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フエロ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビスカヤゲルニカのまえでフエロの遵守じゅんしゅちかフェルナンド2せい(1476ねん

フエロスペイン: Fuero, スペイン[ˈfweɾo], 複数ふくすうがたフエロスバスク: Fueros)は、中世ちゅうせいから19世紀せいきスペインにおいて、習慣しゅうかん慣習かんしゅう由来ゆらいする社会しゃかいてき慣行かんこう法的ほうてき価値かちつようになった規範きはん、または国王こくおうなどの統治とうちしゃ所与しょよ領域りょういきおさめるにさいして当該とうがい領域りょういきやその住民じゅうみん譲与じょうよした特権とっけんのこと[1][2]ブルボンあさ以後いごのフエロは後者こうしゃした[1]日本語にほんごでは地方ちほう特権とっけん地方ちほう特殊とくしゅほう地方ちほう特別とくべつほう地域ちいき特別とくべつほうなどとやくされるが[3]訳語やくごさだまっていない。ラテン語らてんごフォルム(forum)[4]由来ゆらいし、カタルーニャではフル(Fur, カタルーニャ[ˈfur])、ガリシアではフォロ(Foro, ガリシア[ˈfɔɾo])、バスクではフォル(Foru, バスク[foɾu])とばれる。

カスティーリャ王国おうこくスペイン帝国ていこくにおいてはほとんどのまち共同きょうどうたいがフエロのしょ特権とっけん享受きょうじゅし、国王こくおうれがたい行動こうどう命令めいれいあらがうための地方ちほう防御ぼうぎょさくがフエロだった[5]。フエロの維持いじはカスティーリャ王国おうこく・スペイン帝国ていこく安定あんてい一体化いったいか重要じゅうよう役割やくわりたしており、1707ねんにスペイン帝国ていこくアラゴン王国おうこくバレンシア王国おうこくのフエロを廃止はいししたさいには、スペイン帝国ていこく内部ないぶのアラゴン連合れんごう王国おうこく諸国しょこくとつながりのふか貴族きぞく集団しゅうだんから抗議こうぎこえがったほどだった[6]とくバスク地方ちほうのフエロが有名ゆうめいであるため、ここではバスク地方ちほうのフエロについてべる。バスク地方ちほうのフエロは中世ちゅうせい後期こうき以後いご編纂へんさんされ、15世紀せいきから17世紀せいきにかけて法典ほうてんされたが[1]だいいちカルリスタ戦争せんそうの1839ねん縮小しゅくしょうされ、だいさんカルリスタ戦争せんそうの1876ねん撤廃てっぱいされた[7]

歴史れきし

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フエロの成立せいりつ法典ほうてん

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824ねんフランク王国おうこくぐんやぶったバスクじんパンプローナ中心ちゅうしんとしてナバーラ王国おうこく建国けんこくし、11世紀せいき前半ぜんはんサンチョ3せい治世ちせいにはカスティーリャはくりょうからアラゴンはくりょうレオン・アストゥリアス王国おうこくガスコーニュ地方ちほうまでを支配しはい広大こうだい王国おうこくとなった[8]。1181ねんにはドノスティア=サン・セバスティアンが、1300ねんにはビルバオ建設けんせつされ、とくにビルバオは免税めんぜい特権とっけんもとフランドル地方ちほうけた輸出ゆしゅつ貿易ぼうえきこうとしてさかえた[2]

1200ねんごろまでにはアラバギプスコアが、1379ねんにはビスカヤカスティーリャ王国おうこく併合へいごうされ、ナバーラ王国おうこくとして独自どくじ政治せいじてき覇権はけん確立かくりつしていたナバーラも1512ねんにカスティーリャ王国おうこく占領せんりょうされた[9]。しかしバスク地方ちほうはカスティーリャ王国おうこく併合へいごうされたのちも、政治せいじてき独立どくりつ国税こくぜい免除めんじょ兵役へいえき免除めんじょなどをたもった[9]。14世紀せいき以後いご編纂へんさんされた政治せいじめん社会しゃかいめんでの規範きはんくわえて、カスティーリャ王国おうこく起源きげんのフエロ・レアルに民事みんじじょう規範きはんもとめ、1526ねんにはビスカヤでヌエボ・フエロ(しんフエロ)が、1696ねんにはギプスコアでコディゴ・ヌエボ(しん法典ほうてん)が策定さくていされた[1]。アラバでは統一とういつされた法典ほうてん存在そんざいせず、またスペインりょうバスク3領域りょういき、バスク7領域りょういき共通きょうつうするフエロも存在そんざいしなかったが[1]、それぞれのフエロは共通きょうつう特徴とくちょうゆうした。1716ねんにはスペイン・ブルボンあさしん組織そしきおうれい公布こうふしたが、アラバ、ビスカヤ、ギプスコア、ナバーラの4領域りょういきおうれい免除めんじょ地域ちいきとしてフエロの存続そんぞくみとめられ、16世紀せいきから17世紀せいき策定さくていされたこれらの法典ほうてんが、旧来きゅうらいからの慣習かんしゅうほうわる基本きほんてき枠組わくぐみとなった[1]。カスティーリャ王国おうこく国王こくおうはビスカヤ領主りょうしゅ就任しゅうにんするとゲルニカ出向でむき、ゲルニカのオークのまえでフエロの遵守じゅんしゅ宣誓せんせいする義務ぎむっていた[2]。1839ねんまではこの宣誓せんせいなしにはビスカヤ領主りょうしゅとしてみとめられなかった[10]。1700ねんにはフェリペ5せい即位そくいしてボルボンあさ成立せいりつするが、即位そくい反対はんたいしたカタルーニャ君主くんしゅこくバレンシア王国おうこくアラゴン連合れんごう王国おうこくでフエロが撤廃てっぱいされてカスティーリャしたのにたいして、フェリペ5せいくみしたナバーラ王国おうこくとバスクしょけんはフエロと政治せいじてきしょ機関きかん存続そんぞくゆるされた[11]

きゅう体制たいせい崩壊ほうかいとフエロの撤廃てっぱい

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1850ねんのイベリア半島はんとうにおける法域ほういきしめ地図ちず。バスク地方ちほう独自どくじ法域ほういきにあった。

カルロス3せいはスペイン国内こくない市場いちば統一とういつ優先ゆうせん課題かだいとし、1779ねんと1789ねん改革かいかくによってバスク地方ちほう関税かんぜい免除めんじょ撤廃てっぱいした[12]産業さんぎょう革命かくめいつうじて綿織物めんおりもの工業こうぎょう毛織物けおりもの工業こうぎょう変化へんかすると、ビスケーわん交易こうえき拠点きょてんみなとはビスカヤのビルバオからカンタブリアサンタンデールうつった[12]ナポレオン戦争せんそうなかの1808ねんにはスペイン議会ぎかいしんふつによってバイヨンヌ憲法けんぽう制定せいていされ、1812ねんにははんふつによってスペイン1812ねん憲法けんぽう(カディス憲法けんぽう)が制定せいていされた[13]。これらの憲法けんぽう中央ちゅうおう集権しゅうけんてき性格せいかくゆうしていたが、どちらの憲法けんぽう戦時せんじのバスク地方ちほうには事実じじつじょう適用てきようされなかった[13]。1810ねんにはナポレオンがバスク地方ちほうカタルーニャ地方ちほうをスペインのホセ1せい統治とうちからはなし、バスク3領域りょういきはビスカヤ軍事ぐんじ政府せいふ史上しじょうはじめて共通きょうつう統治とうち機構きこうゆうした[13]。1814ねんにはフェルナンド7せい復位ふくいし、カディス憲法けんぽう無効むこうされてフエロが復活ふっかつしたが、1820ねんにはカディス憲法けんぽうがバスク地方ちほうにも適用てきようされた[13]

18世紀せいきまつから19世紀せいき初頭しょとうには相次あいつ戦争せんそう出費しゅっぴがかさみ、また産業さんぎょう革命かくめいたイギリスのてつ製品せいひんとの競合きょうごうくるしんだ。1820年代ねんだいまつ、バスク地方ちほうのブルジョワはバスク経済けいざいのスペイン経済けいざいへの統合とうごうとスペイン国内こくない市場いちば関税かんぜい保護ほご希求ききゅうし、1831ねん、サン・セバスティアンのブルジョワはフエロの特権とっけんてき措置そち放棄ほうきとスペイン史上しじょうにおける自由じゆう交易こうえき認可にんか提案ていあんした[13]。この提案ていあんみとめられればカスティーリャの農産物のうさんぶつたいしてバスク地方ちほう農産物のうさんぶつ対抗たいこうしがたく、都市としのブルジョワと農村のうそんとの利害りがい対立たいりつ決定的けっていてきとなった[13]カルリスタ戦争せんそうではカルリスタが「かみ祖国そこく、フエロス、国王こくおう」という標語ひょうごでフエロの存続そんぞくかかげ、バスク地方ちほう自由じゆう主義しゅぎしゃもブルジョワ自由じゆう主義しゅぎ革命かくめいさまたげない範囲はんいでのフエロの存続そんぞくねがったため、1834ねんだいいちカルリスタ戦争せんそう講和こうわとしてむすばれたベルガラ協定きょうてい英語えいごばんではフエロの存続そんぞくみとめられた[14]。1839ねん10がつ25にちほうではスペイン立憲りっけん王政おうせい統一とういつせいそこなわないかぎり、という制限せいげんきでスペイン国会こっかいがバスク4地方ちほうのフエロを承認しょうにんし、バスク地方ちほうのフエロは事実じじつじょう縮小しゅくしょうされた[15][14][16]。ナバーラけんは1841ねんにフエロを廃止はいしし、スペイン憲法けんぽうわくないあらたなフエロの体制たいせい確立かくりつした[14][16]

1868ねんこったスペイン名誉めいよ革命かくめい、1872ねんにはカルリスタがフエロの尊重そんちょうもとめてだいさんカルリスタ戦争せんそうこしたが、1876ねんにはカルリスタが敗走はいそうして自由じゆう主義しゅぎしゃ勝利しょうりわった。戦争せんそうには講和こうわ協定きょうていなどはむすばれなかったが、1876ねん7がつ21にちほうではバスク3けんたいして兵役へいえき納税のうぜいもとめており、一般いっぱんにバスク3けんのフエロを撤廃てっぱいした法律ほうりつ解釈かいしゃくされている[16][7]。この法律ほうりつではかぎり相続そうぞく制度せいどなどは廃止はいしされなかったが、1877ねんには一般いっぱん評議ひょうぎかい特権とっけん議会ぎかい廃止はいしされた[7]。ナバーラけんのバスク協会きょうかいやビルバオのエウスカレリアかいによってフエロ体制たいせい復古ふっこ目指めざ主張しゅちょう(フエリスモ)がなされ、都市とし富裕ふゆうそう資本しほんそう知識ちしきじんらに支持しじされた[17]王位おうい継承けいしょう問題もんだいとははなされて政治せいじてきにはリベラルであり、農村のうそん基盤きばんくカルリスモとはまったくことなっていた[17]。1878ねんにはスペイン政府せいふとバスク3けんとのあいだ経済けいざい協約きょうやくむすばれたが、国税こくぜい徴収ちょうしゅう方法ほうほうかくけん一任いちにんされるなど、税制ぜいせいめんかぎってフエロを復活ふっかつさせる内容ないようだったため、資本しほんそうらによるフエリスモは衰微すいびしていった[7][18]

スペイン1978ねん憲法けんぽうとフエロ

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スペイン1978ねん憲法けんぽう現行げんこう憲法けんぽう)は、バスク地方ちほうのフエロを縮小しゅくしょうした1839ねん10がつ25にちほうと、フエロを撤廃てっぱいした1876ねん7がつ21にちほう廃止はいしした[15]。149じょうだい1こう8では民法みんぽうかんするフエロを尊重そんちょうするとしており、バスク4地域ちいきはフエロ体制たいせい維持いじ回復かいふくした[15]。また、1970年代ねんだい後半こうはんにはバスク・ナショナリズムたかまりをせており、附則ふそく1では特権とっけんゆうする領域りょういき歴史れきしてき諸法しょほう保護ほご尊重そんちょうするとし、バスクしゅうとナバーラしゅう固有こゆう制度せいど具現ぐげんさせる根拠こんきょしめされた[15]。1979ねんにはゲルニカ憲章けんしょう(バスク自治じち憲章けんしょう)が策定さくていされたが、自治じち憲章けんしょう附則ふそくには歴史れきしてき諸法しょほう将来しょうらいてき発展はってん可能かのうせい明記めいきされた[15]。2002ねんにはバスクしゅうレンダカリフアン・ホセ・イバレチェが、バスクしゅうをスペイン連邦れんぽう国家こっか形成けいせいするいち国家こっかのように位置いちづけたバスク自治じち憲章けんしょう改正かいせいあんをバスクしゅう議会ぎかい提出ていしゅつし、賛成さんせい多数たすうでスペイン国会こっかいまわされたが、スペイン国会こっかいでは審議しんぎゆるされなかった[19]。2006ねんにはカタルーニャしゅう自治じちしゅう憲章けんしょう改正かいせいし、そのさいにはバスクしゅう・ナバーラしゅう同等どうとう財政ざいせい自治じち目指めざしたが、憲法けんぽう裁判所さいばんしょによってみとめられなかった[15]

内容ないよう

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ビスカヤ領主りょうしゅがフエロ遵守じゅんしゅちかったゲルニカの

かく地域ちいき共通きょうつうするフエロは存在そんざいしなかったが、15世紀せいきから17世紀せいきにかけて法典ほうてんされたフエロはおおきく4つの特徴とくちょうゆうしていた[1]

意思いし決定けっていけん限定げんていてき保証ほしょう[1]
カスティーリャ王国おうこくによる併合へいごう、ビスカヤとギプスコアではコレヒドール(国王こくおう代官だいかん)が、アラバではディプタード・ヘネラルが王権おうけん代理だいりし、かく地域ちいき意思いし決定けってい監督かんとく統制とうせいした。国王こくおうみことのりれいがフエロの規定きていはんする場合ばあいは、かく自治体じちたい一般いっぱん評議ひょうぎかい拒否きょひけん行使こうししておうれい無効むこうすることができた。フエロの規定きていにない場合ばあいはカスティーリャが政治せいじ決定けっていくだした。
地域ちいき経済けいざい保護ほご一定いってい程度ていど国税こくぜい免除めんじょ[1]
消費しょうひざい自由じゆう輸入ゆにゅうみとめ、領域りょういきないでの通行つうこうぜい渡橋わたりはしりょう徴収ちょうしゅうしないことで経済けいざい活動かつどう自由じゆう保障ほしょうした。みつぎ納金のうきんのぞいてカスティーリャ王国おうこくへの国税こくぜい免除めんじょ措置そちられていた。ナバーラは固有こゆう造幣ぞうへいしょ所有しょゆうみとめられていた[2]
戦時せんじ徴兵ちょうへい[1]
バスク地方ちほう戦場せんじょうになった場合ばあい徴兵ちょうへい義務付ぎむづけ、バスク地方ちほうそと展開てんかいされる戦争せんそうさいには派兵はへい可能かのうせいゆうした。カスティーリャ王国おうこくたいする補充ほじゅう徴兵ちょうへい免除めんじょされていた。
家産かさん分割ぶんかつ相続そうぞく法的ほうてき平等びょうどう[1]
性別せいべつ年齢ねんれいわずに最適さいてき遺産いさん相続そうぞくじん1人ひとり選出せんしゅつするきり相続そうぞく制度せいど婚姻こんいん夫婦ふうふ財産ざいさん共有きょうゆうなどが実践じっせんされた。すべての家長かちょう郷士ごうし地位ちい享受きょうじゅ可能かのうだったが、法的ほうてき平等びょうどう社会しゃかいてき平等びょうどう意味いみせず、自治体じちたい評議ひょうぎいん選出せんしゅつされるにはカスティーリャ能力のうりょく一定いってい程度ていど財産ざいさん収入しゅうにゅうようした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k せきほか(2008)、pp.343-345「フエロス体制たいせい
  2. ^ a b c d 萩尾はぎおほか(2012)、pp.71-75「フエロス体制たいせい
  3. ^ 萩尾はぎおほか(2012)は「地方ちほう特権とっけん」、渡部わたなべ(2004)は「地方ちほう特殊とくしゅほう」、立石たていしひろしだか『スペイン・ポルトガル山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、2000ねんは「地方ちほう特別とくべつほう」、ヴィラール(1993)は「地域ちいき特別とくべつほう」、レイチェル・バード『ナバラ王国おうこく歴史れきし狩野かの美智子みちこやくいろどりりゅうしゃ、1995ねんは「ほう」とやくしている。
  4. ^ 古代こだいローマの公共こうきょう広場ひろばのこと。政治せいじ集会しゅうかいなどがおこなわれた。
  5. ^ ケイメン(2009)、p.15
  6. ^ ケイメン(2009)、pp.23-24
  7. ^ a b c d せきほか(2008)、pp.354-357「フエロスの『撤廃てっぱい』と経済けいざい協約きょうやく
  8. ^ 萩尾はぎおほか(2012)、pp.66-70「歴史れきし舞台ぶたいへの登場とうじょう
  9. ^ a b せきほか(2008)、pp.340-343「『バスク地方ちほう』の形成けいせい
  10. ^ アギーレ(1989)、p.7
  11. ^ 川成かわなりほか(2013)、p.104
  12. ^ a b せきほか(2008)、pp.345-348「伝統でんとうてき経済けいざい危機きき
  13. ^ a b c d e f せきほか(2008)、pp.348-350「アンシャン・レジームの崩壊ほうかい
  14. ^ a b c せきほか(2008)、pp.350-352「だいいちカルリスタ戦争せんそうとフエロスの存亡そんぼう
  15. ^ a b c d e f 萩尾はぎおほか(2012)、pp.147-150「歴史れきしおもみ」
  16. ^ a b c 立石たていしほか(2002)、p.151
  17. ^ a b 立石たていしほか(2002)、p.152
  18. ^ 立石たていしほか(2002)、p.159
  19. ^ 萩尾はぎおほか(2012)、pp.131-137「バスク・ナショナリズムの行方ゆくえ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • ホセ・アントニオ・アギーレ『バスク大統領だいとうりょう亡命ぼうめい狩野かの美智子みちこやく 三省堂さんせいどう 1989ねん
  • ピエール・ヴィラール『スペイン内戦ないせん立石たていしひろしだか中塚なかつか次郎じろうやく 白水しろみずしゃ 1993ねん
  • 川成かわなりよう坂東ばんどうしょう桑原くわばら真夫まさお『スペイン王権おうけん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 2013ねん
  • ヘンリー・ケイメン『スペインの黄金おうごん時代じだい立石たていしひろしだかやく 岩波書店いわなみしょてん 2009ねん
  • せきあきらぎょう立石たていしひろしだか中塚なかつか次郎じろう世界せかい歴史れきし大系たいけい スペイン 2 きん現代げんだい地域ちいきからの視座しざ山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ 2008ねん pp.340-399「バスク地方ちほうきん現代げんだい
  • 立石たていしひろしだか中塚なかつか次郎じろう『スペインにおける国家こっか地域ちいき ナショナリズムの相克そうこく国際こくさい書院しょいん 2002ねん
  • 萩尾はぎおせい吉田よしだ浩美ひろみ現代げんだいバスクをるための50しょう明石書店あかししょてん 2012ねん pp.71-75「フエロス体制たいせい
  • 渡部わたなべ哲郎てつろう『バスクとバスクじん平凡社へいぼんしゃ 2004ねん pp.64-68「フエロス 地方ちほう特殊とくしゅほう
  • 現代げんだいスペイン情報じょうほうハンドブック』三修社さんしゅうしゃ