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たけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

たけあるいはほこつえ(はせつかべ)とは、大和やまと政権せいけんはせ使、あるいは宮廷きゅうていでの雑役ざつえき警備けいびつとめたとおもわれる職業しょくぎょう(しな)。

職掌しょくしょうについて

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たけ」は「はせ使(はせつかべ)」であり、れいせいの「使丁してい」の前身ぜんしんであろうと大塚おおつか徳郎よしおべている。これにたいし、佐伯さえきゆうきよしれいせい使つかい前身ぜんしんの、軍事ぐんじてき性格せいかくつよであるとしており、標識ひょうしきとして「つえ」を携帯けいたいし、公用こうようはせ使はし使づかい)として往来おうらいしたのではないか、つえたいして大王だいおう近侍きんじし、「つえ」が「たけ」と省略しょうりゃくされて「たけ」としょうするようになったのではないか、つえかいして警護けいご雑役ざつえきにあたったのではないか、とべている[1]

稲荷山いなりやま古墳こふん出土しゅつどてつけん銘文めいぶんには、「つえがたなじん」とあり、その「乎獲きょしん」(をわけのおみ)は(一般いっぱんには記紀ききだい彦命にあたるとられているが)じつ阿倍あべしんのことであり、阿倍あべ従属じゅうぞくするきょく(かきべ)ではなかったのかというせつを、太田おおたあきらきし俊男としおとなえている。これにたいし、井上いのうえ光貞みつさだ朝廷ちょうてい服属ふくぞくするしな一種いっしゅであろうと「国造くにのみやつこせい成立せいりつ」という論文ろんぶんべている。

万葉集まんようしゅうまきだいさん、443ばんでは、判官ほうがん(じょう)である大伴おおとも宿禰すくねさんなか(おおとも の すくね みなか)がくびつり自殺じさつした摂津せっつこく史生ふみお(ししょう=はんでん書記しょき)、たけりゅう麻呂まろ(はせべ の たつまろ)をいたんで、以下いかのようにんでいる。

てんくも(あまくも)の こうふく(むかぶ)すこくの もののふと げんはるるひとは、天皇てんのう(すめろき)の かみ御門みかどに、そとじゅう(え)に、こう(さもら)ひ、うちおもに、つかまつまつりて 

玉葛たまかずら(たまかづら) いやとおく (おや)のも くものと ははちち(おもちち)に つまどもに、かたらひて(中略ちゅうりゃく

大君おおきみの いのち(みこと)おそれ(かしこ)み おしてる 難波なんば(なにわ)のくにに あらたまの としるまでに はくたへの ころもさず 朝夕あさゆうに ありつるくんは いかさまに おもひいませか(後略こうりゃく[2]

ここからも、たけたんはし使づかいをする部民ぶみんではなく、軍事ぐんじてき部民ぶみんであるとみることができる。

せいくらいん文書ぶんしょ」では、たけづくりちゅうのことが、「使つかいちゅう」とみえ、たけが「使つかい」と表記ひょうきされていることからも、たけ軍事ぐんじてき色彩しきさいつよ使つかい前身ぜんしんくことができる。

氏族しぞくについて

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たけは『新撰しんせん姓氏せいしろく』では「てんあし彦国押人いのち(あめたらしひこくにおしひと の みこと)のまご祁豆いのち(ひこおげつ の みこと)の子孫しそん」とされており、和泉いずみこくすめらぎべつでは、たけ部首ぶしゅは「武内たけうち宿禰すくね息子むすこかく宿禰すくね子孫しそん」となっている。このほか、右京うきょうすめらぎべつでは、たけづくりは「こうもと天皇てんのう皇子おうじだい彦命子孫しそん」と記載きさいされている。


たけ東国とうごく北陸ほくりく出雲いずもこくおお集中しゅうちゅうしており、「れん」・「じき」のせい東国とうごく一族いちぞくは、「たけ」を統率とうそつする地方ちほうともづくりおもわれる。また、『ぞく日本にっぽん』では「たけだい麻呂まろ」など、すうおおくの「たけ氏族しぞく活躍かつやくしている。

万葉集まんようしゅうまきだいじゅうには、せいのものもふくめてたけ防人さきもりうたおお収録しゅうろくされている[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 萬葉集まんようしゅう』(ろく)「完訳かんやく日本にっぽん古典こてん7」、小学館しょうがくかん、1987ねんP228 - p267
  2. ^ 萬葉集まんようしゅう』(いち)「完訳かんやく日本にっぽん古典こてん2」、小学館しょうがくかん、1982ねんP327 - p329

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 岩波いわなみ日本にっぽん辞典じてん』p938、監修かんしゅう永原ながはらけい岩波書店いわなみしょてん、1999ねん
  • 萬葉集まんようしゅう』(いち)・(ろく完訳かんやく日本にっぽん古典こてん2・7、小学館しょうがくかん、1982ねん・1987ねん
  • ぞく日本にっぽん』1 - 5 しん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい12 - 16 岩波書店いわなみしょてん、1989ねん - 1998ねん
  • ぞく日本にっぽんぜん現代げんだいやくうえ)・(なか)・(した)、講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ宇治谷うじたにはじめわけ、1992ねん、1995ねん
  • 日本にっぽん古代こだい11 ウヂとイエ』大林おおばやし太良たらへんより「10ひがし西にし豪族ごうぞく - 東国とうごく豪族ごうぞく文化ぶんかぶん原島はらしま礼二れいじ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1987ねん
  • 佐伯さえきゆうきよしたけおよびたけ基礎きそてき研究けんきゅう』(『日本にっぽん古代こだい論考ろんこう所収しょしゅう)
  • 佐伯さえきゆうきよし新撰しんせん姓氏せいしろく研究けんきゅう考証こうしょうへんだい
  • きし俊男としお万葉集まんようしゅうからみたあたらしい遺物いぶつ遺跡いせき稲荷山いなりやまてつけんめいふとしやすまんりょ1』(日本にっぽん古代こだい国家こっか宗教しゅうきょうじょう所収しょしゅう)
  • 佐伯さえき有清ありきよへん日本にっぽん古代こだい氏族しぞく事典じてん」(雄山閣ゆうざんかく

関連かんれん項目こうもく

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