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デュロモイ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
各種かくしゅデュロモイの想像そうぞう(マドリード海軍かいぐん博物館はくぶつかん、ラファエル・モネロンによる絵画かいが
ハイファの海洋かいよう博物館はくぶつかん展示てんじされている、デュロモイの模型もけい船首せんしゅ

デュロモイは、ドロモーンギリシア: Δρόμωνまたは、Δρόμωνας)ともばれるひがしマ帝国まていこくもちいられた軍艦ぐんかん一種いっしゅ。「ドロモーン」は「はしる」と意味いみのギリシャ「ドロモス」に由来ゆらいし、そのとおりの高速こうそく性能せいのう方向ほうこう転換てんかん機敏きびんすぐれた機動きどうせいっていた。

ながさはやく40メートルはばやく5.5メートル、喫水きっすい1.5メートル、上下じょうげにそれぞれ50めいしゅせただんかい帆船はんせん船首せんしゅ中央ちゅうおう木造もくぞうとうそなえ「ギリシャの」とばれるみずをかけてもえないほのおはっする火炎かえん放射ほうしゃ装備そうびしていた。また、いしゆみほう装備そうびされており、そこから火矢ひややギリシャ火薬かやくもちいた火炎かえんだん発射はっしゃできた。このふねによってまもられたコンスタンティノープルうみから攻略こうりゃくすることは非常ひじょう困難こんなんであった。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかい世界せかい 1』(歴史れきしがく研究けんきゅうかいへん青木あおき書店しょてん、2000ねんだい11しょうななはち世紀せいきのビザンツ帝国ていこく和田わだひろ 筑波大学つくばだいがく教授きょうじゅちょ)