(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ロジェ・デュコ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ロジェ・デュコ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロジェ・デュコ
ロジェ・デュコ

ピエール・ロジェ・デュコふつ: Pierre Roger Ducos1747ねん7がつ25にち - 1816ねん3月16にち)は、フランスだいいち共和きょうわせいからだいいち帝政ていせい政治せいじ国民こくみん公会こうかいでは議員ぎいん選出せんしゅつされ、総裁そうさい政府せいふでは5にん総裁そうさいのひとり(ラ・ルヴェリエール後任こうにん)となった。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

1747ねんアキテーヌモンフォール=アン=シャロッスまれる。弁護士べんごしぎょう従事じゅうじしたのち、ランドけん選出せんしゅつされ国民こくみん公会こうかい議員ぎいんになる[1]議会ぎかいない派閥はばつでは平原へいげんぞくした[1]1793ねんルイ16せい処遇しょぐう決定けっていするための投票とうひょうおこなわれ、デュコは執行しっこう猶予ゆうよなしの死刑しけい賛成さんせいひょうとうじたが、その国民こくみん公会こうかいない目立めだたなかった[1]

1795ねん国民こくみん公会こうかい解散かいさんされ、わりに設立せつりつした上院じょういんにあたるひゃくにんかいで、デュコは議員ぎいん当選とうせんした[1]かれフリュクティドール18にちのクーデターいて治安ちあん判事はんじになり、さらにプレリアール30にちのクーデターのち味方みかたやしたい総裁そうさいポール・バラス思惑おもわく総裁そうさい指名しめいされた[1]

ブリュメール18にちのクーデターにより総裁そうさい政府せいふたおされ、すべりょう政府せいふ成立せいりつすると、臨時りんじすべりょう就任しゅうにんした[1]ナポレオン・ボナパルトだい一統いっとうりょう就任しゅうにん賛成さんせいした。この功績こうせき護憲ごけん元老げんろういんふく議長ぎちょう就任しゅうにんした[1]

その、デュコは伯爵はくしゃくじょされたが、1814ねんにナポレオンを裏切うらぎり、その廃位はいい賛成さんせいした。復古ふっこ王政おうせいつづ政治せいじつとめたがったが、ルイ16せい処刑しょけい賛成さんせいしたため1816ねん大逆だいぎゃくざい追放ついほうされ、同年どうねん3がつ交通こうつう事故じこウルムくなった[1]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Ducos, Pierre Roger" . Encyclopædia Britannica (英語えいご). Vol. 8 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 633.