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フリュネ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリュネがモデルだとわれているプラクシテレスクニドスのアプロディーテー』の古代こだいのレプリカ『Colonna Venus』

フリュネプリュネフリネ[1]古希こき: Φρύνη, Phryne)は、紀元前きげんぜん4世紀せいき古代こだいギリシアヘタイラ祭儀さいぎたいする不敬ふけい理由りゆう裁判さいばんにかけられたことで有名ゆうめい

生涯しょうがい

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フリュネの本名ほんみょうムネサレテ[1]ギリシャ: Μνησαρέτη, ラテン文字もじ転写てんしゃ: Mnesarete, 賛美さんびされた美徳びとくという意味いみ)であったが、顔色かおいろ黄色きいろかったため、ヒキガエルを意味いみするフリュネとばれていた[2]。これは高級こうきゅう遊女ゆうじょ売春ばいしゅんにもしばしばけられたあだであった[3]彼女かのじょボイオティアテスピアイのエピクレスのむすめであるが、アテーナイんでいた[4]正確せいかくなま没年ぼつねん不明ふめいであるが、紀元前きげんぜん371ねんごろまれた。そのとしは、レウクトラのたたかからあいだかずに、テーバイがテスピアイを撃破げきはし、住人じゅうにん排除はいじょしたとしであった[5]

名声めいせい

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アテナイオスは、フリュネについておおくの逸話いつわのこしている。かれはフリュネのうつくしさを賛美さんびし、エレウシスのポセイドーン祭儀さいぎおこなわれたさい彼女かのじょかみろし、衣服いふくいでうみはいったとつたえている。このことは、画家がかアペレスの、有名ゆうめいな『うみからがるヴィーナスアプロディーテー)』の製作せいさく意欲いよくてた。同様どうよう彼女かのじょあいした彫刻ちょうこくプラクシテレスは、古代こだいギリシアにおける、はつ女性じょせい裸体らたいぞう[6]である『クニドスのアプロディーテー』のモデルに彼女かのじょ使つかったとされる[4]

アテナイオスによれば、プラクシテレスは、彼女かのじょのためにさらにふたつの彫刻ちょうこく制作せいさくした。テスピアイの神殿しんでん奉納ほうのうされたエロース彫像ちょうぞうと、デルフォイ神殿しんでん奉納ほうのうされた、フリュネ自身じしんかたどった黄金おうごんぞうである。そのぞうは、アルキダモス3せいピリッポス2せいぞうあいだ安置あんちされていた。テーバイのクラテスがこのぞうときに「ギリシアの放蕩ほうとうねが奉納ほうのうひんだ」としょうした[4]パウサニアスは、青銅せいどう箔押はくおされたふたつのアポローンぞう彼女かのじょぞうとなりかれていたとつたえている[7]

アテナイオスは、フリュネが非常ひじょう裕福ゆうふくであり、紀元前きげんぜん336ねんアレクサンドロス大王だいおうによって破壊はかいされたテーバイの城壁じょうへき修復しゅうふく費用ひよう寄付きふもうたことをつたえている。ただし、このもうは、「アレクサンドロスにより破壊はかいされ、娼婦しょうふフリュネによって再建さいけんされた」と城壁じょうへききざむことを条件じょうけんとしていたため、テーバイじんによって拒否きょひされた[4]

文学ぶんがくでは、シャルル・ボードレール『レスボス』と『女神めがみ』、ライナー・マリア・リルケ『フラミンゴ』が、フリュネの名声めいせい霊感れいかんけてかれた。

裁判さいばん

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ジャン=レオン・ジェローム
アレオパゴス会議かいぎまえでのフリュネ(Phryné devant l'Areopage)』(1861ねん
フリュネがモデルだとわれている『Aspremont-Leyde/Arles Aphrodite』の古代こだいのレプリカ。十字架じゅうじかはなみみ損傷そんしょうペイガニズムかみ否定ひていする古代こだいじん芸術げいじゅつ破壊はかいによるもの。

フリュネの人生じんせいにおいてもっと有名ゆうめい出来事できごと裁判さいばんである。アテナイオスは、彼女かのじょうったえられ、恋人こいびと一人ひとりである雄弁ゆうべんヒュペレイデスHypereides)により弁護べんごされたとつたえている[4]。アテナイオスはその起訴きそ理由りゆうについて詳細しょうさいべていないが、にせプルタルコス(en)が、不敬ふけいによるものであるとのこしている[8]

判決はんけつ不利ふりになるかとえたとき、ヒュペレイデスが裁判官さいばんかんたち同情どうじょうようとフリュネの衣服いふくがせ、胸元むなもとあらわわにした。彼女かのじょうつくしさが、神秘しんぴてきおそれとともに裁判官さいばんかんたちむねち、かれらは「アプロディーテーのおんな預言よげんしゃであり神官しんかん」に有罪ゆうざい判決はんけつくだすことができなかった。かれらは、フリュネを可哀想かわいそうおもい、無罪むざいをいいわたしたのである[4]。アテナイオスはまた、カッサンドレイアの喜劇きげき詩人しじん・ポセイディッポス(en)の『エペシア(エペソスの少女しょうじょ)』における、この裁判さいばんについてのべつ内容ないようかたっている。かれは、フリュネが裁判官さいばんかんいちにんひとりのり、なみだながらに自身じしん生涯しょうがいについて弁護べんごしたとだけかたり、衣服いふくについてはれていない[4]

Craig Cooperは、このポセイディッポスによる逸話いつわこそが本物ほんものであり、フリュネは裁判さいばんあいだ胸元むなもとあらわにすることはかったと主張しゅちょうしている[9]

その逸話いつわ

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あるときリディアおうがフリュネをもとめたが、フリュネは法外ほうがい金額きんがく要求ようきゅうした。らない相手あいてだとおもったためである。しかしおうはその金額きんがくみ、フリュネはおう希望きぼうこたえた。

反対はんたいに、哲学てつがくしゃディオゲネスには無償むしょうでそのあたえた。ディオゲネスの精神せいしん立派りっぱだとおもったからである。ディオゲネス・ラエルティオスは、フリュネが哲学てつがくしゃクセノクラテス美徳びとく確認かくにんしようとして失敗しっぱいしたとっている[10]

ギリシアの詩人しじん著作ちょさくディミトリス・バロスDimitris Varos)は、『フリュネ』というほんいた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b フリネ』 - コトバンク
  2. ^ Plutarch, De Pythiae oraculis 14.
  3. ^ Havelock, Christine Mitchell(2010). The Aphrodite of Knidos and Her Successors: A Historical Review of the Female Nude in Greek Art. Ann Arbor: The University of Michigan Press. p. 43.
  4. ^ a b c d e f g アテナイオス食卓しょくたく賢人けんじんたち』590-591
  5. ^ Stylianou, P. J. (1988). A Historical Commentary on Diodorus Siculus, Book 15. New York: Oxford University Press. P.367.
  6. ^ Dillon, Matthew (2002). Women and Girls in Classical Greek Religion. p. 195 
  7. ^ パウサニアース『ギリシアあん内記ないき』10.5.1
  8. ^ Pseudo-Pultarch, Lives of the Ten Orators. 9.
  9. ^ Cooper, Craig (1995). "Hyperides and the trial of Phryne". Phoenix. 49 (4): 303-318.
  10. ^ ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学てつがくしゃ列伝れつでん』IV.7[1]

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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  •  この記事きじにはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくうち著作ちょさくけん消滅しょうめつしたつぎ百科ひゃっか事典じてん本文ほんぶんふくむ: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Phryne". Encyclopædia Britannica (英語えいご). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 545.