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三木みきぐん

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香川かがわけん三木みきぐん範囲はんい

三木みきぐん(みきぐん)は、香川かがわけん讃岐さぬきこく)にあったぐん

ぐんいき

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1878ねん明治めいじ11ねん当時とうじぐんいきは、現在げんざい行政ぎょうせい区画くかくではおおむ以下いか区域くいき相当そうとうする。

ぐんめい由来ゆらい

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讃岐さぬきこく高松たかまつはん地誌ちしである『ぜんさん』(中山なかやま城山しろやま[ちゅう 1] しる1828ねん文政ぶんせい11ねん)に成立せいりつ)には「井戸いど高木たかぎ上古じょうこむろの大木たいぼくあり、そのたかすうじゅうたけ、よってその高木たかぎといい、平木ひらきひいらぎ古木ふるきあり、よってその平木ひらきといい、朝倉あさくら山椒さんしょう大樹たいじゅあり、朝日あさひをさえぎってそのさとくらし、よって朝倉あさくらさとといい、朝倉あさくら山椒さんしょうというもこれによりづ。この三木みきあるをもって、三木みきぐんといえり」[1][2]しるされている。

歴史れきし

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古代こだい

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和名わみょう類聚るいじゅうしょう』にしるされるぐんないさと[3]みぎ比定ひてい

  • 井門いもん(いど)さと  - 三木みきまち大字だいじ井戸いど(いど)
  • 高岡たかおか(たかおか)さと  - 三木みきまち大字だいじ上高岡かみたかおか(かみたかおか)、三木みきまち大字だいじ下高岡しもたかおか(しもたかおか)
  • 氷上ひかみ(ひかみ)さと  - 三木みきまち大字だいじごおりじょう(ひかみ)
  • 田中たなか(たなか)さと  - 三木みきまち大字だいじ田中たなか(たなか)
  • 井上いのうえ(いのへ)さと  - 三木みきまち大字だいじ井上いのうえ(いのえ)、三木みきまち大字だいじ平木ひらき(ひらぎ)、三木みきまち大字だいじ鹿伏かぶせ(ししぶせ)
  • 池辺いけべ(いけのへ)さと  - 三木みきまち大字だいじ池戸いけのべ(いけのべ)
  • たけれい(むれ)さと  - 高松たかまつ牟礼むれまち牟礼むれ(むれちょうむれ)
  • 幡羅はたら(はら)さと  - 高松たかまつ牟礼むれまちはら(むれちょうはら)
  • 山下やましたさと

和名わみょうしょう』にない山下やましたさとは、平城ひらじろみや東院とういんみなみもん推定すいてい建部たけべもんそとみぞあとから発見はっけんされた荷札にふだかんがえられる木簡もっかんに「讃岐さぬきこく三木みきぐん山下やましたさと」としるされていた。みぞ年代ねんだいにより、奈良なら時代じだい前半ぜんはんにはあったと推定すいていされる[4]

式内しきないしゃ

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延喜えんぎしきかみめいちょうしるされるぐんない式内しきないしゃ

かみめいちょう 比定ひていしゃ 集成しゅうせい
社名しゃめい かく 付記ふき 社名しゃめい 所在地しょざいち 備考びこう
三木みきぐん 1しょう
和爾わに神社じんじゃ ワニカハ しょう   ろん)引宮神社じんじゃ 香川かがわけん木田きだぐん三木みきまち井上いのうえ 天野あまの神社じんじゃさかいがい末社まっしゃ
ろんわにかわ神社じんじゃ 香川かがわけん木田きだぐん三木みきまち下高岡しもたかおか
ろん白山はくさん神社じんじゃ 香川かがわけん木田きだぐん三木みきまち下高岡しもたかおか
ろん和爾わに神社じんじゃ 香川かがわけん木田きだぐん三木みきまち井戸いど
凡例はんれい表示ひょうじ
  1. ^ 江戸えど後期こうき儒学じゅがくしゃ高松たかまつはんかかえた藩儒はんじゅのひとり。1763ねん - 1837ねん

近代きんだい

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  • 明治めいじ初年しょねん時点じてんでは全域ぜんいき高松たかまつはんりょうであった。「きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょう」に記載きさいされている明治めいじ初年しょねん時点じてん存在そんざいしたむら以下いかとおり。(20むら
牟礼むれむら大町おおまちむら原村はらむら池戸いけのべむら井上いのうえむら平木ひらきむら鹿伏かぶせむら田中たなかむら下高岡しもたかおかむら氷上ひかみむら井戸いどむら上高岡かみたかおかむら西にし鹿庭かにわむらひがし鹿庭かにわむら西にし朝倉あさくらむらひがし朝倉あさくらむら西小にしおみのむらひがし小蓑こみのむら西奥にしおく山村さんそん東奥ひがしおく山村さんそん
  • 1871ねん明治めいじ4ねん
  • 1873ねん明治めいじ6ねん2がつ20日はつか - 名東めいとうけん管轄かんかつとなる。
  • 1874ねん明治めいじ7ねん)(16むら
    • 西にし鹿庭かにわむらひがし鹿庭かにわむら合併がっぺいして鹿庭かにわむらとなる。
    • 西にし朝倉あさくらむらひがし朝倉あさくらむら合併がっぺいして朝倉あさくらむらとなる。
    • 西にし小蓑こみのむらひがし小蓑こみのむら合併がっぺいして小蓑こみのむらとなる。
    • 西奥にしおく山村さんそん東奥ひがしおく山村さんそん合併がっぺいして奥山おくやまむらとなる。
  • 1875ねん明治めいじ8ねん9月5にち - 香川かがわけんだい2)の管轄かんかつとなる。
  • 1876ねん明治めいじ9ねん8がつ21にち - だい2府県ふけん統合とうごうにより愛媛えひめけん管轄かんかつとなる。
  • 1878ねん明治めいじ11ねん12月16にち - こおり町村ちょうそん編制へんせいほう愛媛えひめけんでの施行しこうにより、行政ぎょうせい区画くかくとしての三木みきぐん発足ほっそく。「三木みき山田やまだぐん役所やくしょ」が池戸いけのべむら設置せっちされ、山田やまだぐんとともに管轄かんかつ
  • 1881ねん明治めいじ14ねん) - 「三木みき山田やまだぐん役所やくしょ」の廃止はいしにより「大内おおうち寒川さむかわぐん役所やくしょ」(寒川さむかわぐん津田つだむら)が「大内おおうち寒川さむかわ三木みきぐん役所やくしょ」に改組かいそされ、大内おおうちぐん寒川さむかわぐんとともに管轄かんかつ
  • 1888ねん明治めいじ21ねん12月3にち - 香川かがわけんだい3)の管轄かんかつとなる。
1.おく鹿しかむら 2.田中たなかむら 3.氷上ひかみむら 4.下高岡しもたかおかむら 5.井戸いどむら 6.平井ひらいむら 7.牟礼むれむらむらさき高松たかまつ もも三木みきまち 水色みずいろ:さぬき。11 - 22は山田やまだぐん

備考びこう

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行政ぎょうせい

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三木みき山田やまだぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 明治めいじ11ねん(1878ねん)12月16にち
明治めいじ14ねん(1881ねん はいかん
愛媛えひめけん大内おおうち寒川さむかわ三木みきぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 明治めいじ14ねん(1881ねん
明治めいじ21ねん(1888ねん)12月2にち 香川かがわけん移管いかん
香川かがわけん大内おおうち寒川さむかわ三木みきぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 明治めいじ21ねん(1888ねん)12月3にち
明治めいじ32ねん(1899ねん)3がつ31にち 山田やまだぐんとの合併がっぺいにより三木みきぐん廃止はいし

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 中山なかやま城山しろやまちょ青井あおいつね太郎たろうやくくにやく ぜんさん藤田ふじた書房しょぼう1937ねん6がつ20日はつか原本げんぽん初版しょはん発行はっこう1972ねん8がつ1にち復刻ふっこく初版しょはん発行はっこう。P.19
  2. ^ 中山なかやま城山しろやまちょ桑田くわたあきらやくくちやく ぜんさん城山しろやまかいよしたくみしゃ1991ねん2がつ24にち初版しょはん発行はっこう。P.16
  3. ^ 源順みなもとのしたごうせん和名わみょう類聚るいじゅうしょうまきだい9、讃岐さぬきこくだい122、那波なばどうえんによる1617ねん刊本かんぽん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタル資料しりょうを2013ねん11月に閲覧えつらん
  4. ^ 舘野たての和己かずみ奈良なら平城ひらじろみやあと」、『木簡もっかん研究けんきゅうだい22ごう、2000ねん
  5. ^ コトバンク - 田中たなかひろむしおんな

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい へん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん』 37 香川かがわけん角川書店かどかわしょてん、1985ねん10がつ1にちISBN 4040013700 
  • きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース

関連かんれん項目こうもく

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先代せんだい
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行政ぎょうせい変遷へんせん
- 1899ねん
次代じだい
木田きだぐん