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五味ごみ保義やすよし

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五味ごみ 保義やすよし(ごみ やすよし、1901ねん8がつ31にち - 1982ねん5月27にち)は、日本にっぽん歌人かじん万葉まんよう学者がくしゃ末弟ばっていまんよう学者がくしゃ五味ごみ智英ともひで長野ながのけん下諏訪しもすわまち出身しゅっしん

生涯しょうがい

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旧制きゅうせい諏訪すわ中学ちゅうがくげん長野ながのけん諏訪すわ清陵せいりょう高等こうとう学校がっこう)、東京とうきょう高等こうとう師範しはん学校がっこう文科ぶんかて、京都きょうと帝国ていこく大学だいがく国文こくぶん卒業そつぎょう中学ちゅうがく時代じだいより叔母おばアララギ詩人しじん五味ごみえい、同郷どうきょう島木しまき赤彦あかひこ影響えいきょうけ、短歌たんかみちこころざした。1929ねん上京じょうきょう齋藤さいとう茂吉しげよし土屋つちや文明ふみあき指導しどうけながら、アララギの中興ちゅうこうや、歌誌かしアララギ」の発行はっこうたずさわり、とく戦後せんごは、世田谷せたがや奥沢おくさわ自宅じたくを「アララギ」発行はっこうしょとして専念せんねんした。かずおおくの学校がっこう教壇きょうだんち、東京とうきょうだいさん師範しはん学校がっこう日本女子大学にほんじょしだいがく教授きょうじゅつとめた。1953ねんから1982ねんまで信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶん歌壇かだん撰者せんじゃ

初期しょきうたふうは、赤彦あかひこ影響えいきょうにより自然しぜんえい主体しゅたいであったが、中期ちゅうき文明ぶんめい指導しどう現実げんじつそくした生活せいかつえいつくるようになった。晩年ばんねんやまいたこともあり、写実しゃじつくわ人間味にんげんみあるうたふうしん境地きょうちはいった。文明ぶんめい万葉集まんようしゅう研究けんきゅう手伝てつだったことからみずからも万葉集まんようしゅう研究けんきゅうふかかかわった。 

著書ちょしょ歌集かしゅう

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  • ふゆ羊歯しだ自選じせん歌集かしゅう)(短歌新聞社たんかしんぶんしゃ
  • きよしかいぼくすい書房しょぼう 1941 のち短歌新聞社たんかしんぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 島山しまやま青磁せいじしゃ、1947 
  • ひとせき』(白玉しらたま書房しょぼう 1960)
  • ちいさきみさき』(白玉しらたま書房しょぼう、1966)
  • やまいあいだ』(白玉しらたま書房しょぼう、1971)
  • 五味ごみ保義やすよし歌集かしゅう短歌たんか研究けんきゅう文庫ぶんこ、1978 
  • 五味ごみ保義やすよしぜん歌集かしゅう』(短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1989)

著書ちょしょ(その

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  • 短歌たんか表現ひょうげん青磁せいじしゃ、1947 
  • 万葉集まんようしゅう作家さっか系列けいれつ』(弘文こうぶんどうアテネ新書しんしょ、1952)
  • 子規しきといふひと白玉しらたま書房しょぼう、1962 
  • 『アラヽギの人々ひとびと』(白玉しらたま書房しょぼう、1966)
  • 短歌たんか写生しゃせい獨語どくごしい書房しょぼう

共編きょうへん

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校歌こうか作詞さくし

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出典しゅってん

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