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メトイコイ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

メトイコイまれ: Μέτοικος)は、古代こだいギリシアにおいて外国がいこくじん言葉ことば単数たんすうがたメトイコス語源ごげんは、メタ(ともに)とオイコス(いえ)の合成ごうせいである「ともにもの」というかたりからている。メタは「移動いどう」の意味いみもあり、動詞どうしのメトイケオーもしくはメタオイケオーは「うつむ」という意味いみになる。日本語にほんごでは居留きょりゅう外国がいこくじん、メティック(えい: metic)などの表記ひょうきもある。

古典こてんアテナイにおいては、市民しみん、メトイコイ、奴隷どれいの3つの身分みぶんがあった。メトイコイとは、つぎのような外国がいこくじんす。アテナイに一定いってい期間きかん滞在たいざいし、村落そんらく行政ぎょうせい単位たんいであるデーモス登録とうろくされ、参政さんせいけん不動産ふどうさん所有しょゆうけん(エンクテシス)はなく、人頭じんとうぜい(メトイキオン)をおさめ、兵役へいえきふくし、公共こうきょう奉仕ほうし(レイトゥルギア)に指名しめいされる人々ひとびとである[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん12世紀せいきから紀元前きげんぜん11世紀せいきミケーネ文明ぶんめい崩壊ほうかいにより、アテナイのあるアッティカ地方ちほうにも多数たすう難民なんみん流入りゅうにゅうした。難民なんみんなか有力ゆうりょくもの共同きょうどうたい成員せいいんとしてむかえられた。紀元前きげんぜん7世紀せいきソロンの改革かいかくでは、アテナイを繁栄はんえいさせるために外国がいこく職人しょくにん市民しみんけんあたえるようさだめた。これにより外国がいこくじん増加ぞうかし、それまで農業のうぎょう中心ちゅうしんだったアテナイは交易こうえき手工業しゅこうぎょうさかえるようになった。しかし条件じょうけんたせないものはアテナイにつづける外国がいこくじんとなり、地域ちいき市場いちばであるアゴラでの取引とりひききんじられた。ソロンの改革かいかくではアテナイ市民しみん債務さいむ奴隷どれいになることをきんじたが、市民しみんでない外国がいこくじんには債務さいむ奴隷どれいになるものがいた[2]

紀元前きげんぜん6世紀せいきクレイステネスによる改革かいかくでは、市民しみんをデーモスに登録とうろくして、デーモスにもとづくひゃくにん評議ひょうぎかい設置せっちした。これにより市民しみん市民しみんとのちがいがおおきくなった。紀元前きげんぜん5世紀せいきペリクレス市民しみんけんほうでは、両親りょうしんがアテナイ市民しみんもの市民しみんけんみとめることになり、市民しみん条件じょうけんはさらにきびしくなった。メトイコイというかたり最古さいこ文献ぶんけんとして、アイスキュロスの『ペルシアじん』(紀元前きげんぜん473-472ねん)がある。紀元前きげんぜん4世紀せいきには、メトイコイの男性だんせい市民しみん女性じょせい結婚けっこん生活せいかつおくっていることがあきらかになると、奴隷どれいとされるようになった。

メトイコイのなかには裕福ゆうふくものもおり、アゴラでの取引とりひきぜいはらえば許可きょかされるようになったが、不動産ふどうさん所有しょゆうきんじられたままであった。そのためメトイコイは職人しょくにんとしてはたらほかに、アテナイない市場いちばであるアゴラのわりにエンポリウム穀物こくもつ貿易ぼうえきしょう両替りょうがえしょうとなり[3]学芸がくげいにおいても活動かつどうした。じゅうそう歩兵ほへいさんだんかいせんしゅとして兵役へいえきにつき、レイトゥルギアである祭事さいじにも参加さんかした。アテナイではのポリスとことなり、メトイコイのなか解放かいほう奴隷どれいふくまれていた。

著名ちょめいなメトイコイ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 桜井さくらい 1997, p. 18.
  2. ^ 桜井さくらい 1997, p. 31.
  3. ^ ポランニー 1998, p. だい13しょう.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]