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三津みつづまち

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みつちょう
三津みつづまち
廃止はいし 1943ねん1がつ1にち
廃止はいし理由りゆう 新設しんせつ合併がっぺい
三津みつづまち早田そうだ原村はらむら豊田とよだぐん木谷きだにむら安芸津あきつまち
現在げんざい自治体じちたい 東広島ひがしひろしま
廃止はいし時点じてんのデータ
くに 日本の旗 日本にっぽん
地方ちほう 中国ちゅうごく地方ちほう山陽さんよう地方ちほう
都道府県とどうふけん 広島ひろしまけん
ぐん 賀茂かもぐん
市町村しちょうそんコード なし(導入どうにゅうまえ廃止はいし
そう人口じんこう 5,242ひと
国勢調査こくせいちょうさ、1940ねん
隣接りんせつ自治体じちたい 早田そうだ原村はらむらいた城村じょうむらしたさん永村ながむら永村ながむら豊田とよだぐん木谷きだにむら
三津みつづまち役場やくば
所在地しょざいち 広島ひろしまけん賀茂かもぐん三津みつづまち
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三津みつづまち[1](みつちょう)は、広島ひろしまけん賀茂かもぐんにあったまち現在げんざい東広島ひがしひろしま一部いちぶにあたる。

地理ちり[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

  • 1889ねん明治めいじ22ねん)4がつ1にち町村ちょうそんせい施行しこうにより、賀茂かもぐん三津みつづむら単独たんどくむらせい施行しこうし、三津みつづむら発足ほっそく[2][3]
  • 1893ねん明治めいじ26ねん)4がつ12にち町制ちょうせい施行しこう三津みつづまちとなる[2][3]
  • 1903ねん明治めいじ36ねん豊田とよだ銀行ぎんこう三津みつづ支店してん開設かいせつ[2]
  • 1913ねん大正たいしょう2ねん電話でんわ開通かいつう電灯でんとう点灯てんとう[2]
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん)1がつ1にち賀茂かもぐんそう田原たはらむら豊田とよだぐん木谷きだにむら合併がっぺいし、賀茂かもぐん安芸津あきつまち新設しんせつして廃止はいしされた[2][3]

地名ちめい由来ゆらい[編集へんしゅう]

神功じんぐう皇后こうごう朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい伝説でんせつ軍船ぐんせんせたとされ、御津みつ(みつ)としょうしたことから[2]

産業さんぎょう[編集へんしゅう]

  • 農業のうぎょう漁業ぎょぎょう酒造しゅぞうあか煉瓦れんが[2]

行政ぎょうせい[編集へんしゅう]

町長ちょうちょう[編集へんしゅう]

交通こうつう[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

出身しゅっしん人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k げいしゅう賀茂かもぐん三津みつづまち記録きろく65ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2023ねん12月18にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 34 広島ひろしまけん』654ぺーじ
  3. ^ a b c 市町村しちょうそんめい変遷へんせん辞典じてん』751ぺーじ
  4. ^ 広島ひろしまけん紳士録しんしろく 昭和しょうわ8年版ねんばん52-53ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2023ねん12月18にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 広島ひろしまけん紳士録しんしろく 昭和しょうわ8年版ねんばん西日本にしにほん興信所こうしんじょ、1933ねん
  • 阪田さかた泰正やすまさげいしゅう賀茂かもぐん三津みつづまち記録きろく安芸津あきつ記念きねん病院びょういん郷土きょうど史料しりょうしつ、1976ねん
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 34 広島ひろしまけん』。
  • 市町村しちょうそんめい変遷へんせん辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1990ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]