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レパルティミエント

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

レパルティミエントスペイン: Repartimientoスペイン発音はつおん[repartiˈmjento]、「分配ぶんぱい」「割当わりあて」の意味いみ[1])は、スペインりょうアメリカフィリピン先住民せんじゅうみんぞく実施じっしされた、スペイン植民しょくみん強制きょうせい労働ろうどう制度せいど。レパルティミエントの概念がいねんインカ帝国ていこくミタせいアンシャン・レジーム時期じきのフランスの賦役ふえき制度せいどており、先住民せんじゅうみん毎年まいとしさだめられた期間きかんすう週間しゅうかんからすうげつ)にスペインりょう農園のうえん鉱山こうざん、オブラヘス(obrajes、「工房こうぼう」)、公的こうてきプロジェクトなどにてい賃金ちんぎんまたは賃金ちんぎん労働ろうどうすることを強制きょうせいされた。レパルティミエントは1542ねんインディアス新法しんぽうにより、虐待ぎゃくたいてき道義どうぎはんする行為こうい促進そくしんしているとされるエンコミエンダせいわるかたち制定せいていされた。労働ろうどうしゃ他人たにん直接ちょくせつ所有しょゆうされているわけではなく、(強制きょうせい労働ろうどう期間きかんのぞいて)自由じゆうみんのままであり、さらに労働ろうどう継続けいぞくしてではなく断続だんぞくしておこなわれたことから、奴隷どれいせいとは厳密げんみつちがう。しかし、一部いちぶ地域ちいきとくに16世紀せいきペルーふくおうりょう銀鉱ぎんこうでは奴隷どれいせいのような状況じょうきょうつづいた[2]カリブ海かりぶかい植民しょくみんされた初期しょきにはのちにエンコミエンダせいとなる制度せいどに「レパルティミエント」のかたり使つかわれたことから、混乱こんらんしょうじることもある。

レパルティミエントは17世紀せいきはじまるまでに、ヌエバ・エスパーニャふくおうりょう全体ぜんたいでエンコミエンダせいってわった[3]。ペルーではエンコミエンダせいがもうすこながのこり、ケチュアの「ミタ」(mita)というかたりわりに使つかわれたこともあった。

レパルティミエントを実施じっしするとき、コンキスタドールにはスペイン官僚かんりょうまたは植民しょくみんじん)は先住民せんじゅうみん労働ろうどうしゃあたえられて、それを監督かんとくする。労働ろうどうしゃたちは農園のうえん鉱山こうざんはたらき、フィリピンではマニラ・ガレオンつく造船ぞうせんしょはたらくこともあった。労働ろうどうしゃの「レパルト」(reparto分配ぶんぱい)をおこなうのはアルカルデ・マヨールであった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん. “レパルティミエント”. コトバンク. 2018ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ Spodek, Howard (2005ねん2がつ) (英語えいご). The World's History, Third Edition: Combined Volume. Prentice Hall. pp. 457-458. ISBN 978-0-13-177318-9 
  3. ^ "Repartimiento". The Columbia Encyclopedia (英語えいご) (Sixth ed.). 2007. 2007ねん10がつ9にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Cole, Jeffery A. (1985). The Potosí Mita, 1573-1700: Compulsory Indian Labor in the Andes. Stanford: Stanford University Press. ISBN 0-8047-1256-5

関連かんれん項目こうもく

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