フラキウスは言語学のみならず、解釈学や教会史の分野でも卓越した才能を発揮した。彼はカトリックやメランヒトン派との神学論争を通じて、ルターの立場に沿って改めて聖書や教会の位置づけを行うべきとの考えを持つようになった。フラウキスは1552年頃より、教会が使徒時代から今日の堕落と再生(宗教改革)までの歴史を書く構想を明かしてその準備に入った。その構想の具体化するのは自身を含めた5人の執筆・監修者を決定した1554年になってからである。だが、フラウキスとの宗教的な見解の対立などから監修・執筆者の辞任と補充が何度も繰り返された。また、多くの重要史料をカトリック側が握っているという状況下での史料収集も困難を極めた(しかもそれらはヨーロッパ各地に分散していた)。彼が主導した『マクデブルクの諸世紀教会史』(Ecclesiastica Historia, integram Ecclesiae Christi ideam, quantum ad Locum, Propagationem, Persecutionem, Tranquillitatem, Doctrinam, Hæreses, Ceremonias, Gubernationem, Schismata, Synodos, Personas, Miracula, Martyria, Religiones extra Ecclesiam, & statum Imperii politicum attinet, secundum singulas Centurias, perspicuo ordine complectens: singulari diligentia & fide ex vetustissimis & optimis historicis, patribus, & aliis scriptoribus congesta: Per aliquot studiosos & pios viros in urbe Magdeburgicâ、en)は、1559年に第1巻が刊行され、1574年に13世紀を扱った第10巻が刊行されたが、前述の執筆陣の内紛から14世紀以後の担当者が決定できず、翌年にフラキウス自身が没したことから未完に終わった。とはいえ、それまでの通史的な方法ではなく、世紀単位で巻を分かち(ただし、第1巻は1-3世紀、第8巻は10・11世紀を扱う)、その中でテーマごとに章を立てるスタイルは当時としては斬新なものであった。また、この本の著述意図からして、ルターの考えに忠実であることを目指し、徹底的なカトリック批判を行ったために中立的な観点からは問題があった。それでも、4世紀にエウセビオスが『教会史』を刊行して以後、これまで古代からの一貫した教会史の本は存在したことが無かったこともあり、カトリック側にも衝撃を与えた。続いて、1567年には聖書の権威の源泉を解釈学の面から研究した『聖書の鍵』(Clavis Scripturae Sacrae seu de Sermone Sacrarum literarum)を刊行するなど、ルターの立場を擁護する多数の著作を刊行した。