三井みついとおる

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三井みつい とおる(みつい とおる、1940ねん3月31にち[1] - 2023ねん2がつ19にち)は、日本にっぽん音楽おんがく学者がくしゃ英文えいぶん学者がくしゃ金沢大学かなざわだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

佐賀さがけん佐賀さがまれ。福井ふくいけん小浜おばまそだ[1]。 1964ねん九州大学きゅうしゅうだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう修了しゅうりょう。1967ねんインディアナ大学だいがく大学院だいがくいん民俗みんぞくがく研究けんきゅう博士はかせ課程かてい中退ちゅうたい。 1964ねんから愛知大学あいちだいがく勤務きんむ、1969ねん金沢大学かなざわだいがく講師こうし助教授じょきょうじゅ教授きょうじゅ。2005ねん定年ていねん退官たいかん名誉めいよ教授きょうじゅ

本来ほんらいせんもんえい文学ぶんがくだが、のちに日本にっぽんのアカデミズムにおけるポピュラー音楽おんがく研究けんきゅう第一人者だいいちにんしゃとなった。 国際こくさいポピュラー音楽おんがく学会がっかい会長かいちょう(1993ねん - 1997ねん)、日本にっぽんポピュラー音楽おんがく学会がっかい会長かいちょうなどを歴任れきにんケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく出版しゅっぱんきょく発行はっこうの「ポピュラー・ミュージック」国際こくさい顧問こもん編集へんしゅうしゃもつとめた[1]。2020ねんはるみずたからちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょう[2]

2023ねん2がつ19にち解離かいりせい大動脈だいどうみゃくこぶのため死去しきょ[3]。82さいぼつ死没しぼつ日付ひづけをもってせいよんじょされた[4]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

編著へんちょ[編集へんしゅう]

  • 『ブルーズの世界せかい』(小出こいでひとし共編きょうへん冨山とやまぼう) 1995.7
  • 『クロニクル 20世紀せいきのポピュラー音楽おんがく』(北中きたじゅう正和しょうわ, 藤田ふじたただし, 脇谷わきたに浩昭ひろあき共編きょうへん平凡社へいぼんしゃ) 2000.12
  • 『ポピュラー音楽おんがく関係かんけい図書としょ目録もくろく 流行りゅうこう、ジャズ、ロック、Jポップのひゃくねん』(日外にちがいアソシエーツ) 2009.6

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

  • バラッド えい民間みんかん伝承でんしょう譚歌たんか』(へん註・わけ 伝承でんしょう歌謡かようかい) 1965
  • 『ロックへの視点してん』(カール・ベルツ、中村なかむらとうようともやく音楽之友社おんがくのともしゃ) 1972
  • ウディ・ガスリー・ストーリー』(ヘンリエッタ・ユーチェンコウ、ブロンズしゃ) 1973
  • ローリング・ストーンズ・ブック』(ディヴィド・ドルトンへんくさおもえしゃ) 1973
  • ボブ・ディラン語録ごろく』(わけへん、ブロンズしゃ) 1973
  • 『ディラン、かぜうたう』(マイケル・グレイ、晶文社しょうぶんしゃ) 1973
  • 反逆はんぎゃくから様式ようしきへ イギリス・ポップ芸術げいじゅつろん』(ジョージ・メリー、音楽之友社おんがくのともしゃ) 1973
  • 民衆みんしゅう音楽おんがくベイオウルフからビートルズまで〉』(エドワド・リー、音楽之友社おんがくのともしゃ) 1974.11
  • 『ローリングストーン・インタヴューしゅう』1 - 2(菅野かんの彰子あきこどもやくくさおもえしゃ) 1974
  • 『ロックの意味いみ』(ウィリアム・J・シェイファ、くさおもえしゃ) 1975
  • 『ブルーズメン アメリカン・ニグロの200ねん』(ロバート・ネフ, アンソニー・コナー、ブロンズしゃ) 1976.9
  • 『ロック音楽おんがくるアメリカのイメージ』(グリール・マーカス、ニュー・ミュージック・マガジンしゃ) 1977.11
  • おれのシッポにまたがついた』(ウディ・ガスリー、ブロンズしゃ) 1978.4
  • 『ロック百科ひゃっか』vol.1 - 2(フィル・ハーディ, デイブ・ラング、サンリオ) 1981
  • 『ロックの「あたらしいなみ」 パンクからネオ・ダダまで』(グリール・マーカス晶文社しょうぶんしゃ) 1984.11
  • 『ミステリー・トレイン ロック音楽おんがくにみるアメリカぞう』(グリール・マーカス、だいさん文明ぶんめいしゃ) 1989.6
  • 『ポピュラー音楽おんがく研究けんきゅう』(へんやく音楽之友社おんがくのともしゃ) 1990.11
  • ロバート・ジョンスン 伝説でんせつてきブルーズマンの生涯しょうがい』(ピーター・ギュラルニック、JICC出版しゅっぱんきょく) 1991.11
  • 『ビートルズ百科全書ひゃっかぜんしょ』(ビル・ハリー、監訳かんやく集英社しゅうえいしゃ) 1994.6
  • 『ポップ・ヴォイス スーパースター163にん証言しょうげん』(ジョウ・スミス、新潮しんちょう文庫ぶんこ) 1995.9
  • 『デッド・エルヴィス』(グリール・マーカス、キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ) 1996.4
  • 『エルヴィス登場とうじょう!!』(ピーター・ギュラルニックユーリーグ) 1997.8
  • 『ポピュラー・ミュージック・スタディズ じんしゃ学際がくさい最前線さいぜんせん』(ジョン・シェパード, デイヴィッド・ホーン, デイヴ・ラング, ポール・オリヴァー, ペーター・ヴィッケへん音楽之友社おんがくのともしゃ) 2005.3
  • 『エルヴィスでん 復活ふっかつ軌跡きせき 1958 - 1977』(ピーター・グラルニック、みすず書房しょぼう) 2007.12
  • 『ロック・エンサイクロペディア 1950s - 1970s』(フィル・ハーディ, デイヴ・ラングへん、みすず書房しょぼう) 2009.11

退職たいしょく記念きねん論集ろんしゅう[編集へんしゅう]

  • 『ポピュラー音楽おんがくとアカデミズム』(監修かんしゅう音楽之友社おんがくのともしゃ) 2005.6 - 本人ほんにん作成さくせいした詳細しょうさい年譜ねんぷ収録しゅうろくされている

英文えいぶんでの著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • Popular Music 10:3: Special Japanese (共編きょうへんIssue Simon) 1991
  • Toru Mitsui and Shuhei Hosokawa (eds.), 1998, Karaoke Around the World: Global Technology, Local Singing, New York: Routledge. (細川ほそかわ周平しゅうへい共編きょうへん)
  • Toru Mitsui, 2013, "Music and protest in Japan: the rise of underground folksong in '1968'", in Breate Kutschke and Barley Norton ed, Music and Protest in 1968, Cambridge: Cambridge University Press.
  • Toru Mitsui (ed.), 2014, Made in Japan: Studies in Popular Music, New York: Routledge. (編著へんちょ
  • Toru Mitsui, 2016, "Thomas D'Urfey", in Katherine Williams and Justin A. Williams ed, The Cambridge Compaion to Singer-Songwriter, Cambridge: Cambridge University Press.
  • Toru Mitsui, 2020, Popular Music in Japan: Transformation Inspired by the West, New York: Bloomsbury Academic. (たんちょ
  • Toru Mitsui, 2022, "Published Collections as the Sources of Ballad Tunes Sung by an Enthusiast in Japan", Journal of American Folklore, 135(537): 338-344.

関係かんけいする人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう
  2. ^ れい2ねんはる叙勲じょくん受章じゅしょうしゃ名簿めいぼ
  3. ^ “ポピュラー音楽おんがく研究けんきゅう草分くさわけ 三井みついとおる死去しきょ 「黒人こくじんブルースの現代げんだい」”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2023ねん2がつ20日はつか). https://www.asahi.com/articles/ASR2N5328R2NUCVL03D.html 2023ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん 
  4. ^ 官報かんぽうだい945ごう11ぺーじ れい5ねん3がつ28にち

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]