(Translated by https://www.hiragana.jp/)
三年寝太郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

さんねん太郎たろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

さんねん太郎たろう(さんねんねたろう)は、日本にっぽん民話みんわひとつ。3年間ねんかん寝転ねころがってばかりの、一見いっけん、ただのなまものおとこが、突然とつぜんしたすえ灌漑かんがいかんがいなどおおきいことをするというはなしであるが、全国ぜんこく様々さまざまなバリエーションのはなしのこされている。

あらすじ

[編集へんしゅう]

旱魃かんばつかんばつくるしんでいたむらで3年間ねんかんつづけていた太郎たろうというおとこがいた。なに仕事しごとをせずただひたすら寝転ねころがっていた太郎たろう周囲しゅういものおこっていたが、太郎たろうがある突然とつぜんして、やまのぼって巨石きょせきうごかし、その巨石きょせきたにころがってぶつかりつづけ、ついにはかわをせきめ、かわみず田畑たはたながんでむらすくわれる。太郎たろうは3年間ねんかんただ寝転ねころがっていたのではなく、いかにして灌漑かんがいげ、むら旱害かんがい(かんがい)からすくうかということをかんがえていたのであった。

厚狭あさ太郎たろう

[編集へんしゅう]

山口やまぐちけん山陽さんよう小野田おのだ厚狭あさ地区ちくでは、上記じょうきはなし類似るいじしたはなしつたわっている[1]最終さいしゅうてき灌漑かんがいげるという結論けつろんおなじであるが、そのプロセスがまったことなる。

JR厚狭あさ駅前えきまえ太郎たろうぞう

あらすじ

[編集へんしゅう]

庄屋しょうや息子むすこである太郎たろうは、ろくに仕事しごともせずつづけていたため、周囲しゅういからは「太郎たろう」と揶揄やゆされていた。3ねん3がつあいだつづけた太郎たろうがある突然とつぜんきだし、父親ちちおや千石船せんごくぶねふねいちはい草履ぞうりつくってくれるようたのむ。父親ちちおやならぬ息子むすこねがいでもあり千石船せんごくぶね草履ぞうりつくってあたえると、太郎たろうふねをこぎしていってしまった。かずじゅうにちして太郎たろうもどってくると、ふねなか草履ぞうりはぼろぼろのものになっていた。すると太郎たろう父親ちちおやおおきなおけ用意よういしてほしいとたのむ。太郎たろう父親ちちおや用意よういしたおけでぼろぼろの草履ぞうりあらはじめると、よごれたなかから砂金さきんつかる。じつ太郎たろう佐渡さどとうふねをこぎし、佐渡さど金山かなやまはたらいているもの草履ぞうり無料むりょう交換こうかんしていたのだった。太郎たろうあつめた砂金さきん原資げんしせきつくり、灌漑かんがい水路すいろ整備せいびして開墾かいこんし、むら百姓ひゃくしょうあたえた[1]

太郎たろう名残なごり

[編集へんしゅう]

厚狭あさ地区ちくながれる厚狭川あさがわには、実際じっさい太郎たろうあつめた資金しきんにより整備せいびしたとされるせきがあり、「太郎たろうせき」とばれている。太郎たろう開墾かいこんした地元じもと英雄えいゆうとしていまなおたたえられており、「太郎たろう荒神こうじんしゃ」という太郎たろうまつ神社じんじゃがあり、厚狭あさえきまえには太郎たろう銅像どうぞうてられているほか、地元じもとでは毎年まいとし4がつ29にちに「太郎たろうまつり」がもよおされている[1]

太郎たろうのモデル

[編集へんしゅう]

大内おおうち家臣かしん平賀ひらがきよしつねがモデルとされる。ちちである平賀ひらがげんしん信濃しなの武田たけだ晴信はるのぶによってはいしたのちあねとつさきである冷泉れいせんりゅうゆたかたよ周防すおう大内おおうち仕官しかんだいやすしてらへんにより厚狭あさ農作のうさくおこなっていたところ、水不足みずぶそくくるしむ農民のうみんこえうごかされたとわれている。3ねん3ヶ月かげつ長期ちょうきにわたり、日夜にちや思案しあんかさね、佐渡さど金山かなやま出向でむいてわらじを交換こうかんし、ついていた砂金さきんとみ厚狭川あさがわ灌漑かんがい工事こうじにあて農民のうみんすくった。かせない事情じじょう権力けんりょくしゃ圧力あつりょくなどもあり、「平賀ひらがきよしつね」のはいつしか「太郎たろうさま」となり、ストーリーがつくられ、地元じもと窮地きゅうちすくった象徴しょうちょう神様かみさまとして後世こうせいかたがれていった。

また、江戸えど時代じだい末期まっき長州ちょうしゅうはん編纂へんさんした「ぼうちょう風土ふうど注進ちゅうしんあん」には、15世紀せいきから16世紀せいきごろ、てばかりで「太郎たろう」と揶揄やゆされていたおとこせきつくって厚狭川あさがわからみずき、周辺しゅうへん開墾かいこんしたという記録きろくがあり、山陽さんよう小野田おのだではこの記録きろくもと厚狭あさ太郎たろう伝承でんしょう成立せいりつしたとしている[1]

沖縄おきなわ太郎たろう

[編集へんしゅう]

川平かびらちょうさる再話さいわによる「ねむりむし じらぁ」が福音館書店ふくいんかんしょてんから刊行かんこうされている。計略けいりゃくにより自分じぶん長者ちょうじゃ婿むこにさせて、それを契機けいきはたら貧乏びんぼう一家いっか息子むすこはなし

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d 太郎たろう - 山陽さんよう小野田おのだ社会しゃかい教育きょういく(2021ねん7がつ2にち)、2022ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]