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ベック・ボガート & アピス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベック・ボガート & アピス
Beck, Bogert & Appice
1973ねん
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん イギリス
ジャンル ハード・ロック
ブルース・ロック
活動かつどう期間きかん 1972ねん - 1974ねん
レーベル エピック・レコード
共同きょうどう作業さぎょうしゃ バニラ・ファッジ
カクタス
ジェフ・ベック・グループ
ボクサー
メンバー ジェフ・ベック(G)
ティム・ボガート(B)
カーマイン・アピス(Ds)

ベック・ボガート & アピス (Beck, Bogert & AppiceBBA (BB&A)) は、ジェフ・ベックティム・ボガートカーマイン・アピス結成けっせいしたハードロックバンド

1972ねんから1974ねんまで活動かつどうし、当時とうじは「最強さいきょうのロック・トリオ」とばれた[1]

歴史れきし

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結成けっせいまで

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ジェフ・ベック・グループ時代じだいのベック(G) 1968ねん
カクタス - ひだりボガート(B) みぎアピス(Ds) 1970ねん

このセッション企画きかくがったのは1969ねん。ベックは当時とうじ「ジェフ・ベック・グループ」をひきいていたが、「バニラ・ファッジ」で活動かつどうしていたボガートとアピスによる強力きょうりょくなリズム・セクションに衝撃しょうげきける。一方いっぽうボガートとアピスはすでにベックの才能さいのうっていたため、このはなしいてセッションにまねくことにした。このときバニラ・ファッジはコカ・コーラしゃ音楽おんがく依頼いらいされていたが、ギタリストのヴィンス・マーテルが怪我けがをしていたため、代役だいやくとしてベックに参加さんか要請ようせいしたのである。ニューヨークではレッド・ツェッペリンのメンバーなどをまじえていちだけのライブもおこない、たがいの力量りきりょうたしかめった。その結果けっかジェフ・ベック・グループのボーカリストであったロッド・スチュワートくわえた4にんしんグループ結成けっせいうごくが、スチュワートは「フェイセズ」に加入かにゅうしてしまい、結局けっきょく3にんでバンドを始動しどうすることでまる。

しかし11月2にち、ベックは交通こうつう事故じここして全治ぜんち3かげつ重傷じゅうしょうってしまう。このあいだにボガートとアピスはしんバンド「カクタス」を結成けっせいしてしまい、この3にんでのバンド計画けいかくながれてしまうことになる。これをけてベックは回復かいふくだい2「ジェフ・ベック・グループ」を結成けっせいした。

バンド始動しどう

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そして1972ねん、カクタスとだい2ジェフ・ベック・グループが解散かいさんし、ふたたびバンド結成けっせい機運きうんおとずれる。3にんくわえてジェフ・ベック・グループのマックス・ミドルトンキーボード)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のキム・ミルフォード(ボーカル)、以上いじょう5にんでリハーサルをおこない、ジェフ・ベック・グループ名義めいぎで8がつ1にちよりツアーを開始かいし。しかしミルフォードのステージパフォーマンスに不満ふまんかん解雇かいこだい2ジェフ・ベック・グループからボブ・テンチをびツアーをつづけるが、ツアー終了しゅうりょうミドルトンとテンチが脱退だったいしてしまう。

ポール・ロジャース招聘しょうへいはかるもこれに失敗しっぱいし、最終さいしゅうてきにトリオ編成へんせいの「ベック・ボガート & アピス」として9月16にちにスタートをることになった。10月、ヨーロッパ・ツアー。11月、アルバムのレコーディング。よく1973ねん2がつ、アルバム『ベック・ボガート & アピス発売はつばい、イギリス・ツアー。

1973ねん5がつ日本にっぽんツアーをおこなう。ツアーは5月14にち 日本武道館にほんぶどうかん、5月16にち 名古屋なごや市民しみん会館かいかん、5月18~19にち 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん とまわり、大阪おおさか公演こうえん模様もようはライブばんベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン[2]として1973ねん10がつ21にちにリリースされた。2013ねんにはきょくじゅん実際じっさいのセットリストじゅんあらためた40周年しゅうねん記念きねんばんがリリースされた。しかし帰国きこくにボガートが交通こうつう事故じこ重傷じゅうしょうってツアーがキャンセル、なつになるころには解散かいさんうわさぶようになる。

11月にバンドはだい2かいヨーロッパツアーを開始かいし、ツアーは11月21にちフランス公演こうえんからはじまった。クリスマス休暇きゅうかのちイギリスツアーにはいり、1974ねん1がつ10日とおかのニューカッスルからはじまる。全部ぜんぶで15かいのショーがおこなわれ、ブライトンリーズリヴァプールシェフィールドブリストルロンドンスコットランドグラスゴーエディンバラでライヴがおこなわれた。ツアーは2がつ29にちのエディンバラ、カレー・ピクチャー・ハウスで終了しゅうりょうした[3]。そのにはニューオリンズのマルディグラ・フェスに出演しゅつえんしている。

1974ねん1がつ26にちにバンドはヨーロッパツアーの一部いちぶとしてレインボー・シアターでコンサートをおこなった。このコンサートは1974ねん9がつ9にちにアメリカで「Rock Around the World」のタイトルで全編ぜんぺん放送ほうそうされた。これはバンドによる最後さいご録音ろくおんとなり、セカンドアルバム収録しゅうろくきょくのプレビューともなった。このコンサートの様子ようすは『At Last Rainbow 』のタイトルで海賊かいぞくばんとしてリリースされた。「ユー・シュック・ミー」と「ブギー」をふくんだメドレーはのちに1991ねんのコンピレーション『ベッコロジー』に収録しゅうろくされた[4]。『ベッコロジー』にはこのほかにもセカンドアルバムようの「Jizz Whizz」が収録しゅうろくされたほか、当時とうじの BB&A はもちろん後述こうじゅつの CB&A などでもこの時期じき楽曲がっきょく演奏えんそうされている。

セカンドアルバムのセッションは1974ねん1がつおこなわれたが、ベックとボガートの確執かくしつもあって完成かんせいにはいたらなかった。1974ねん5がつ18にちニュー・ミュージカル・エクスプレスは「すう週間しゅうかんわたってささやかれてきた、BBAの解散かいさんせまっているといううわさはベーシストのティム・ボガートによって確認かくにんされた。」との記事きじ掲載けいさいした。メロディ・メーカーもバンドの解散かいさんかんする記事きじ掲載けいさいした[5]。バンドは二枚目にまいめのスタジオアルバム完成かんせいまえ自然しぜん解散かいさんとなった。

At Last Rainbow 収録しゅうろくきょく
  1. "Laughin' Lady" (5:53)
  2. "Lady" (7:05)
  3. "Morning Dew" (12:22)
  4. "Superstition" (6:07)
  5. "(Get Ready) Your Lovemaker's Comin' Home" (7:40)
  6. "Blues De Luxe - You Shook me" (5:34)
  7. "Rainbow Boogie" (11:32)  ["BBA Boogie"]

そのボガートとアピスは、1999ねんCharともに Char, Bogert & Appice (CB&A) 、よく2000ねんリック・デリンジャーともに Derringer, Bogert & Appice (DB&A) としての活動かつどうおこなった。

メンバー

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リードボーカルはアピス、一部いちぶボガート。「くろねこさけび - Black Cat Moan」のみベック。

        
ジェフ・ベック(G) 1972ねん
ティム・ボガート(B) 1972ねん
カーマイン・アピス(Ds) 1972ねん
サポート・ボーカリスト
  • ボブ・テンチ Bobby Tench:13公演こうえん参加さんか。August 8 to September 19, 1972 with Beck, Bogert and Appice, they appeared as Jeff Beck Group.[6] Tench joined the band for The Arie Crown Theater concert, in Chicago.
  • キム・ミルフォード Kim Milford:6公演こうえん参加さんか。August 4 to August 7, 1972 with Beck, Bogert and Appice, they appeared as Jeff Beck Group.[7] Milford left the band after the Majestic Theater concert, in Dallas.

ディスコグラフィ

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スタジオアルバム

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ベック・ボガート & アピス

  • Epic EQ-32140 (1973)
  • Columbia 32140 (1989)
  • Digital Sound 4421 (1997)
  • Epic MHCP585 (2005)
  • Repertoire 2330 + Bonus track (2005)
  • Sbme Special MKTS 723706 (2005)

ライヴアルバム

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ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン

  • Epic 22001 (1973)
  • 1999
  • 2005
  • 2013

コンピレーション

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ベッコロジー』にすうきょく収録しゅうろくされる。

  • Epic/Legacy E3K-48661 (1991)
  • Epic/Legacy 48661 (1995)
  • Epic/Legacy 48661 (1991)
  • Epic/Legacy 48661 (1991)
  • Epic/Legacy E3T-48661 (1991)
  • Epic/Legacy 65424 (1998)
  • Sony 65424 (1998)
  • Sony Japan 750/2 (2007)

シングル

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  • "Black Cat Moan"/"Livin' Alone" Epic EPC 1255 (UK February 16, 1972)
  • "I'm So Proud"/"Oh To Love You" Epic 10998 (US May 28, 1973)
  • "Lady/Oh To Love You" Epic 11027 (US July 16, 1973)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ BB&Aプロフィール - Sony Music
  2. ^ Stephen Thomas Erlewine. “Review of Live (in Japan)”. allmusic.com. 2009ねん2がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. pp. 146 and 147-148 
  4. ^ Bruce Eder. “Beckology”. Allmusic.com. 2009ねん2がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. pp. 149 and 151 
  6. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. p. 123,124 
  7. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. p. 123 

参照さんしょう

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  • Hjort, Chris and Hinman, Doug. Jeff's book : A chronology of Jeff Beck's career 1965-1980 : from the Yardbirds to Jazz-Rock. Rock 'n' Roll Research Press, (2000). ISBN 0-9641005-3-3
  • Carson, Annette. Jeff Beck: Crazy Fingers. Backbeat books (2002) ISBN 0-87930-632-7

外部がいぶリンク

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