(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ラマコス - Wikipedia コンテンツにスキップ

ラマコス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラマコス(ギリシア: Λάμαχος, Lamachus)は、ペロポネソス戦争せんそう参加さんかしたアテナイ将軍しょうぐんである。かれ紀元前きげんぜん435ねんころからぐん指揮しきはじめ、紀元前きげんぜん420ねんなかばまでに名声めいせいたかめた[1]。アテナイの喜劇きげき作家さっかアリストパネスは『アカルナイの人々ひとびと』で主戦しゅせんのラマコスを風刺ふうし[2]、その作品さくひんかえる』ではかれ栄誉えいよとなえた[3]。ペロポネソス戦争せんそうともなってこった、シケリア(シチリアしま)のイオニアけい植民しょくみん都市としとドーリアけい植民しょくみん都市としあらそいにアテナイが介入かいにゅうした「シケリア遠征えんせい」では、ラマコスはニキアスアルキビアデスとともにアテナイぐんさんにん将軍しょうぐん一人ひとりとして参加さんかしたが、敗北はいぼく戦死せんしした。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

かれとしをとってもなおはげしい気質きしつられており、たたかいでは危険きけんおかすことをこのんだ。またかれ非常ひじょうまずしく、将軍しょうぐんとしてたたかいに参加さんかしていた時期じきふくとブーツの代金だいきんをアテナイの人々ひとびとかね請求せいきゅうしようとした。かれ勇気ゆうき戦闘せんとう技術ぎじゅつでは評価ひょうかされていたが、たたかいに必要ひつよう財産ざいさん社会しゃかいてき地位ちいというものがなかったため、将軍しょうぐんたちにしておとっているともみなされていた[4]

プルタルコスはラマコスについて、『対比たいひ列伝れつでん』のペリクレスつてなかではじめて言及げんきゅうしている。ラマコスは僭主せんしゅティメシレオス(Timesileos)とたたかシノーペー市民しみん支援しえんするため、13せきからなる艦隊かんたい指揮しきけんあたえられた。このたたかいは紀元前きげんぜん438ねんから紀元前きげんぜん432ねんあいだ、すなわちサモス戦争せんそうSamian War)とペロポネソス戦争せんそうあいだこったとみられている[5]

戦史せんし』の著者ちょしゃトゥキディデスは、紀元前きげんぜん424ねんにラマコスは貢物みつぎものあつめるためにエウクセイノス(現在げんざい黒海こっかい)へと派遣はけんされたとべている。ラマコスはポントス地方ちほうへと航海こうかいし、カレクスがわ(Calex)に投錨とうびょうした。しかしこのとき突然とつぜん洪水こうずい艦隊かんたいのうち10せきうしなったが、ラマコスは部下ぶかたちを無事ぶじカルケドンへととどけることができたという[6]

紀元前きげんぜん415ねん、ラマコスはニキアスアルキビアデスとともに、シケリア遠征えんせい将軍しょうぐん選出せんしゅつされた。ラマコスはシュラクサイ(シラクサ)攻撃こうげきさいし、シュラクサイぜい防戦ぼうせん準備じゅんびができていないうちにできるだけはやくアテナイぐん突入とつにゅうさせるべきだという攻撃こうげきてき戦略せんりゃく提案ていあんしていた。しかし、シュラクサイとの交戦こうせんまえにシケリア(シチリアとう各地かくち同盟どうめい都市としぐんあつめるべきだというアルキビアデスの提案ていあん採用さいようされた。アメリカの歴史れきし学者がくしゃドナルド・ケーガン(Donald Kagan)は、ラマコスの戦略せんりゃく採用さいようされていたらアテナイぐんには迅速じんそく勝利しょうりがもたらされただろうと示唆しさしている[7]。しかしアテナイぐんは、シュラクサイぐんとの戦力せんりょくまえ無残むざん大敗たいはいきっした。紀元前きげんぜん414ねん、シチリアとうでラマコスの部隊ぶたい計略けいりゃくにかかって不利ふり地形ちけいへとめられ、圧倒的あっとうてきてきぐんとのたたかいによりラマコスも戦死せんしした。

参考さんこう資料しりょう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Henry Dickinson Westlake and Simon Hornblower, "Lamachus," from The Oxford Classical Dictionary, Simon Hornblower and Antony Spawforth ed.
  2. ^ Aristophanes, The Acharnians.
  3. ^ かえる』 1039.
  4. ^ West, Notes on Certain Athenian Generals of the Year 424-3 B.C.
  5. ^ Stadter, A Commentary On Plutarch's Pericles
  6. ^ Thucydides, History of the Peloponnesian War iv
  7. ^ Kagan, The Peloponnesian War