(Translated by https://www.hiragana.jp/)
五合桝遺跡 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ごう遺跡いせき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
logo
ごう遺跡いせき
神奈川かながわけん
別名べつめい 仏法ぶっぽう寺跡てらあと
城郭じょうかく構造こうぞう 山城やましろ?
天守てんしゅ構造こうぞう なし
築城ちくじょうぬし 不明ふめい
築城ちくじょうねん 鎌倉かまくら時代ときよから南北なんぼくあさ時代じだい13世紀せいき後半こうはん-14世紀せいき前半ぜんはん)?[1]
おも城主じょうしゅ 不明ふめい
はいじょうねん 不明ふめい
遺構いこう 曲輪くるわるい、ただし寺院じいん関連かんれん遺構いこうとの指摘してきあり[2]
指定してい文化財ぶんかざい くに指定してい史跡しせき仏法ぶっぽう寺跡てらあとない[1][3][4]
埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい
包蔵ほうぞう番号ばんごう
鎌倉かまくらNo.292[5][6]
位置いち 北緯ほくい3518ふん29.9びょう 東経とうけい13931ふん53.4びょう / 北緯ほくい35.308306 東経とうけい139.531500 / 35.308306; 139.531500 (ごう遺跡いせき)座標ざひょう: 北緯ほくい3518ふん29.9びょう 東経とうけい13931ふん53.4びょう / 北緯ほくい35.308306 東経とうけい139.531500 / 35.308306; 139.531500 (ごう遺跡いせき)
地図ちず
五合桝遺跡の位置(神奈川県内)
五合桝遺跡
ごう遺跡いせき
テンプレートを表示ひょうじ

ごう遺跡いせき(ごんごうますいせき[7])は、神奈川かながわけん鎌倉かまくら極楽寺ごくらくじいち丁目ちょうめにある中世ちゅうせい城郭じょうかくとされる遺跡いせき。この遺跡いせき自体じたい指定してい物件ぶっけんではないが、2006ねん平成へいせい18ねん)7がつ28にちくに史跡しせき指定していされた「仏法ぶっぽう寺跡てらあとないふくまれている[1][4]

概要がいよう[編集へんしゅう]

鎌倉かまくら西部せいぶ江ノ島えのしま電鉄でんてつ極楽寺ごくらくじえき東方とうほうの、成就じょうじゅいん裏山うらやま山頂さんちょう位置いちする方形ほうけいるいかこまれた曲輪くるわじょう遺構いこうである。なお、ごう遺跡いせき北西ほくせいやく700メートルの、標高ひょうこう94メートルの丘陵きゅうりょう尾根おねすじには、ごう遺跡いせきよりいちまわおおきい曲輪くるわじょう遺構いこう城郭じょうかくなされているいちしょう遺跡いせき(いっしょうますいせき)が存在そんざいする(「いちしょう桝」「ごう桝」は地元じもと呼称こしょうである)[1]

神奈川かながわけん教育きょういく委員いいんかい鎌倉かまくら教育きょういく委員いいんかいが、2000ねん平成へいせい12ねん)に山稜さんりょう遺構いこう分布ぶんぷ調査ちょうさおよび発掘はっくつ調査ちょうさ実施じっしし、いちしょう遺跡いせきを13世紀せいき中頃なかごろから14世紀せいき前半ぜんはんにかけての街道かいどう監視かんしするための城郭じょうかく遺構いこう判断はんだんした。ごう遺跡いせきも、おなじく13世紀せいき中頃なかごろから14世紀せいき前半ぜんはんにかけて、いちしょう桝とたいになって機能きのうした城郭じょうかくとされ、のちに14世紀せいき末期まっきごろから石塔せきとうるいまつ供養くよう転用てんようされたと推定すいていされた[1][7]

なお、ごう遺跡いせきのある丘陵きゅうりょう山頂さんちょうから東山ひがしやまふもとにかけては、極楽寺ごくらくじ有力ゆうりょく末寺まつじとして13世紀せいき後半こうはんから17世紀せいき中頃なかごろまで存続そんぞくした「仏法ぶっぽうてらあとくに史跡しせき)でもあり、2002ねん平成へいせい14ねん)の発掘はっくつ調査ちょうさで、礎石そせきをもつ建物たてものあといけあと供養くようとう検出けんしゅつされている[7][4]

このように鎌倉かまくら文化庁ぶんかちょうは、ごう遺跡いせき鎌倉かまくら時代ときよ後半こうはんから南北なんぼくあさ時代じだい前半ぜんはんごろの城郭じょうかく位置付いちづけており、城郭じょうかくから供養くようへの変遷へんせん判明はんめいしたとしているが[7]西にしまた総生ふそうはこの遺構いこうについて、るい以外いがいには堀切ほりきりなどの防御ぼうぎょ遺構いこうられないことから、城郭じょうかくではなく寺院じいん関連かんれん遺構いこうとみていのではないかとしている[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース「いちしょう遺跡いせき”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁ぶんかちょう. 2022ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 西にしまたほか 2015 pp.89-91
  3. ^ 鎌倉かまくら指定してい文化財ぶんかざい一覧いちらんひょう鎌倉かまくら公式こうしきHP
  4. ^ a b c くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース「仏法ぶっぽう寺跡てらあと”. 文化庁ぶんかちょう. 2022ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ 鎌倉かまくら周知しゅうち埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい包蔵ほうぞう一覧いちらん鎌倉かまくら公式こうしきHP
  6. ^ 鎌倉かまくら遺跡いせき地図ちずについて」鎌倉かまくら公式こうしきHP
  7. ^ a b c d 鎌倉かまくら教育きょういく委員いいんかい 2003

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]