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ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルス(伊: Ludovico Gonzaga-Nevers, 1539年9月18日 - 1595年10月23日)は、イタリアのマントヴァ公爵家たるゴンザーガ家の公子で、フランスのヌヴェール公爵およびルテル公爵(在位:1565年 - 1595年)。ヌヴェール公爵としてはルイ4世・ド・ゴンザーグ(仏: Louis IV de Gonzague, duc de Nevers)と呼ばれる。
マントヴァ公およびモンフェッラート侯フェデリーコ2世とその妻でモンフェッラート侯グリエルモ9世の娘であるマルゲリータ・パレオーロガ(英語版)(東ローマ帝国の最後の王朝であるパレオロゴス家の末裔)の間の3男として、マントヴァで生まれた。1549年、母方の祖母でヴァロワ=アランソン家の女子相続人であったアンヌ・ダランソンの遺産の相続人として、わずか10歳でパリ宮廷の一員となった。
1565年3月4日、ヌヴェール公及びルテル伯フランソワ1世の長女で相続人であるアンリエットと結婚した。ギーズ公アンリ1世の妻カトリーヌ・ド・クレーヴはアンリエットの妹だったためアンリ1世とは義兄弟であった。ルドヴィーコは1572年のサン・バルテルミの虐殺を指導した宮廷人の1人と考えられている。1595年、ピカルディー地方のネスルで死去した。
妻アンリエットとの間に5人の子女をもうけた。
- カトリーヌ(1568年 - 1629年) - 1588年、ロングヴィル公アンリ1世と結婚
- アンリエット(1571年 - 1601年) - 1591年、マイエンヌ公アンリと結婚
- フレデリック(1573年 - 1574年)
- フランソワ(1576年 - 1580年)
- シャルル(カルロ)(1580年 - 1637年) - ヌヴェール公、マントヴァ公、モンフェッラート公
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