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プエブラ

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プエブラ
Skyline of プエブラ
プエブラの旗
はた
プエブラの公式印章
印章いんしょう
愛称あいしょう: 
Angelópolis
プエブラの位置(プエブラ州内)
プエブラ
プエブラ
プエブラの位置(メキシコ内)
プエブラ
プエブラ
座標ざひょう北緯ほくい193ふん0びょう 西経せいけい9812ふん00びょう / 北緯ほくい19.05000 西経せいけい98.20000 / 19.05000; -98.20000座標ざひょう: 北緯ほくい193ふん0びょう 西経せいけい9812ふん00びょう / 北緯ほくい19.05000 西経せいけい98.20000 / 19.05000; -98.20000
くに メキシコの旗 メキシコ
しゅう プエブラしゅう
筆頭ひっとう プエブラ・デ・サラゴサ
面積めんせき
 • 基礎きそ自治体じちたい 546 km2
標高ひょうこう
2,175 m
人口じんこう
(2020)[1]
 • 基礎きそ自治体じちたい 1,692,181にん
 • 密度みつど 3,100にん/km2
 • 都市としけん
3,199,530にん
 • 筆頭ひっとう
1,542,232にん
ウェブサイト www.pueblacapital.gob.mx

プエブラ西にし: Puebla)は、メキシコプエブラしゅう基礎きそ自治体じちたい(ムニシピオ)のひとつで、その中心地ちゅうしんちプエブラ・デ・サラゴサ[2]州都しゅうとである。人口じんこう169まんにん(2020ねん)。

「プエブラ歴史れきし地区ちく」は、世界せかい遺産いさん文化ぶんか遺産いさん)に登録とうろくされている。陶器とうき(タラベラ)のまちとしても有名ゆうめいである。別名べつめいは「天使てんしまち」。

地理ちり[編集へんしゅう]

産業さんぎょう[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

植民しょくみん時代じだい[編集へんしゅう]

スペインじん到来とうらい以前いぜん、この一帯いったいはクエトラシュコアパン(Cuetlaxcoapan)とばれ[4]かみ生贄いけにえるためのはな戦争せんそうだった[5]

プエブラは、1531ねんにクエトラシュコアパン盆地ぼんちのサンフランシスコがわ東岸とうがんに、修道しゅうどうトリビオ・パラデスによって、既存きそん先住民せんじゅうみん都市とし基盤きばんとせず、スペインじん都市としとして設立せつりつされた[5]翌年よくねんスペイン王妃おうひイサベル・デ・ポルトゥガルによって都市とし承認しょうにんされ、シウダー・デ・ロス・アンヘレス(天使てんし都市とし)のあたえられた[5]

メキシコに赴任ふにんした最初さいしょ司教しきょうであるフリアン・ガルセス (Julián Garcésは、はじめトラスカラ司教しきょうとしたが、1539ねんにプエブラ・デ・ロス・アンヘレスにうつった[6]

公式こうしき設立せつりつ年月日ねんがっぴは1531ねん4がつ16にちであるが、ないかわ氾濫はんらんにより、この最初さいしょ定住ていじゅう失敗しっぱいわった。サンフランシスコがわ、アトヤックがわ、アルセセカがわなどのかわが、プエブラたにながれている。このたには、先住民せんじゅうみん都市とし国家こっかせっしていて、植民しょくみん都市としチョルーラトラスカラ、フエゴチンゴ、テペカへとわり、それらの植民しょくみん都市としにはおおくの先住民せんじゅうみんんでいた。創設そうせつ、このたにメキシコシティベラクルスと、カリブ海かりぶかいきしみなととのあいだ主要しゅようルートとなり、スペインへの接続せつぞくポイントとなった。 プエブラは、ヌエバ・エスパーニャ主要しゅようみなと首都しゅとなかあいだ地点ちてんにあり、おおくの先住民せんじゅうみんぞくかかえ、スペインじん入植にゅうしょくしゃ数多かずおおかかえていたため、ヌエバ・エスパーニャの歴史れきしなか重要じゅうよう都市とし地域ちいきであった。プエブラは、商業しょうぎょうよう農産物のうさんぶつ首都しゅと供給きょうきゅうし、地域ちいき繊維せんい生産せいさん中心ちゅうしんとなった。プエブラはメキシコの北部ほくぶとくにサカテカス周辺しゅうへん銀鉱ぎんこう地帯ちたいむすびついていた。 人口じんこうだい部分ぶぶんはサンフランシスコがわ西岸せいがんから高地こうち移住いじゅうした。もと定住ていじゅうにはいくつかの家族かぞくのこって、アルト・デ・サンフランシスコ(Alto de San Francisco)と改名かいめいされた。スペイン王室おうしつは、エンコミエンダせい濫用らんようされ、おおくのスペインじん土地とちうしなっていたため、エンコミエンダせい採用さいようしない都市としとして、プエブラの設立せつりつ支援しえんした。

プエブラは1538ねん紋章もんしょうを、1558ねんには「Noble y Leal」(高貴こうき忠実ちゅうじつ都市とし)の称号しょうごうを、1561ねんには「Muy Noble y Leal Ciudad」(非常ひじょう高貴こうき忠実ちゅうじつ都市とし)の称号しょうごうを、1576ねんに「Muy Noble y Muy Leal Ciudad」(非常ひじょう高貴こうき非常ひじょう忠実ちゅうじつ都市とし)の称号しょうごう[5]

Capilla de Nuestra Señora del Rosarioは、かつては「世界せかいの8番目ばんめ不思議ふしぎ」としてられていたメキシコバロックの傑作けっさくである。 まちのレイアウトは、今日きょうソカロ(Zócalo)とばれるメイン広場ひろば中心ちゅうしんに、古典こてんてきなスペインの設計せっけいである。このメイン広場ひろばはもともと長方形ちょうほうけいであったが、みにくいとかんがえられていたため、のち正方形せいほうけいとなった。都市としのもうひとつの主要しゅよう特徴とくちょうは、先住民せんじゅうみん売人ばいにんが、食料しょくりょうひん食料しょくりょうひんあつめて人々ひとびとるウィークリー・マーケット(ティアンギス)であった。16世紀せいきなかばまでに、メイン広場ひろばみず供給きょうきゅうされ、あたらしく設置せっちされた噴水ふんすいおくられた。16世紀せいきまつまでに、都市としは120ブロックを占有せんゆうし、そのだい部分ぶぶん建設けんせつちゅうであり、あたらしいだい聖堂せいどうは1575ねん建設けんせつ開始かいしされた。のぞましい気候きこう戦略せんりゃくじょうすぐれた立地りっちにより、都市とし繁栄はんえいし、急速きゅうそくにヌエバ・エスパーニャで2番目ばんめ重要じゅうよう都市としとなった。ヌエバ・エスパーニャの著名ちょめいな17世紀せいき作曲さっきょくであるJuan Gutiérrez de Padillaは、やく1620ねんから1664ねんかれ人生じんせいのほとんどをだい聖堂せいどうごした。 プエブラ市議会しぎかいは、スペインじんだけで構成こうせいされ、とその管轄かんかつ土地とち政治せいじにおいて、ある程度ていど自治じちけんっていた。市議会しぎかいは、1755ねんにアモソク(Amozoc)、トティメワカン(Totimehuacán)、クワウティンチャン(Cuautinchán)のまちをその領土りょうど併合へいごうした。1786ねんまでに、プエブラの土地とちはベラクルスからゲレロしゅうにまでたっした。都市とし成長せいちょうつづけ、17世紀せいきと18世紀せいきには、より統制とうせいされた。あたらしい市庁舎しちょうしゃが1714ねん建設けんせつされ、メイン広場ひろばのティアンギス(市場いちば)は1770年代ねんだいに、木製もくせい屋台やたいへとわった。とおりは1786ねんと1811ねんあいだいし舗装ほそうされた。 商業しょうぎょう活動かつどうは19世紀せいきはじめまでにメイン広場ひろばから完全かんぜんされ、サンフランシスコ・パリアン市場いちばかれた。サン・ルイス、サン・アントニオ、エル・カルメン、ラ・コンコルディア、サンタ・イネスなどのほか広場ひろば建設けんせつされた。おも広場ひろばはいくつかの変容へんようけ、彫像ちょうぞう庭園ていえんくわわった。メキシコ独立どくりつ戦争せんそうあいだ、プエブラのおも役割やくわりは、独立どくりつ計画けいかく印刷いんさつ配布はいふであった。1827ねん独立どくりつ、すべてのスペインじん半島はんとうじん)が土地とちから追放ついほうされた。

共和きょうわこく時代じだい初期しょき[編集へんしゅう]

1847ねんに、ウィンフィールド・スコット将軍しょうぐんべいぐん無血むけつ奪取だっしゅされた。アメリカの守備しゅびたいは9月14にちから1847ねん10がつ12にちまで、ホアキン・レア将軍しょうぐん正規せいきぐんにより包囲ほういされ、のちアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナによってぞうぐんされた。1847ねん10がつ9にちウラントラのたたかでサンタ・アナをかしたのち、ベラクルスからプエブラにかってジョセフ・レーン将軍しょうぐん軍隊ぐんたいにより、包囲ほうい崩壊ほうかいした。プエブラは、べいぐん連絡れんらくせん攻撃こうげきしていたレア将軍しょうぐんのゲリラにたいするレーン将軍しょうぐん軍事ぐんじ作戦さくせん拠点きょてんとなった。グアダルーペ・イダルゴ条約じょうやく批准ひじゅんされたのちの、1848ねん7がつ、これらのぐん残留ざんりゅうしていた。 1862ねん5がつ5にちプエブラの会戦かいせんにおける、メキシコへのフランスの介入かいにゅうあいだ、イグナシオサラゴサ指揮しきのメキシコ防衛ぼうえいぐんが、当時とうじ世界せかい最強さいきょうであるとかんがえられたシャルル・ド・ロレンス英語えいごばん指揮しきのフランスぐんかした。都市とし名前なまえは1862ねんにプエブラ・デ・サラゴサに変更へんこうされ、ベニート・フアレス発行はっこうした法令ほうれいにより、5月5にち(Cinco de Mayo)が、主要しゅよう年次ねんじイベントとなった。1863ねんにフランスじんふたたがい襲撃しゅうげきし、成功せいこうした。フランスぐんは1866ねんまでのこし、1867ねん再建さいけんはじまった。

プエブラは、19世紀せいきまつから20世紀せいき初頭しょとうまで、文化ぶんかてきにも経済けいざいてきにも重要じゅうよう存在そんざいであった。当時とうじは、繊維せんい産業さんぎょうさかんであった。ヨーロッパからの移民いみん奨励しょうれいされ、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス、レバノンの人々ひとびとがこの都市としむようになった。 メキシコ革命かくめい先駆さきがけとなったであり、Siblings Carmenやセルダン兄弟きょうだいが、ポルフィリオ・ディアス政権せいけんたいする最初さいしょ陰謀いんぼうひとつの背後はいごにいた。かれらの計画けいかく発見はっけんされ、オリエンテどおり6にあるかれらのいえは、連邦れんぽうぐんかこまれた。1910ねん11月18にち銃撃じゅうげきせんつづき、セルダン兄弟きょうだいんだ。メキシコ革命かくめいちゅう、パブロ・ゴンザレス・ガルザ将軍しょうぐん指揮しきぐんにより接収せっしゅうされ、その、サパティスタ(Zapatista)の支配しはいにあった。

観光かんこう[編集へんしゅう]

交通こうつう[編集へんしゅう]

スポーツ[編集へんしゅう]

ギャラリー[編集へんしゅう]

世界せかい遺産いさん[編集へんしゅう]

世界遺産 プエブラ歴史れきし地区ちく
メキシコ
ライトに照らされたプエブラ教会
ライトにらされたプエブラ教会きょうかい
英名えいめい Historic Centre of Puebla
ふつめい Centre historique de Puebla
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく基準きじゅん (2),(4)
登録とうろくねん 1987ねん
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

登録とうろく基準きじゅん[編集へんしゅう]

この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (2) ある期間きかんつうじてまたはある文化ぶんかけんにおいて、建築けんちく技術ぎじゅつ記念きねんてき芸術げいじゅつ都市とし計画けいかく景観けいかんデザインの発展はってんかんし、人類じんるい価値かち重要じゅうよう交流こうりゅうしめすもの。
  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Censo de Población y Vivienda 2020, INEGI, https://censo2020.mx/ 
  2. ^ 西にし: Puebla de Zaragoza
  3. ^ Historic Centre of Puebla” (英語えいご). UNESCO World Heritage Centre. 2023ねん4がつ28にち閲覧えつらん
  4. ^ Stephanie Wood, ed. (2000-2020), “Cuetlaxcoapan”, Nahuatl Dictionary, https://nahuatl.uoregon.edu/content/cuetlaxcoapan 
  5. ^ a b c d “Estado de Puebla - Puebla”, Enciclopedia de los Municipios y Delegaciones de México, http://www.inafed.gob.mx/work/enciclopedia/EMM21puebla/municipios/21114a.html 
  6. ^ “Julián Garcés (1528-1542)”, Algunas cortas biografias de obispos ejemplares del siglo XV, http://bibliotecavirtual.clacso.org.ar/ar/libros/dussel/epis/bios.pdf 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]