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ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵こうしゃく夫人ふじん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブランシュ・ド・フランス
Blanche de France
カペー
ブランシュ・ド・フランスの墓碑ぼひ

称号しょうごう オルレアンおおやけ
出生しゅっしょう (1328-04-01) 1328ねん4がつ1にち
フランス王国おうこく、シャトー=シュル=ロワール
死去しきょ (1393-02-08) 1393ねん2がつ8にち(64さいぼつ
フランス王国おうこくヴァンセンヌ
埋葬まいそう フランス王国おうこくサン=ドニだい聖堂せいどう
配偶はいぐうしゃ オルレアンこうフィリップ
家名かめい カペー
父親ちちおや フランスおうシャルル4せい
母親ははおや ジャンヌ・デヴルー
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ブランシュ・ド・フランス(Blanche de France, 1328ねん4がつ1にち - 1393ねん2がつ8にち)は、フランスおうシャルル4せいと3番目ばんめ王妃おうひジャンヌ・デヴルーむすめ。シャルル4せい死後しご誕生たんじょうした末子まっしである。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

カペー嫡流ちゃくりゅうはシャルル4せいによって男子だんしえたものの、王妃おうひジャンヌはおっと死去しきょした1328ねん2がつ時点じてんだい3懐妊かいにんちゅうであり(すでに夭逝ようせいしていただい1ジャンヌ、当時とうじはまだ存命ぞんめいだい2マリーとも女子じょしであった)、男子だんし出産しゅっさん期待きたいされた。しかしまれたのが女子じょしブランシュであったため、カペーあさ断絶だんぜつ確定かくていし、サリカほう根拠こんきょヴァロワフィリップ6せい即位そくいした。ただしカペー女子じょしほかにも、シャルル4せい長兄ちょうけいルイ10せいむすめジャンヌ次兄じけいフィリップ5せいむすめジャンヌマルグリットほか2にんといった、ブランシュの従姉じゅうしにあたる王女おうじょがおり、ルイ10せいむすめのジャンヌにはナバラ王国おうこく(カペーあさ末期まっきにフランスおう王位おういねていた)の王位おうい継承けいしょうみとめられた。

1345ねん、ブランシュは父方ちちかた母方ははかた双方そうほうまた従弟じゅうていたる、フィリップ6せい息子むすこオルレアンこうフィリップ結婚けっこんした。2人ふたりあいだ子供こどもはなく、ブランシュはおっとフィリップと1376ねん死別しべつした。

死後しご、ブランシュはサン=ドニだい聖堂せいどうほうむられた。