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上杉 哲平(うえすぎ てっぺい、1985年11月11日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役当時のポジションはゴールキーパー。
小学校3年生の時にサッカーを始めたが、先生からの推薦で小学校6年生までは陸上競技の4x100リレーに打ち込み兵庫県代表として出場した全国大会では10位になった[要出典]。その時の1位は岡山県代表でアンカーは苔口卓也だった。中学校2年生の夏に顧問の一言でキーパーへ転身。ナショナルトレセンにも選出され高校は名門滝川第二高校へ入学。
在籍時全ての全国大会へ出場し冬の選手権大会では2年生、3年生と2年連続で全国3位。3年生時には、平山相太、兵藤慎剛率いる国見高校に敗戦。
ヴィッセル神戸、ジェフ千葉の強化指定選手として活動した。82回選手権大会では大会No.1GKと紹介され、U-23北京オリンピック代表候補、それまでも世代別代表にも選出され、西川周作らとレギュラーポジションを争った。滝川第二高時代の一学年下には、岡崎慎司がいた。高校卒業後Jからのオファーがありながら、本人の強い希望で大学へ進学。大学は阪南大学、伊野波雅彦と同期であった。2004年7月末に退学し[1]、ヴィッセル神戸、アルビレックス新潟に指定選手、練習生として加わり、その後アルビレックス新潟に加入。
アルビレックス新潟シンガポールでも活動した。[2][1]。2007年は徳島ヴォルティス[3]、2008年は、ザスパ草津に在籍。2009年途中から斉藤俊秀率いる藤枝MYFCに加入し、昇格へ貢献した。
選手生活9年をもって、引退。選手時代は、怪我に悩まされることが多かった。
2012年から名古屋グランパスアカデミースタッフとして第二の人生をスタートし、育成年代のGKを指導した。
2014年から地元神戸に戻り、INAC神戸レオネッサ育成スタッフ、トップチームGKコーチに就任。関西大学のGKコーチも兼任し、ヴィッセル神戸へ入団した前川を指導している。
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国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
シンガポール
| リーグ戦 |
リーグ杯 | シンガポール杯
|
期間通算
|
2005 |
新潟S |
1 |
S |
1 |
0 |
|
|
- |
|
|
2006 |
|
14 |
0 |
|
|
- |
|
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2007 |
徳島アマ |
21 |
四国 |
3 |
0 |
- |
0 |
0 |
3 |
0
|
2008 |
草津 |
36 |
J2 |
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
|
2009 |
藤枝 |
|
静岡県1部 |
7 |
0 |
- |
- |
7 |
0
|
2010 |
1 |
東海1部 |
7 |
0 |
- |
- |
7 |
0
|
通算 |
日本 |
J2
|
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
|
日本 |
四国
|
3 |
0 |
- |
0 |
0 |
3 |
0
|
日本 |
東海1部
|
7 |
0 |
- |
- |
7 |
0
|
日本 |
静岡県1部
|
7 |
0 |
- |
- |
7 |
0
|
シンガポール |
S
|
15 |
0 |
|
|
- |
|
|
総通算
|
32 |
0 |
|
|
|
|
|
|
- U-18日本代表候補
- U-19日本代表候補
- U-20日本代表候補
- U-20ワールドカップ候補
- U-22日本代表候補
- 北京五輪代表候補
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スタッフ | |
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選手 |
GK | |
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DF | |
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MF | |
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FW | |
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- |
- 12 サポーター
- 13 永久欠番
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関連項目 | |
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