじょううえつくられた駐車ちゅうしゃじょうについて議論ぎろんをさせている[32]映画えいがAngry Video Game Nerd: The Movie 』では処分しょぶんじょうがストーリーの中心ちゅうしんとなっている[33]

発掘はっくつ

[編集へんしゅう]
発掘はっくつ様子ようす
発掘はっくつされた『E.T.』、『センティピード』、そののアタリしゃ製品せいひん(2014ねん)

2013ねん5がつ28にち、アラモゴード委員いいんかいがカナダのエンターテイメント企業きぎょうフューエル・インダストリー」に、半年はんとし期限きげんもうけた処分しょぶんじょう発掘はっくつ関連かんれんしてドキュメンタリー映像えいぞう製作せいさくする許可きょかあたえた[34]発掘はっくつ実行じっこうはニューメキシコしゅう環境かんきょうきょく環境かんきょう保護ほご廃棄はいきぶつから「潜在せんざいてき危険きけんがある」という指摘してきけ、計画けいかく段階だんかい中止ちゅうしされていたが、問題もんだい解決かいけつから2014ねん4がつからの実施じっし決定けってい[35]

発掘はっくつ同年どうねん4がつ26にちはじまり、一般いっぱん公開こうかいおこなわれた[36][37]。プログラマーのウォーショウにくわえ、今回こんかい工程こうていったドキュメント『Atari: Game Over』からは監督かんとくザック・ペン脚本きゃくほんアーネスト・クライン発掘はっくつ同行どうこうした[38][39]同日どうじつには『E.T.』が発掘はっくつされたことで都市とし伝説でんせつ真実しんじつとなった[40]が、当時とうじアタリで処分しょぶん責任せきにんしゃ担当たんとうしたジェームズ・ヘラーは「実際じっさい埋設まいせつしたのは728,000ほんである」としている[41]てられたカートリッジは大半たいはん予想よそうよりもふか場所ばしょ存在そんざいし、発掘はっくつむずかしさから1,300ほんのみを採掘さいくつあなもどされた[42]

9がつ10日とおか、アラモゴード委員いいんかい発掘はっくつした1,300ほんのうち800ほんをオークションサイト・eBay販売はんばいする決定けっていおこなった[43]のこやく500ほん保管ほかんされるほか、世界中せかいじゅう博物館はくぶつかん寄贈きぞうされる予定よていである[43]

ATARI GAME OVER

[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつした発掘はっくつ模様もようなどを収録しゅうろくし、映像えいぞうドキュメンタリーとしてXbox Entertainment Studios製作せいさくした作品さくひんAtari: Game Over』は2014ねんXbox OneXbox 360独占どくせん配信はいしん[44][45]。2015ねん9がつには日本にっぽんでもセルDVDソフト『ATARI GAME OVER アタリ ゲームオーバー英語えいごばん』として発売はつばいされた[46]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ About.comの記事きじ参照さんしょう[3]一部いちぶソースでは1977ねん10がつともされる[4]
  2. ^ 『E.T.』は地球ちきゅうがい生命せいめいたいの“E.T.”が自分じぶんほしかえろうとするストーリーで、見出みだぶん作中さくちゅうにE.T.がはっした台詞せりふ「E.T. go home.」のもじり。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ Hubner, John; Kistner Jr, William F (1983-12-05). “What went wrong at Atari?”. InfoWorld 5 (49): 145-155. https://books.google.co.jp/books?id=6C8EAAAAMBAJ&pg=PA145&redir_esc=y&hl=ja 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん. 
  2. ^ 都市とし伝説でんせつ本当ほんとうだった、ニューメキシコしゅうの「Atariのはか」から最悪さいあくのクソゲー『E.T.』カートリッジが発掘はっくつされる”. Game*Spark - 国内こくない海外かいがいゲーム情報じょうほうサイト. 2023ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ Atari - The History of Atari Computers” (2014ねん4がつ11にち). 2014ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ 上村うえむら雅之まさゆき細井ほそい浩一こういち中村なかむらあきらけんファミコンとその時代じだい: テレビゲームの誕生たんじょうNTT出版しゅっぱん、2013ねん、53ぺーじISBN 978-4757170469https://books.google.co.jp/books?id=tCNSJOGndeEC&pg=PA53 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m Buried Atari Cartridges”. Snopes.com (2011ねん5がつ10日とおか). 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  6. ^ Staff (2011-08). “From the Archives: Atari Inc”. Retro Gamer (93): 88. 
  7. ^ a b Staff (1998-04). “What the hell happened?”. Next Generation Magazine (Imagine Media) (40): 41. 
  8. ^ Kent, Steven (2001). “The Fall”. The Ultimate History of Video Games. Three Rivers Press. pp. 227-228. ISBN 0-7615-3643-4 
  9. ^ Goodman, Danny (Spring 1983). “Pac-Mania”. Creative Computing Video & Arcade Games 1 (1): 122. 
  10. ^ Buchanan, Levi (2008ねん8がつ26にち). “IGN: Top 10 Best-Selling Atari 2600 Games”. IGN. 2011ねん7がつ26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  11. ^ Paige, Earl (1983-01-08). “Video Game Firms Ready Formal Returns Policies”. ビルボード 95 (1): 1, 21. 
  12. ^ Hubner, John; Kistner Jr, William F (1983-11-28). “What went wrong at Atari?”. InfoWorld 5 (48): 151-158. https://books.google.co.uk/books?id=sy8EAAAAMBAJ&pg=PA151&hl=en 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん. 
  13. ^ a b c d McQuiddy, Marian (1983ねん9がつ27にち). “City to Atari: 'E.T.' trash go home”. Alamogordo Daily News. "正確せいかく台数だいすう不明ふめいである。地元じもとのBFIの職員しょくいんによれば10だいであるが、ヒューストンの広報こうほう担当たんとうしゃによれば20だいちかく、職員しょくいんは14だいであるという。" 
  14. ^ McQuiddy, Marian (1983ねん9がつ25にち). “Dump here utilized”. Alamogordo Daily News. "トレーラーの運転うんてんしゅによれば、違法いほう取引とりひきおおいため2600から5200への変更へんこうおこなわれ、そのためにはこんでいるとかたった。" 
  15. ^ a b c McQuiddy, Marian (1983ねん9がつ28にち). “City cementing ban on dumping: Landfill won't house anymore 'Atari rejects'”. Alamogordo Daily News. "自称じしょうアタリ関係かんけいしゃ匿名とくめい)のはなしでは、廃棄はいき処分しょぶんは2600から5200への移行いこうのためではなく、処分しょぶんされたのはカートリッジだけであるという。" 
  16. ^ “City dump gobbles Pacman”. The Hawk Eye. UPI通信つうしんしゃ. (1983ねん9がつ27にち) 
  17. ^ “'Pac Kids' gobble up dumped Atari cartridges”. Chronicle-Telegram. Knight-Ridder. (1983ねん9がつ28にち) 
  18. ^ Atari Parts Are Dumped”. ニューヨーク・タイムズ (1983ねん9がつ28にち). 2014ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  19. ^ (日本語にほんご) 【ゆっくり旅行りょこう】#1 クソゲーめにさん千里せんり ニューメキシコへん【ATARI 2600 E.T. アタリのはか, https://www.youtube.com/watch?v=9dssSaH-37I 2023ねん1がつ2にち閲覧えつらん 
  20. ^ Smith, Shelley (2005ねん4がつ12にち). “The 1983 Atari Titanic is rising”. Alamogordo Daily News 
  21. ^ Montfort, Nick; Bogost, Ian (2009). Racing the Beam: The Atari Video Computer System. MIT Press. p. 127. ISBN 0-262-01257-X 
  22. ^ Berens, Kate; Howard, Geoff (2008-09-16). The Rough Guide to Videogames. Rough Guides. p. 7. ISBN 1-84353-995-0 
  23. ^ Dvorak, John C (1985-08-12). “Is the PCJr Doomed To Be Landfill?”. InfoWorld 7 (32): 64. https://books.google.co.uk/books?id=Ai8EAAAAMBAJ&pg=RA1-PA64&dq=atari+landfill&hl=en#v=onepage&q=atari%20landfill&f=false 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん. 
  24. ^ a b Jary, Simon (2011ねん8がつ19にち). “HP TouchPads to be dumped in landfill?”. PC Advisor. 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  25. ^ Kennedy, James (2011ねん8がつ20日はつか). “Book Review: Super Mario - WSJ.com”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  26. ^ Phipps, Keith (2005ねん2がつ2にち). “Howard Scott Warshaw | Interview | The A.V. Club”. The A.V. Club. 2011ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  27. ^ Fahs, Travis (2008ねん12月18にち). “Revising History: The Crash of '83”. IGN. 2011ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  28. ^ Wills, John (2008). “Pixel Cowboys and Silicon Gold Mines: Videogames of the American West”. Pacific Historical Review (University of California Press) 77 (2): 273-275. doi:10.1525/phr.2008.77.2.273. JSTOR 10.1525/phr.2008.77.2.273. 
  29. ^ Keith Schofield / Wintergreen”. Keithschofield.com. 2011ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  30. ^ Brown, Damon (2006-05). “Reset for Life”. スピン: 99. https://books.google.co.jp/books?id=BvUVT5TnUCwC&pg=PT36&dq=atari+new+mexico&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=atari%20new%20mexico&f=false 2011ねん9がつ22にち閲覧えつらん. 
  31. ^ Weiss, D.B. (2003). Lucky Wander Boy. Plume. pp. 177, 193-195. ISBN 0-452-28394-9 
  32. ^ 'Angry Video Game Nerd: The Movie' - Trailer”. Cinemassacre Productions (2012ねん11月10にち). 2012ねん11月11にち閲覧えつらん
  33. ^ Goldsmith, Alex (2013ねん5がつ30にち). “Alamogordo approves Atari excavation”. KRQE. LIN Television Corporation. 2013ねん6がつ1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  34. ^ Campbell, Colin (2014ねん4がつ4にち). “Historic Atari E.T. New Mexico dig set to proceed”. Polygon. 2014ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  35. ^ Be part of video game history and come to the Atari ’E.T.’ landfill excavation April 26”. マイクロソフト (2014ねん4がつ10日とおか). 2014ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  36. ^ Nunneley, Stephanny (2014ねん4がつ10日とおか). “Microsoft invite you to attend the Atari Landfill excavation on April 26”. VG247. 2014ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん
  37. ^ Keith Stuart (2014ねん4がつ28にち). “Unearthing Atari ET: why we need to dig up an old video game”. ザ・ガーディアン. 2014ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  38. ^ Xbox Wire Staff (2014ねん4がつ10日とおか). “Witness Video Game History: Attend Atari Landfill Excavation on April 26”. 2014ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  39. ^ 都市とし伝説でんせつ本当ほんとうだった、ニューメキシコしゅう「Atariのはか」から最悪さいあくのクソゲー『E.T.』が発掘はっくつされる”. インサイド. (2014ねん4がつ27にち). https://www.inside-games.jp/article/2014/04/27/76337.html 
  40. ^ “'Worst game ever' found buried in New Mexico desert”. BBC. (2014ねん4がつ28にち). http://www.bbc.co.uk/newsround/27188901 2014ねん10がつ12にち閲覧えつらん 
  41. ^ “Unearthed E.T. Atari games will be curated by New Mexico space museum and then sold”. Polygon. (2014ねん5がつ30にち). http://www.polygon.com/2014/5/30/5764984/et-atari-buy-landfill-museum 2014ねん10がつ12にち閲覧えつらん 
  42. ^ a b “New Mexico city plans to auction excavated vintage video games”. ロイター. (2014ねん9がつ10日とおか). http://www.reuters.com/article/2014/09/10/us-usa-new-mexico-videogames-idUSKBN0H524I20140910 2014ねん10がつ12にち閲覧えつらん 
  43. ^ Atari: Game Over Trailer”. 2014ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  44. ^ Kevin Chieng (2013ねん12月19にち). “Documentary Debut on Xbox Will Explore E.T. Atari Landfill”. GameTrailers.com. 2014ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  45. ^ “Atari崩壊ほうかいまねいた「E.T.」の発掘はっくつドキュメンタリー「ATARI GAME OVER」の日本語にほんごばん発売はつばいへ”. 4Gamer.net. (2015ねん7がつ17にち). https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20150717007/ 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]
  • アタリショック
  • 赤野あかの工作こうさく - ビデオゲームの墓場はかば発掘はっくつされオークションに出品しゅっぴんされた『E.T』を落札らくさつ入手にゅうしゅしたことでられるゲームコレクター・SF作家さっか