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さんだんかいせん

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さんだんかいせん実物じつぶつだい復元ふくげんせんオリンピア使つかってつくられた船隊せんたい写真しゃしん

さんだんかいせん(さんだんかいせん、古代こだいギリシア: τριήρης)は、紀元前きげんぜん5世紀せいきころから地中海ちちゅうかい使用しようされた軍船ぐんせんガレーせん)である。さんだん橈船(さんだんとうせん)、さん橈漕せん(さんどうそうせん)、トライリーム[1]ともいう。フェニキアひと国家こっか古代こだいギリシアもちいられた。さんだんかいせんかぎらずこのたね軍船ぐんせん外洋がいよう航行こうこうにはてきさず乗員じょういん場所ばしょもないため、一般いっぱん沿岸えんがん航行こうこうし、夜間やかん海浜かいひんげて乗員じょういん陸上りくじょう炊事すいじをし休息きゅうそくした。

古代こだいギリシアさんだんかいせん紀元前きげんぜん5世紀せいき
金属きんぞくせい衝角を装備そうびした、ギリシャの復元ふくげんさんだんかいせんオリンピア

その名称めいしょうとおり、かいしゅ60めい - 170めい上下じょうげ3だん配置はいちしてたか速力そくりょくた(アテナイのそれの船員せんいん漕手そうしゅ170にん補欠ほけつ漕手そうしゅ水夫すいふ戦闘せんとういん30にんの200にん攻撃こうげき最高さいこう速力そくりょくおよそ10ノット)。そなえ、風力ふうりょくでも移動いどうできるが地中海ちちゅうかいではふうはあてに出来できなかった。このたね軍船ぐんせん船底ふなそこ最前さいぜん青銅せいどう補強ほきょうした衝角 (ram) という突起とっきぶつそなえ、てきせん衝突しょうとつして船腹せんぷくあな穿うがって浸水しんすいさせ、行動こうどう不能ふのうとすることを目的もくてきとした。

アテナイでは漕手そうしゅみずか武具ぶぐ調達ちょうたつできないテテス無産むさん階級かいきゅう市民しみん)で構成こうせいされていたが、そのかずは2まん程度ていどだったので、のちにはテテスだけではりずメトイコイ在留ざいりゅう外国がいこくじん)が大半たいはんめるようになった。トゥキディデスの『戦史せんし』によると、ペロポネソス戦争せんそうなかスパルタがわについたケルキューラ(現在げんざいコルフ)は貿易ぼうえきによって富裕ふゆうほこっており、軍船ぐんせん漕手そうしゅはほとんど奴隷どれいでまかなっていたとされる。

船体せんたい衝突しょうとつにより打撃だげきあたえる戦法せんぽうは、ペルシャ戦争せんそう威力いりょく発揮はっきした。さんだんかいせんほか補助ほじょてき軍船ぐんせんとしてだんかいせんがあった。高木たかぎすくないギリシアではかい材料ざいりょうにするぐな木材もくざい入手にゅうしゅしにくく、テッサリアなどからの輸入ゆにゅうたよっていたので、海戦かいせんった場合ばあい戦場せんじょうただよてき味方みかたかいなどのふねざい確保かくほすることも重要じゅうようだった。

艦隊かんたい戦法せんぽうとしては、てき艦隊かんたい左右さゆうから包囲ほういして混乱こんらんさせつつ周囲しゅういから衝角攻撃こうげきくわえるペリプルスや、敵艦てきかん隊列たいれつあいだり、かいれつ破壊はかいして機動きどうりょくうばってから衝角攻撃こうげきおこなうディエクブルスなどがあった。

1987ねんにはギリシャで復元ふくげんせんオリンピア」が完成かんせいした。

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ イアン・グラハム『図説ずせつ 世界せかいえた50のふねはら書房しょぼう、2016ねん、12ぺーじISBN 978-4-562-05333-9 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]