(Translated by https://www.hiragana.jp/)
プレンツィア - Wikipedia コンテンツにスキップ

プレンツィア

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Plentzia

プレンツィアの砂浜すなはま。ただし、写真しゃしん中央ちゅうおうおくえる建物たてものは、となりまちゴルリス公立こうりつ病院びょういんである。
しゅう  バスクしゅう
けん  ビスカヤけん
面積めんせき 11.17 km²
標高ひょうこう 19m
人口じんこう 4,344 にん (2014ねん
人口じんこう密度みつど 388.9 にん/km²
Plentziaの位置(スペイン内)
Plentzia
Plentzia
スペインないプレンツィアの位置いち
Plentziaの位置(ビスカヤ県内)
Plentzia
Plentzia
ビスカヤ県内けんないプレンツィアの位置いち

北緯ほくい4324ふん21びょう 西経せいけい0256ふん47びょう / 北緯ほくい43.40583 西経せいけい2.94639 / 43.40583; -2.94639座標ざひょう: 北緯ほくい4324ふん21びょう 西経せいけい0256ふん47びょう / 北緯ほくい43.40583 西経せいけい2.94639 / 43.40583; -2.94639

プレンツィアバスク: Plentzia)またはプレンシアスペイン: Plencia)は、スペインバスクしゅうビスカヤけんムニシピオ基礎きそ自治体じちたい)である。公式こうしきめいはバスクめいのPlentzia。2014ねん人口じんこうは4,344にん

地理ちり

[編集へんしゅう]

ビルバオからやく25 kmの距離きょり北東ほくとう)にあり[1]ビルバオ都市としけんふくまれる。面積めんせきは、やく11.17 km2[2]メトロ・ビルバオ起点きてんとなっている。自治体じちたいないではビスカイバスの2路線ろせん運行うんこうされている。

プレンツィアの気候きこう西岸せいがん海洋かいようせい気候きこう(Cfb)であり、とし平均へいきん気温きおんは14.1 ℃で、とし平均へいきん降水こうすいりょうは1233 mmほど。ただし、西岸せいがん海洋かいようせい気候きこうとはっても年中ねんじゅう降水こうすい安定あんていしているわけではなく、もっと乾燥かんそうするのは夏季かきの7がつで1ヶ月かげつ平均へいきん48 mmほどしからないのにたいして、冬季とうきの12月には1ヶ月かげつ平均へいきん163 mmと、つき平均へいきん降水こうすいりょうに4ばいちか存在そんざいする[3]。このような気候きこうのリゾートであり、プレンツィアがわ河口かこうだい規模きぼなビーチがある。半円はんえんじょうのプレンツィアわん近隣きんりんゴルリスバリカ英語えいごばん自治体じちたいにもまたがっている。

まち歴史れきしくわえて、とく商船しょうせんみなととしての歴史れきしつたえる小規模しょうきぼ市立しりつ博物館はくぶつかんがある。屋内おくないがた市立しりつバスク・ペロタ競技きょうぎじょう(フロントン)があり、バスクの伝統でんとうてきスポーツであるペロタの公式こうしきせんおこなわれることもある。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

プレンツィアのまち起源きげんは、ビスカヤ領主りょうしゅであるアロはくロペ・ディアス2せい捕鯨ほげい焦点しょうてんててゴルリス地区ちく海洋かいよう用語ようご定義ていぎした13世紀せいきさかのぼる。しかし、アロはくディエゴ・ロペス5せいによってむら建設けんせつされたのは1299ねん[1]のことである。ガミニス海岸かいがん地域ちいきにゴルリスのコミュニティにぞくするむら設置せっちされ、そのゴルリスから分離ぶんりしてプレンツィアのまちとなった。

スペインでのまちのオリジナルの名称めいしょうはプラセンシア・デ・ブトゥロン(Placencia de Butron/Plasencia de Butron)だったが、ときつにつれて短縮たんしゅくされて現在げんざいのプレンシア(Plencia)となった。ログローニョ管轄かんかつがプレンツィアを統治とうちしていたが、やがてビスカヤ領主りょうしゅとカスティーリャおうがプレンツィアのフエロ特権とっけん)を承認しょうにんした。きゅう市街しがいはかつてかべかこまれていたが、今日きょうではアルコ・デ・サンティアゴもんのこるのみである[1]

経済けいざい

[編集へんしゅう]

きれいなビーチとおだやかなうみ滞在たいざいしゃようのアメニティが多数たすうあることで、プレンツィアのビーチはとても人気にんきのある観光かんこうとなっている。プレンツィアや近隣きんりんまちには、ビルバオに裕福ゆうふく家庭かてい週末しゅうまつ使用しようする別荘べっそうがある。別荘べっそう住人じゅうにんやビルバオからの滞在たいざいしゃのおかげで、夏季かきにはビーチ、バル、レストランが盛況せいきょうとなる。バスク地方ちほうほかまち同様どうように、ピンチョス提供ていきょうする小規模しょうきぼなバルからかしこまったディナーを提供ていきょうするレストランまで、すうおおくの飲食いんしょくてんがある。

文学ぶんがく

[編集へんしゅう]

小説しょうせつベニート・ペレス・ガルドス代表だいひょうさくフォルトゥナータとハシンタ英語えいごばん』の最初さいしょ部分ぶぶんはプレンツィアで展開てんかいされる。カミーロ・ホセ・セラ紀行きこう文学ぶんがく『Del Miño al Bidasoa』(ミーニョがわからビダソアがわまで)にはプレンツィアが登場とうじょうする。セサル・ペレス・ヘリーダスペインばんの『Versos, canciones y trocitos de carne』にもこのまち登場とうじょうする。

写真しゃしんしゅう

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]