ベネデット・クローチェ

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ベネデット・クローチェ
生誕せいたん (1866-02-25) 1866ねん2がつ25にち
死没しぼつ (1952-11-20) 1952ねん11月20にち(86さいぼつ
時代じだい 20世紀せいき哲学てつがく
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
学派がくは ヘーゲル主義しゅぎ観念論かんねんろん自由じゆう主義しゅぎ
研究けんきゅう分野ぶんや 歴史れきし美学びがく政治せいじ言語げんご哲学てつがく
おも概念がいねん 芸術げいじゅつ表現ひょうげんである
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ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce、1866ねん2がつ25にち - 1952ねん11月20にち)は、イタリア哲学てつがくしゃ歴史れきし学者がくしゃヘーゲル対立たいりつ論理ろんりえるに判別はんべつ論理ろんりをもってする独自どくじ哲学てつがく確立かくりつし、哲学てつがく歴史れきし叙述じょじゅつ一体化いったいかしようとした。イタリアの精神せいしんかいのみならず、欧米おうべい思想しそうかいおおきな影響えいきょうあたえた[1]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

ペスカッセーロリまれた。1883ねん7がつ28にちイスキアでの休暇きゅうかちゅうカサミッチョラ地震じしん両親りょうしんいもうとうしない、のこったおとうとともローマ親戚しんせきシルヴィオ・スパヴェンタいえ転居てんきょした。ローマではサピエンツァ大学だいがくかよい、1884ねんアントニオ・ラブリオーラった。1886ねんナポリ転居てんきょジュスティーノ・フォルトゥナートサルヴァトーレ・ディ・ジャーコモった。

1901ねん出版しゅっぱんじんジョヴァンニ・ラテルツァ出会であい、以後いご主要しゅよう著作ちょさくはラテルツァ出版しゅっぱんしゃから刊行かんこうされる。1903ねんジョヴァンニ・ジェンティーレとともに『クリティカ』創刊そうかんし、はんアカデミズム・はん実証じっしょう主義しゅぎ立場たちばをとり、精神せいしん哲学てつがく体系たいけいしょ著作ちょさく次々つぎつぎ発表はっぴょうした。1913ねんジュゼッペ・プレッツォリーニ雑誌ざっし『ヴォーチェ』でジェンティーレと哲学てつがく論争ろんそうをおこなう。政治せいじ活動かつどうとしては、1910ねん上院じょういん議員ぎいん選出せんしゅつされ、せんあいだにおいては、ジョヴァンニ・ジョリッティ内閣ないかく文部もんぶ大臣だいじんをつとめた。ファシズム台頭たいとうするにおよんで、これを支持しじする姿勢しせいもみせ、1924ねん統一とういつ社会党しゃかいとうジャコモ・マッテオッティ暗殺あんさつされたときも、クローチェは上院じょういんにおける信任しんにん投票とうひょうベニート・ムッソリーニ政府せいふ信任しんにんひょうとうじている。1925ねんころより、クローチェははんファシスト立場たちばてんじ、同年どうねん5がつ1にちには『知識ちしきじんはんファシズム宣言せんげん』を起草きそうし、その一貫いっかんしてファシズム批判ひはんつづけた。ムッソリーニ政権せいけんでも『クリティカ』発刊はっかんつづけ、ファシズムを攻撃こうげきした。1929ねんにムッソリーニとローマ教皇きょうこうむすんだ政教せいきょうやくラテラノ条約じょうやく)に反対はんたいし、議員ぎいん辞職じしょくした。

主著しゅちょは『表現ひょうげん科学かがくおよび一般いっぱん言語げんごがくとしての美学びがくL'Estetica come scienza dell'espressione e linguistica generale)』(1902ねん)、『歴史れきし叙述じょじゅつ理論りろん歴史れきしTeoria e storia della storiografia)』(1917ねん)。「すべての歴史れきし現代げんだいである。」という言葉ことばられる。

著作ちょさく[編集へんしゅう]

  • Materialismo storico ed economia marxista, 1900ねん
  • 表現ひょうげん科学かがくおよび一般いっぱん言語げんごがくとしての美学びがくL'Estetica come scienza dell'espressione e linguistica generale, 1902ねん
  • 純粋じゅんすい概念がいねんとしての論理ろんりがく綱要こうよう』 Lineamenti di una logica come sienza del concetto puro, 1905ねん
  • 実践じっせん哲学てつがく 経済けいざいがく倫理りんりがくFilosofia della Pratica,1909ねん
  • 純粋じゅんすい概念がいねん科学かがくとしての論理ろんりがくLogica come scienza del concetto puro, 1909ねん
  • ジャンバッティスタ・ヴィーコ哲学てつがくLa filosofia di Giambattista Vico, 1911ねん
    • 『ヴィコの哲学てつがく青木あおきいわおやく 東京とうきょうどう、1942
    • 『ヴィーコの哲学てつがく上村うえむら忠男ただおへんやく來社らいしゃ転換期てんかんきむ〉 2011
  • Brevario di estetica, 1912ねん
  • Saggio sul Hegel, 1912ねん
    • 『ヘーゲル弁証法べんしょうほうとイタリア哲学てつがく上村うえむら忠男ただおへんやく月曜げつようしゃ古典こてん転生てんせい〉 2012、スパヴェンタジェンティーレ共著きょうちょ
      • 区別くべつされたものの連関れんかん対立たいりつするものの弁証法べんしょうほう」、「変成へんせい概念がいねんとヘーゲル主義しゅぎ」、「ヘーゲルと弁証法べんしょうほう起源きげん」を収録しゅうろく
  • 歴史れきし叙述じょじゅつ理論りろん歴史れきしZur Theorie und Geschichte der Historiographie, 1915ねん
  • Racconto degli racconti1925ねん
  • Manifesto of Anti-Fascist Intellectuals,( La Critica 1925ねん5月1にちごう所載しょさい
  • 『ナポリ王国おうこくStoria del regno di Napoli, 1924ねん
  • 『1871ねんから1915ねんまでのイタリアStoria d'Italia dal 1871 al 1915, 1928ねん
  • 『イタリアにおけるバロック時代じだいStoria dell'eta' barocca in Italia, 1929ねん
  • 『1815ねんから1915ねんまでのヨーロッパStoria d'Europa dal 1815 al 1915, 1932ねん
    • じゅうきゅう世紀せいきヨーロッパ 自由じゆう発展はってん』 坂井さかいただしよしやくそうぶんしゃ、1957、ぞうていばん1982
  • Ultimi saggi, 1935ねん 
  • La poesia, 1936ねん
  • La storia come pensiero e come azione, 1938ねん
  • Il carattere della filosofia moderna, 1941ねん
  • Filosofia e storiografia, 1949ねん
    • 『クローチェ政治せいじ哲学てつがく論集ろんしゅう上村うえむら忠男ただおへんやく法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 1986
    • 『イタリアとスペイン ルネッサンスにおける文化ぶんかてき考察こうさつ阿部あべ史郎しろうべい山喜やまきあきらやく恒星こうせいしゃ厚生こうせいかく 1972
    • 『エステティカ イタリアの美学びがく クローチェ&パレイゾン』ルイージ・パレイゾン共著きょうちょ山田やまだただしあきら尾河おがわ直哉なおやへんやく、ナカニシヤ出版しゅっぱん 2005

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 岩波いわなみ哲学てつがく思想しそう事典じてん岩波書店いわなみしょてん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]