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交流こうりゅう分析ぶんせき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
交流こうりゅう分析ぶんせき
Transactional analysis
治療ちりょうほう
交流こうりゅう分析ぶんせき概念がいねんは、エリック・バーンによって1964ねん出版しゅっぱんされた『Games People Play』のカバーにもとづいている
ICD-9-CM 94.31
MeSH D014152
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交流こうりゅう分析ぶんせき(こうりゅうぶんせき、Transactional Analysis,TA)とは、1950ねんだい後半こうはんに、精神せいしんエリック・バーン(Eric Berne)によって提唱ていしょうされたひとつの心理しんりがくパーソナリティ理論りろんである[1]人格じんかく個人こじん成長せいちょう変化へんかにおける体系たいけいてき心理しんり療法りょうほう理論りろんである。応用おうよう範囲はんいひろく、ソーシャルワーカー警察官けいさつかん保護ほご観察かんさつかんそう教職きょうしょくしゃなどのカウンセリングでもちいられる[1]

  • 自我じが状態じょうたいモデルとしては、おそらく、P(Parent、おや)、A(Adult、成人せいじん)、C(Child、子供こども)というPACモデルもっとられており[1]、このモデルは、どのように人々ひとびと行動こうどう表現ひょうげんするかということについての理解りかい容易よういにしている。
  • コミュニケーションの理論りろんとしては、交流こうりゅう分析ぶんせきは、システムと組織そしき分析ぶんせきにおける方法ほうほうにまでおよんでいる[1]
  • 交流こうりゅう分析ぶんせきは、子供こども発達はったつ理論りろん提供ていきょうしている[1]
  • 交流こうりゅう分析ぶんせきは、「なに問題もんだいなのか」「わたしはどのように人生じんせいごせばよいか」といった問題もんだいこたえるための、人生じんせい脚本きゃくほんという概念がいねん提唱ていしょうしている(ここで脚本きゃくほんとは、ある一人ひとり人生じんせいである。)[1]
  • 交流こうりゅう分析ぶんせきは、幅広はばひろ精神病せいしんびょう理学りがく理論りろんをも提供ていきょうしている。脚本きゃくほんは、交流こうりゅう分析ぶんせきによれば、結果けっかというより、むしろ苦悩くのう強制きょうせい自虐じぎゃくてき行動こうどう、その精神せいしんてき障害しょうがい証明しょうめいするのに有効ゆうこうである。
  • 実用じつようてき応用おうよう分野ぶんやでは、様々さまざま精神せいしん疾患しっかん診断しんだん治療ちりょう治療ちりょうほうとして、また、個人こじん恋人こいびと家族かぞく、グループへのセラピー手法しゅほうとして使つかわれている。
  • 治療ちりょう以外いがい分野ぶんやとしては、教育きょういく分野ぶんやでの教員きょういんのよりいコミュニケーションをはかるための手法しゅほうとして、またカウンセリングコンサルティング分野ぶんやマネージメント分野ぶんや、コミュニケーションの訓練くんれん、その様々さまざま団体だんたいによってもちいられている。

歴史れきし

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エリック・バーンは、かれ理論りろんを2さつ交流こうりゅう分析ぶんせきほんにて提唱ていしょうした。結果けっかとして交流こうりゅう分析ぶんせきは、おおくの心理しんり学者がくしゃから、通俗つうぞく心理しんりがくであるとの批判ひはんけた。同様どうよう交流こうりゅう分析ぶんせきは、フロイト理論りろんから逸脱いつだつしているということで、伝統でんとうてき精神せいしん分析ぶんせきコミュニティからも追放ついほうされた。しかし、1970ねんだいまでに、簡単かんたん堅苦かたくるしくない言葉ことば人間にんげん心理しんりモデルにより、その概念がいねん専門せんもん用語ようごおおくは、折衷せっちゅう主義しゅぎてき心理しんり学者がくしゃ治療ちりょうにおけるアプローチ方法ほうほうとしてれられた。またおなじく、交流こうりゅう分析ぶんせきは、グループカウンセリングや、個人こじん内面ないめん焦点しょうてんをあてる結婚けっこん家庭かていにおけるカウンセラーにもれられた。

なお、交流こうりゅう分析ぶんせき尊重そんちょうする学者がくしゃは、1964ねんにエリック・バーンととも研究けんきゅう認可にんかのための協会きょうかい国際こくさい交流こうりゅう分析ぶんせき協会きょうかい(ITAA)を設立せつりつしており、2006ねん現在げんざい団体だんたいいま活動かつどうちゅうである。

交流こうりゅう分析ぶんせき基本きほんてき見解けんかい

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  • ひとはみなOKである。それゆえ、個々人ここじんは、正当せいとうせい重要じゅうようせい平等びょうどうせい敬意けいいけることができる。
  • ひとはみな(わずかな例外れいがいのぞいて)、A(Adult)として、かんがえる能力のうりょくつ。
  • ひとはみな、それぞれのストーリーと運命うんめい決定けっていする。しかしながらその決定けっていは、変更へんこう可能かのうなものである。
  • 子供こどもころまれた環境かんきょう不適合ふてきごうというストーリーからの脱却だっきゃくは、不公平ふこうへい不誠実ふせいじつな「こん-ここ」の人生じんせいもとづいた感情かんじょう不適切ふてきせつ虚偽きょぎからの解放かいほうのために、もとめられているものである。(すなわち、子供こども時代じだい苦悩くのう自己じこへの同情どうじょう他人たにん心理しんりせん強制きょうせいてき行動こうどう人生じんせい失敗しっぱいかえしといったものからの解放かいほうである)
  • 交流こうりゅう分析ぶんせきは、目標もくひょう思考しこうであり、問題もんだい思考しこうではない。
  • 交流こうりゅう分析ぶんせきもとえる目標もくひょうは、自立じりつせい子供こどもころ脚本きゃくほんからの脱却だっきゃく)、自発じはつせい親愛しんあいせい、「逃避とうひ」や「受身うけみ」といった問題もんだい解決かいけつ、「進化しんか」ではなく個人こじん治療ちりょうあたらしい選択肢せんたくしまなぶことである。

自我じが状態じょうたいモデル(Parent-Adult-Child, PAC)

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バーンは、精神せいしん子供こどもころ経験けいけんによって形作かたちづくられるP(Parent)、A(Adult)、C(Child)の3つの自我じが状態じょうたいがあると仮定かていした(PACモデル)[2][3]

どのような場合ばあいにおいても、ひと体験たいけんおこない、行動こうどうかんがえ、感情かんじょう混合こんごうさせながら、個性こせい表現ひょうげんする。交流こうりゅう分析ぶんせきによれば、一般いっぱんてきに、人々ひとびとは3つの自我じが状態じょうたいのいずれかにいる。

PACモデル(さらに分割ぶんかつされたもの)[2]
  • P(Parent):これは人々ひとびとが、無意識むいしきのうちに両親りょうしん(またはおやわりとなるもの)の行動こうどうパターンを模倣もほうをして、行動こうどうし、かんじ、思考しこうする状態じょうたいたとえば、影響えいきょうりょくのあるひと怒鳴どなりつけているのをて、それが有効ゆうこうであるとおさなころまなんでいたら、そのひと欲求よっきゅう不満ふまんからひと怒鳴どなりつけるかもしれないことがげられる。
  • A(Adult):これは、「こん-ここ」でどのようなことがきているのかについて人々ひとびと行動こうどうし、かんじ、冷静れいせい思考しこうする状態じょうたい。この状態じょうたいでは、長年ながねんきてきた大人おとなとしての人間にんげん経験けいけん知識ちしきかされ、ひと行動こうどうさせる。このA(Adult)の自我じが状態じょうたいでは、自身じしんは、現実げんじつにおける客観きゃっかんてき評価ひょうか対象たいしょうとしてられる。
  • C(Child):これはひと子供こどもころにどのように振舞ふるまったかとおなじように、行動こうどうし、かんじ、思考しこうする状態じょうたいたとえば、上司じょうしからおこられているひとは、まるで子供こどもころったように、その上司じょうし見下みくだし、屈辱くつじょくいかりをおぼえるかもしれないであろう。

また、それぞれの状態じょうたいさら分割ぶんかつされる。おや象徴しょうちょう通常つうじょう養育よういくてきおや(NP:NurturingParent)(寛容かんようてき保護ほごてき)か、規範きはんてきおや(CP:CriticalParent)のどちらかである。子供こども行動こうどうは、自由じゆう子供こども(FC:FreeChild/NaturalChild)(自然しぜん奔放ほんぽう)か、他者たしゃ順応じゅんのう子供こども(AC:AdaptedChild)のどちらかである[2]。それぞれの状態じょうたいは、個人こじん行動こうどう感情かんじょう思考しこうにおいて影響えいきょうあたえ、有益ゆうえきてき(積極せっきょくてき)または、破滅はめつてき/はん生産せいさんてき(悲観ひかんてき)になるといえる。

交流こうりゅう分析ぶんせき自我じが状態じょうたいをフロイトの自我じが(A)、イド(C)、ちょう自我じが(P)と対比たいひされることがおおいが、2つの理論りろんことなる。交流こうりゅう分析ぶんせき自我じが状態じょうたいは、(1)フロイトの自我じが説明せつめいである、(2)フロイトの仮説かせつモデルとことなり観察かんさつ可能かのうである。つまり、対話たいわおこな相手あいて特定とくてい自我じが状態じょうたいは、外部がいぶからの観察かんさつによって決定けっていすることができる。また、自我じが状態じょうたいは、それぞれの自我じが状態じょうたいにおいての行動こうどうにおいて、直接的ちょくせつてき思考しこう感情かんじょう判断はんだん対応たいおうするものではない。

自我じが状態じょうたい普遍ふへんてきなものではない。すなわち、それぞれの自我じが状態じょうたいは、個別こべつにかつ明白めいはくに、個々人ここじんあらわすものである。たとえば、C(Child)の自我じが状態じょうたいは、特定とくてい人間にんげん個性こせいであり、一般いっぱんてき子供こども状態じょうたいではなく、子供こどもころつくられた性格せいかくあらわすものである[4]


汚染おせん除外じょがい

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アルコールるいうえからブラインドをくだ効果こうかがある [5]

汚染おせんとは、あるPAC状態じょうたいひとつが境界きょうかいえ、のPAC状態じょうたい侵入しんにゅうすること[6]たとえば、Pとしての現実げんじつとして、ひと父親ちちおやのルールやモットーをやぶり、信念しんねんが「こん-ここ」の現実げんじつとしてれられた場合ばあい。または、他人たにんわらわれた場合ばあいである。つまり、これまでのおさなころ体験たいけん記憶きおくじょうに、「こん-ここ」にきていることがあたらしい記憶きおくとしておおいつくすならば、子供こどもころにおけるひとつの自我じが状態じょうたいへの影響えいきょうえるであろう。

除外じょがいとは、PAC状態じょうたいのうちひとつまたは複数ふくすうされること[6]。たとえばPを除外じょがいしたひとは、マフィアのボスや政治せいじのトップだったりする[6]。またCを除外じょがいしたひとは、自分じぶん子供こども時代じだい記憶きおくってしまっているだろう[6]

またアルコールはPAC自我じがたいし、うえからじゅんにブラインドをくだすような効果こうかがある(退行たいこう[5]。そのためひとは、さけむとまずPが除外じょがいされ、わら上戸じょうご上戸じょうごなどと人格じんかく変化へんかする[5]。この状態じょうたいではAはまだたもたれているので、自分じぶん電車でんしゃ自宅じたくかえることができる[5]。さらにさけむとつぎにはAが除外じょがいされ、Cは他人たにんたすけがなくてはなにもできなくなってしまう[5]

交流こうりゅうとストローク

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交流こうりゅうとは、コミュニケーションのながれであり、より正確せいかくには言語げんご以外いがい心理しんりてき平行へいこうながれるコミュニケーションのながれである。交流こうりゅうは、明確めいかくなレベルと心理しんりてきなレベルの両方りょうほう同時どうじしょうじる。たとえば、皮肉ひにくてき意図いとった、おもいやりのある言葉ことばである。本当ほんとうのコミュニケーションをるためには、表面ひょうめん言語げんごりが必要ひつようとなる。

ストロークは、ひと他者たしゃあたえる認識にんしき注意ちゅうい反応はんのうであり、肯定こうていてきまたは否定ひていてきなものである[7]。ストロークの主要しゅようかんがえとしては、ひと他者たしゃからの認識にんしき肯定こうていてきなストロークにえており、それがたとえ否定ひていてき認識にんしきであっても、ひとはどんな種類しゅるいのストロークももとめるということである(「どんなストロークでもいよりはまし」)[7]我々われわれは、子供こどもたちのようにどのような戦略せんりゃくいがわたしたちたいしてストロークをあたえるか、どのようなストロークをるかをためしている。

こうした交流こうりゅう本質ほんしつは、コミュニケーションを理解りかいするじょうでとても重要じゅうようである。

相互そうごてきまたは補完ほかんてき交流こうりゅう

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ひだりれい2。CからCへの交流こうりゅうへ、CからCへ返答へんとうしている(相補そうほ交流こうりゅう
みぎれい3。PからCへの交流こうりゅうへ、CからPへ返答へんとうしている(相補そうほ交流こうりゅう

相互そうごてき交流こうりゅうは、ベクトルが並行へいこうで、双方そうほう相手あいて自我じが状態じょうたいはなしかけているときにこる。これらは相補そうほ交流こうりゅう平行へいこう交流こうりゅうともばれる[8]

れい1:

A:「レポートをいてくれますか?」(AからAへの交流こうりゅう)
B:「はい。わたしはメールでそれをおくるところですよ」(AからAへの交流こうりゅう)

れい2:

A:「映画えいがきたい?」(CからCへの交流こうりゅう)
B:「きたい!なにくの?」(CからCへの交流こうりゅう)

れい3:

A:「部屋へや片付かたづいてるかい?」(PからCへの交流こうりゅう)
B:「かってるよ。そのうちやるから!」(CからPへの交流こうりゅう)

交錯こうさくした交流こうりゅう

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れい1a。AからAの交流こうりゅうへ、CからPで返答へんとうしている(交錯こうさく交流こうりゅう

コミュニケーションの失敗しっぱいは、相手あいて自我じが状態じょうたいとはことなった自我じが状態じょうたいへのはなしかけ(交錯こうさく交流こうりゅう, Crossed)によってこされる[8]つぎのようなれいられる。

れい1a:

A:「レポートをいてくれますか?」(AからAへの交流こうりゅう)
B:「かってるよ。そのうちやるから!」(CからPへの交流こうりゅう)

これは、仕事しごとにおいて、問題もんだいこしそうな交錯こうさくした交流こうりゅうである。Aは、P(Parent)からC(Child)への交流こうりゅうもとづいた返事へんじをするかもしれない。すなわち、以下いかのようなものである。

A:「キサマその態度たいどはなんだ、ふざけてるとクビにするぞ」

れい2a:

A:「部屋へや片付かたづいてるかい?」(PからCへの交流こうりゅう)
B:「はい。わたし丁度ちょうどこれからやるところですよ」(AからAへの交流こうりゅう)

これは、さらに積極せっきょくてき交錯こうさくした交流こうりゅうであり、Bが責任せきにんかんって行動こうどうしBとしての役割やくわり(つまりChild)をえんじていないことにたいして、Aは不満ふまん可能かのうせいがある。さらに会話かいわつぎのように発展はってんするだろう。

A:「わたしは、あなたのそういう態度たいどしんじられないな!」(PからCへの交流こうりゅう)
B:「わたしうことをすこしはしんじてよ!」(CからPへの交流こうりゅう)

このこたえは、永遠えいえんつづくであろう。

じゅう構造こうぞう裏面りめんてき交流こうりゅう

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そのに、じゅう構造こうぞうまたはかくされた交流こうりゅう裏面りめんてき交流こうりゅう)がある[8]。これは、明白めいはく一般いっぱんてき会話かいわが、明確めいかくでない心理しんりてき交流こうりゅうふくんでいるものである。すなわち、以下いかのようなものである。

A:「物置ものおききませんか?」
B:「わたしむかしから物置ものおき大好だいすきでたまらないの」

これは、社会しゃかいてきめんではA(Adult)からA(Adult)への交流こうりゅうであり、心理しんりてきめんではC(Child)からC(Child)への恋愛れんあいにおける交流こうりゅうである。

交流こうりゅう背後はいごにある現象げんしょう

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人生じんせい脚本きゃくほん

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交流こうりゅう分析ぶんせきによれば、ひとは、とてもおさなころに、世界せかい自分じぶん立場たちば理解りかいしようとして、自分じぶんたいする人生じんせい脚本きゃくほんく。その脚本きゃくほん人生じんせいなかにおいて改訂かいていされるが、かくとなるはなし一般いっぱんてきに7さいまでにえらばれ決定けっていされ[10]大人おとなになってもづかないものである[11][8]

  • 脚本きゃくほんとは、すでに予定よていされている人生じんせいのプランである[8]
  • 脚本きゃくほんは、敏感びんかんであり、決定けっていりょくのあるものである。すなわち、子供こどもころ知覚ちかくした世界せかいかんと、きる目的もくてき道徳どうとくかんによってめられているものである。これは、外部がいぶてきちからによって、しつけられるものではない。
  • 脚本きゃくほんは、両親りょうしん(または、その影響えいきょうおよぼしやすいものや体験たいけん)によって、より強靭きょうじんなものとなる。
  • 脚本きゃくほん自覚じかくされていないものである[8]
  • 脚本きゃくほんは、どのようにわたしたち人生じんせいあゆむか、なにもとめていくかであり、そこに適合てきごうしない現実げんじつは、わたしたち意識いしきないのフィルターによってさい定義ていぎされる(またはゆがめられる)。

さい定義ていぎ値引ねび

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さい定義ていぎとは、我々われわれ意図いとてきに(かつ無意識むいしきてきに)物事ものごと我々われわれのぞむようにゆがめるときの、現実げんじつ曲解きょっかいである。これゆえ、もしあるひとが「つめたくきびしい世界せかいたいして一人ひとりきていかなければならない」といった脚本きゃくほんっているならば、他人たにんやさしさとろうわってくれる状況じょうきょうを、「操作そうさによってなにかをうばうのではないか」とさい定義ていぎしているかもしれない。

値引ねびき(ディスカウント)とは「問題もんだい解決かいけつ関連かんれんする情報じょうほうかずに無視むしすること」と定義ていぎされる[12]自分じぶん脚本きゃくほん矛盾むじゅんする状況じょうきょうを、自分じぶんではづかずに認知にんちから抹消まっしょうすることである[1]なにかをその価値かちよりわるめるものである。したがって、A(Adult)の「こん-ここ」での実際じっさい問題もんだい解決かいけつするというこころみではないような代替だいたいてき反応はんのうあたえることや、証拠しょうことなるものをみないことは、かれらの脚本きゃくほん矛盾むじゅんするものであろう。値引ねびきは、以下いかのようなものをふくんでいる:受身うけみ無気力むきりょく)、過剰かじょう適合てきごう不安ふあん自意識じいしき低下ていかいか暴力ぼうりょく

値引ねびきとネガティブなストロークのちがいを、以下いかれいしめ[7]

れい1:
ストローク「あなたはその単語たんご間違まちがえた。」
値引ねびき「あなたはちゃんと単語たんごけないのですね。」
れい2:
ストローク「あなたがそうすると、わたしいや気分きぶんになる。」
値引ねびき「あなたはそうやって、わたし気分きぶんわるくさせる。」

ストロークとちがい、値引ねびきをされた場合ばあいには建設けんせつてき行動こうどううつることができない[7]値引ねび自体じたい現実げんじつ湾曲わんきょくしているため、その可能かのうせいたないからである[7]

禁止きんしれいとドライバー

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交流こうりゅう分析ぶんせきは、13の禁止きんしれいべている。禁止きんしれいは「~するな」と、一般いっぱんてきには言語げんごてきつたえられるメッセージで、子供こどもころ信条しんじょう人生じんせい脚本きゃくほんまれたメッセージである。

  • 存在そんざいするな、自分じぶん自身じしんであるな、自分じぶんせいであるな、子供こどもであるな、成長せいちょうするな、成功せいこうするな、重要じゅうようであるな、所属しょぞくするな、ちかづくな、健康けんこうであるな、かんがえるな、かんじるな、(なにかを)するな
    • くわえて、エピスクリプトというものがある。「これはおまえ運命うんめいなの、だからわたしにはこらないの」

これらにたいして、子供こども頻繁ひんぱんに「やりなさい」と、言語げんごてきかされることがある。これらは禁止きんしれい拮抗きっこうするという意味いみ拮抗きっこう禁止きんしれいばれる。そのなか特別とくべつなものが以下いかの5つのドライバーである。

完璧かんぺきであれ!、他人たにんよろこばせよ!、努力どりょくせよ!、つよくあれ!、いそげ!!

それゆえ、子供こども以下いかのような判断はんだんをすることがよくある「努力どりょくしてるかぎり、ボクはきてていい(存在そんざいする意味いみがある)」

これは、どうしてなんらかの変化へんかがとてもむずかしいかを意味いみする。上記じょうきのようなことをまもつづけるため、そのひと休憩きゅうけいしようしてと家族かぞくとリラックスする場合ばあい、「存在そんざいするな」という脚本きゃくほんまれている禁止きんしれいあらわれて、かれらを恐怖きょうふにおとしめるのである。このようなひとは、かれ自身じしん理解りかいしていないプレッシャーになやまされる可能かのうせいがあり、そのプレッシャーから解放かいほうされ、存在そんざい意義いぎを(子供こどものような方法ほうほうで)正当せいとうするために、「一生懸命いっしょうけんめいすること」にふたたもどるであろう。

ドライバーによる行動こうどうは、とてもちいさな時間じかんじく再現さいげんされる。たとえば、ドライバー行動こうどうは、5~20びょう単位たんいあらわれるのである。

時間じかん構造こうぞう

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バーンは時間じかん構造こうぞうするニーズがあるとかんがえた。そして、その構造こうぞう仕方しかたとして、きこもり、儀式ぎしきひまつぶし、活動かつどう、ゲーム、親密しんみつさをげている[13]

きこもり

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他人たにんからのストロークを放棄ほうきし、ストロークの供給きょうきゅうげん自分じぶんのうちにのみもとめるものである。ストロークの不足ふそく解消かいしょうをはかるため、内面ないめんてき空想くうそうによって、時間じかん構造こうぞうする。たとえば電車でんしゃないでは、乗客じょうきゃくたちはみな沈黙ちんもくしている[13]

儀式ぎしき

[編集へんしゅう]

儀式ぎしきは、社会しゃかいてきプログラミングにもとづく、補完ほかんてき相互そうごてき)な一連いちれん交流こうりゅうである。その定型ていけいせいによって気遣きづかいや労力ろうりょく節約せつやくされることになる。儀式ぎしきは、一般いっぱんてきに、相互そうごのストロークの交換こうかんから形成けいせいされる。 たとえば、二人ふたり日常にちじょうてきなストロークの儀式ぎしきっている可能かのうせいがある。毎日まいにちたびにそこでは、一方いっぽうが「やあ」とい、もう一方いっぽうが、つぎのような儀式ぎしきてきなストロークをっているかもしれない。

A:「やあ」
B:「やあ。元気げんき?」
A:「うん、いいよ。そっちは?」
B:「うん、いいよ。じゃまた」

おなかれらがまたったときかれらはどんなストロークも交換こうかんしないかもしれない、あるいは、たんにうなづきうだけかもしれない。

いくつかの現象げんしょう日常にちじょうてき儀式ぎしき関連かんれんしている:

  • もしあるひとが、予想よそうされているよりもすくないストロークしか交換こうかんしなかった場合ばあいひとは、かれなやんでいるか、傲慢ごうまんになっているかとかんじるかもしれない。
  • もしあるひとが、予想よそうされているよりもおおいストロークを交換こうかんした場合ばあいひとは、かれびてきているか、利用りようするために関係かんけいつくろうとしているのではとかんじるかもしれない。
  • もしかれらがながあいだっていなかったら、処理しょりのストロークがえ、それゆえ次回じかいったときに、それをわせるくらいの大量たいりょうなストロークを交換こうかんするかもしれない。

ひまつぶし(社交しゃこう

[編集へんしゅう]

無難ぶなん話題わだいをめぐっておこなわれる交流こうりゅうのこと。補完ほかんてき相互そうごてき)で、はん儀式ぎしきてきである。たとえば井戸端いどばた会議かいぎなどで、はな内容ないようは、過去かこった事項じこうについてであり、現状げんじょういまここについてのことではない[13]なにかについてはなすが、それにかんしての行動こうどうまったこさない[13]

おも自我じが状態じょうたいおや(P)か子供こども(C)[13]直接的ちょくせつてき実益じつえきともなわないものの、おたがいに親密しんみつさをすための方法ほうほうひとつとなる。かくされた目的もくてきはなく、一般いっぱんてきおな波長はちょうつもの同士どうしおこなうことができる。こうした仲間なかま普通ふつうふか意図いとはなく、危害きがいくわえない。

活動かつどう

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外面がいめんてき活動かつどうによってストロークを時間じかん構造こうぞうするというもの。育児いくじはげ母親ははおや仕事しごとはげ父親ちちおや受験じゅけん勉強べんきょう学生がくせいなど。

おも自我じが状態じょうたい成人せいじん(A)である[13]

ゲームについては、後述こうじゅつする。ゲームは、ネガティブなすべての自我じが状態じょうたいからこりて、両者りょうしゃがいやなかんじ(ラケット感情かんじょう)を経験けいけんしてわる[13]

親密しんみつ

[編集へんしゅう]

交流こうりゅう分析ぶんせき理想りそうとする、時間じかん構造こうぞう形態けいたい

  • 裏面りめんてき交流こうりゅう秘密ひみつのメッセージ)やゲームによって、相手あいて操作そうさ搾取さくしゅすることがない[13]。「あなたはわたし値引ねびきかないし、わたしもあなたを値引ねびきかない」。
  • 社会しゃかいてきめられた儀式ぎしきから自由じゆうである。
  • 成人せいじん(A)の要求ようきゅう尊重そんちょうされるが、率直そっちょく子供こども(FC)が活発かっぱつはたら[13]
  • ながつづ親交しんこうはまれであるが、もしそれがつづくときはプライベートな関係かんけいとなる。
  • かたにはまることのない、予測よそく可能かのうせいとぼしい交流こうりゅうのため、ひとによっては雑談ざつだんやゲームのほうが気楽きらく交流こうりゅうとなる。

ゲームとその分析ぶんせき

[編集へんしゅう]

バーンは、一般いっぱんてきはん生産せいさんてき社会しゃかい交流こうりゅうを「ゲーム」の概念がいねんによってあらわしている。

ゲームの定義ていぎ

[編集へんしゅう]

ゲームとは補完ほかんてき相互そうごてき)、裏面りめんてき、さらに方向ほうこう予測よそくされた結果けっかかう一連いちれん交流こうりゅうのことである。ゲームは、しばしばわりにかう参加さんかしゃ役割やくわりえによってあらわされる。

ゲームはつねに「値引ねび」のやりりがふくまれ、参加さんかしゃらにたい報酬ほうしゅうとしてラケット感情かんじょう支払しはらわれる[1]。ゲームとは反対はんたいのもの、すなわち、ゲームを終了しゅうりょうさせる方法ほうほうは、参加さんかしゃ報酬ほうしゅうけるのを中断ちゅうだんする方法ほうほう発見はっけんするところにあるとえる。

交流こうりゅう分析ぶんせきまなぶものは、たとえことなった参加さんかしゃことなった役割やくわりえんじようとも、そのゲームばかりをおこなっているひとおなじゲームをおこなうことをつけている。

最初さいしょにこのようなゲームを理論りろんづけたのは、問題もんだいこまっている参加さんかしゃしろ)を参加さんかしゃくろ)がたすけるという状況じょうきょうでの「そうしたら?うん、でも」である。参加さんかしゃしろ)は参加さんかしゃくろ)の提案ていあん問題もんだいてんすべ指摘してきするであろう(「うん、でも」の応答おうとう)。そしてこれは、おたがいにフラストレーションがまり、いやになるまでつづくのである。そして、この参加さんかしゃしろ)が副次的ふくじてきられるものとしては、かれ問題もんだい解決かいけつ不可能ふかのうであるという正当せいとうみとめることであり、内面ないめんてき変化へんかつら作業さぎょうおこなわないことであろう。参加さんかしゃくろ)にとっては、不満ふまんまった殉教者じゅんきょうしゃのように「たすけたかっただけなのに」とかんじるか、さらにうえき、軽蔑けいべつし「あの患者かんじゃ協力きょうりょくてきだった」とかんじるであろう。

ゲームの分析ぶんせき

[編集へんしゅう]

ゲームにおけるひとつの重要じゅうようてんは、参加さんかしゃ人数にんずうである。ゲームは、二人ふたりあいだ手渡てわたされる(つまり、ゲームの人数にんずう二人ふたり)、さんにんあいだ手渡てわたされる(ゲームの人数にんずうさんにん)、それ以上いじょう人数にんずうなど様々さまざまである。ことなる3つの量的りょうてき変数へんすうは、ゲームをかんがえるうえでとても有効ゆうこうである。

  • 柔軟じゅうなんせい:参加さんかしゃ現在げんざいのゲームをえる能力のうりょく(つまり、かれらがゲームに使つか道具どうぐ柔軟じゅうなんせいのあるゲームにおいては、参加さんかしゃ言葉ことばから、おかねや、からだ一部いちぶ言葉ことば変化へんかさせる可能かのうせいがある。
  • 粘着ねんちゃくりょく:ゲームをおこな参加さんかしゃとのねばづよさ、ゲームへの粘着ねんちゃくりょく、そしてゲームをこわ抵抗ていこうりょく
  • 強度きょうど:やさしいゲームはリラックスしたかたちおこなわれる。むずかしいゲームは緊張きんちょう攻撃こうげきてきかたちおこなわれる。

受容じゅよう潜在せんざいてき危害きがいける度合どあいにもとづいて、ゲームは以下いかのように分類ぶんるいされる。

  • だいいちゲーム:これは、参加さんかしゃ社交しゃこうのサークルのなか気軽きがる交流こうりゅうできるものである。
  • だいゲーム:これは、深刻しんこく被害ひがいをもたらさないかもしれないが、参加さんかしゃれにくいゲームである。
  • だいさんゲーム:これは、参加さんかしゃ深刻しんこく被害ひがいをもたらす可能かのうせいのあるゲームである。

くわえて、ゲームはつぎのようなものにもとづいて、議論ぎろんされる

  • 目的もくてき
  • 役割やくわり
  • 社会しゃかいてき心理しんりてきなパラダイム
  • ちから関係かんけい
  • 参加さんかしゃへのつよみ(報酬ほうしゅう)

合理ごうりてき数学すうがくてき)ゲームとの対比たいひ

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交流こうりゅうゲーム分析ぶんせきは、以下いかてんにおいて、合理ごうりてきまたは数学すうがくてきなゲーム分析ぶんせきとは根本こんぽんてきことなる。

  • 参加さんかしゃ交流こうりゅう分析ぶんせきにおいて、かならずしも理性りせいのある行動こうどうおこなわない。しかしながら、参加さんかしゃ普段ふだんより一層いっそう現実げんじつてき人々ひとびとのように振舞ふるまう。
  • かれらの動機どうき目的もくてきかくされていることがある。

確認かくにんされているゲーム

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つぎのものは、エリック・バーンの書籍しょせき「Games People Play」のなか発見はっけんされた、もっと一般いっぱんてきなゲームのテーマである。

  • YDYB: Why Don't You, Yes But.(そうしたら?うん、でも) - これは最初さいしょ発見はっけんされたゲームである。
  • IFWY: If It Weren't For You(もしあなたのためでなかったら)
  • WAHM: Why does this Always Happen to Me?(どうしていつもこうなるんだ?) - 自己じこ成就じょうじゅ予言よげん
  • SWYMD: See What You Made Me Do(あなたのせいだよ)
  • UGMIT: You Got Me Into This(あなたがはじめたんでしょ)
  • LHIT: Look How Hard I've Tried(こんなに頑張がんばっているのに)
  • ITHY: I'm only Trying to Help You(あなたをくしたいだけなんだ)
  • LYAHF: Let's You and Him Fight(仲間割なかまわれ) - 三角さんかく関係かんけい

ラケット

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ラケットとは「かんじられた感情かんじょう」を認識にんしきするものと、実際じっさい感情かんじょうを「みとめない」としてけない2つの行動こうどうである[14]

これは、より専門せんもんてき説明せつめいするならば、子供こどもころつちかわれた、おおくのストレスのある環境かんきょうなか経験けいけんされた、とても馴染なじみのある感情かんじょうであり、A(Adult)としての解決かいけつさく適応てきおうできないものである。そして、「こん-ここ」の状況じょうきょうてきして対応たいおうできるA(Adult)の感情かんじょう反応はんのうわって、かならあらわれるのがこれらラケットとゲームである。

つぎにラケットとは、「こん-ここ」をかんがえるA(Adult)の思考しこうよりも、子供こどものころに形成けいせいした脚本きゃくほんによる行動こうどうである。そしてこの行動こうどうは、ラケット感情かんじょうおさなころかんれた感情かんじょう)を体験たいけんし、現状げんじょうこっていることを内部ないぶてき正当せいとうするために、(1)実際じっさい問題もんだい解決かいけつというより、脚本きゃくほん行動こうどうをあわせるために環境かんきょう操作そうさする、(2)まれているゴールは、問題もんだい解決かいけつするためにはさほどはたらかない、といえる。

ラケットは、子供こどもころ経験けいけんした感情かんじょうによる行動こうどうり、一般いっぱんてきに、それらはくるしいとかんじているにもかかわらず、意識いしきそとこるものであり、まただれかのせいで発生はっせいしたとおもわれている。そして、その報酬ほうしゅうは、子供こどもころからの脚本きゃくほんである「人々ひとびとはいつもボクを失望しつぼうさせる」という証明しょうめいになりつづけ、いっそうそのかんがえをつよくしていくのである。 つまりラケットとゲームとは、ある環境かんきょうたラケット感情かんじょう正当せいとうするために使つかわれる装置そうちであり、結果けっか子供こどもころ脚本きゃくほんはより強固きょうこなものになるといえる。

  • ラケットとラケット感情かんじょうにおけるれい:「なぜわたしはいつも、ペテン師ぺてんしのようなひとに出会であうのか」、「かれは、いつもわたし行為こうい利用りようしている」。

ドラマの三角形さんかっけい

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ドラマの三角形さんかっけいにおける迫害はくがいしゃ(P)、犠牲ぎせいしゃ(V)、救出きゅうしゅつしゃ(R)[15]

ゲームとラケットは、カープマンのドラマの三角さんかく関係かんけい英語えいごばんしたがって分析ぶんせきされることがある。つまり、迫害はくがいしゃ犠牲ぎせいしゃ救出きゅうしゅつしゃ役割やくわりからである[15]

  • 迫害はくがいしゃ(P)は、他人たにん見下みくだひとであり、他人たにん一段いちだんでOKではないとている(You are not OK)[15]
  • 救出きゅうしゅつしゃ(R)もまた、他人たにんをOKではないとているが、しかし一段いちだんひと援助えんじょしなければならないとしんじている[15]
  • 犠牲ぎせいしゃ(V)は、自分じぶん自身じしん値引ねびきしているひとであり、迫害はくがいしゃ犠牲ぎせいしゃ対象たいしょうとなる[15]

三角形さんかっけい登場とうじょうするものはすべて、なんらかのかたち値引ねびきをおこなっている[15]えは、参加さんかしゃ安定あんていした役割やくわり確立かくりつされているときに、突然とつぜん役割やくわりえがおこなわれるといえる。犠牲ぎせいしゃ迫害はくがいしゃ役割やくわりにまわり、まえ迫害はくがいしゃ犠牲ぎせいしゃ役回やくまわりにいやったり、救出きゅうしゅつしゃ突然とつぜん迫害はくがいしゃになるものである。(「あなたはいちわたし感謝かんしゃしたことがない!」といったものである)

ポップ交流こうりゅう分析ぶんせき

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エリック・バーンの一般いっぱんてき言葉ことばもちいた交流こうりゅう分析ぶんせき紹介しょうかい能力のうりょくと、一般いっぱん大衆たいしゅう書籍しょせき市場いちばにおける交流こうりゅう分析ぶんせき大衆たいしゅうは、人気にんきのある交流こうりゅう分析ぶんせき教材きょうざい書籍しょせきつく流行りゅうこうとなった。

OK牧場ぼくじょう(フランクリン・アーンスト) [16]
【1】一緒いっしょにやっていく

I am OK ,You are OK
健康けんこう立場たちば
【2】排除はいじょする

I am OK , You are not OK
偏執へんしゅうてき被害ひがい妄想もうそうてき立場たちば
【3】***からの逃避とうひ

I am not OK , You are OK
憂鬱ゆううつ立場たちば
【4】まり

I am not OK , You are not OK
不毛ふもう立場たちば

ひとつのポップ交流こうりゅう分析ぶんせきれいは、構造こうぞうモデルをえがいた漫画まんがである。ここでは、P(Parent)が判断はんだんし、A(Adult)が熟考じゅっこうし、C(Child)がかんじているというようにえがかれている。ほとんどの真面目まじめ交流こうりゅう分析ぶんせき教材きょうざいは、専門せんもんより一般いっぱん消費しょうひしゃをターゲットとしているものもふくめて、この過度かど簡素かんそけている。

トマス・アンソニー・ハリスの1960年代ねんだい後半こうはんもっと有名ゆうめいほん、「I'm OK, You're OK」は、幅広はばひろ交流こうりゅう分析ぶんせきもとにしている(OK牧場ぼくじょう)。根本こんぽんてき相違そういといえば、バーンがすべてのひと人生じんせいは、「I'm OK」というところから提唱ていしょうされているのにたいし、ハリスは人生じんせいは「I'm not OK, you're OK」からはじまっているとべている。おおくの交流こうりゅう分析ぶんせき学者がくしゃは、ハリスは交流こうりゅう分析ぶんせき学者がくしゃかんがえている基本きほん理念りねんから逸脱いつだつしているものだとなした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.1.
  2. ^ a b c スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.3.
  3. ^ これは、フロイトが、人間にんげん精神せいしんを、自我じがイドちょう自我じがからると分析ぶんせきしたのを継承けいしょうしたものである
  4. ^ 交流こうりゅう分析ぶんせきによれば、虐待ぎゃくたいといった子供こどもころわる体験たいけんは、C(Child)、P(Parent)の自我じがたいしてわる影響えいきょうおよぼし、個人こじん他者たしゃ不安定ふあんていにし、様々さまざま精神せいしん疾患しっかんこす
  5. ^ a b c d e ジョン・M・デュセイ 2000, Chapt.7.
  6. ^ a b c d スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.6.
  7. ^ a b c d e スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.8.
  8. ^ a b c d e f スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.7.
  9. ^ 仙台せんだい心理しんりカウンセリングで人生じんせい脚本きゃくほんまなぶ|脚本きゃくほん衝動しょうどうチェックと分析ぶんせき仙台せんだい心理しんりカウンセリング公式こうしきサイト
  10. ^ 9さいごろまでとされることもある[9]
  11. ^ もしかしたら、人生じんせい脚本きゃくほんは「わたしぬまで、きずつけられ、苦痛くつうけ、他人たにん不快ふかいにさせる」ものかもしれず、この目的もくてきてきしている子供こどもころした行動こうどうをとりながら、実際じっさいにそうなるように準備じゅんびしているかもしれない。ぎゃくに、もしかしたら人生じんせい脚本きゃくほんは、とても気楽きらく肯定こうていてきなものかもしれない。
  12. ^ スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.17.
  13. ^ a b c d e f g h i スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.9.
  14. ^ スチュアート & ジョインズ 1991.
  15. ^ a b c d e f スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.23.
  16. ^ スチュアート & ジョインズ 1991, Chapt.12.

参考さんこう文献ぶんけん

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エリック・バーンちょ大衆たいしゅうけ)

  • (1964) Games People Play. New York: Grove Press. ISBN 0140027688.
    • (1996) (Paperback reissue ed.) New York: Ballantine Books. ISBN 0345410033.
  • What Do You Say After You Say Hello? ISBN 055209806X.
  • (1970)Sex In Human Loving  訳書やくしょ:「交流こうりゅう分析ぶんせきによるあいせい石川いしかわ弘義ひろよし深沢ふかざわ道子みちこやく ばんまち書房しょぼう

エリック・バーンちょ(その

他者たしゃちょ

  • Stewart, I. & Joines, V. (1987) TA TODAY: A new introduction to transactional analysis.
    • イアン・スチュアート; ヴァン・ジョインズ ちょ深沢ふかざわ道子みちこ やく『TA today : 最新さいしん交流こうりゅう分析ぶんせき入門にゅうもん実務教育出版じつむきょういくしゅっぱん、1991ねん6がつISBN 9784788960695 
  • (1990)(Paperback reissue ed.) Scripts People Live: Transactional Analysis of Life Scripts. New York: Grove Press By Claude Steiner ISBN 0394492676.
  • ジョン・M・デュセイ (2000-08), エゴグラム―ひとでわかる性格せいかく自己じこ診断しんだん, ISBN 978-4422112541 

関連かんれん項目こうもく

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関連かんれん書籍しょせき

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  • Harris, T. A. (1973)  I'm OK - you're OK.
    • (ハリスT.(ちょ) 宮崎みやざき伸治しんじ(わけ) 2000 I’M OK-YOU’RE OK 幸福こうふくになる関係かんけいこわれてゆく関係かんけい最良さいりょう人間にんげん関係かんけいをつくる心理しんりがく 交流こうりゅう分析ぶんせきより 東京とうきょうどう文書ぶんしょいん
  • James, M. & Jongeward, D. (1971) Born to win: Transactional analysis with gestalt experiments.
    • (ジェイムスM.・ジョングウォードD.(ちょ) もと明寛あきひろ織田おだ正美まさみ深澤ふかざわ道子みちこ(わけ) 1976 自己じこ実現じつげんへのみち交流こうりゅう分析ぶんせき(TA)の理論りろん応用おうよう 東京とうきょう社会しゃかい思想しそうしゃ
  • James, M. ()  Breaking free.
    • (ジェイムスM.(ちょ) 深澤ふかざわ道子みちこ(わけ) 1984 突破とっぱへのみちあたらしい人生じんせいのためのセルフ・リペアレンティング 東京とうきょう社会しゃかい思想しそうしゃ
  • Jongeward, D. & James, M. (1981)  Winning ways in health care: Transactional analysis for effective communication.
    • (ジョングウォードD.・ジェームズM.(ちょ) 藤田ふじたたかし一郎いちろう西元にしもと勝子かつこわけ) 1987 ナースのための交流こうりゅう分析ぶんせきトレーニング:よりよき患者かんじゃ理解りかい自己じこ実現じつげんをめざして 東京とうきょう医学書院いがくしょいん
  • Goulding, M. M. & Goulding, R. L. (1979) Changing lives through redecision therapy.
    • (グルーディングM.M.・グルーディングR.L.(ちょ) 深澤ふかざわ道子みちこ(わけ) 1980 自己じこ実現じつげんへのさい決断けつだん:TA・ゲシュタルト療法りょうほう入門にゅうもん 東京とうきょう星和せいわ書店しょてん
  • Stewart, I. (1989) Transactional analysis counseling in action.
    • (I.スチュアート(ちょ) 杉村すぎむら省吾しょうご酒井さかい敦子あつこ本多ほんだおさむしばだい哲夫てつお(わけ) 1998 交流こうりゅう分析ぶんせきのカウンセリング:対人たいじん関係かんけい心理しんりがく 東京とうきょう川島書店かわしましょてん
  • Stewart, I. (1992) Eric Berne.
    • (I.スチュアート(ちょ) しょえい好孝よしたか(わけ) 1998 エリック・バーン TA(交流こうりゅう分析ぶんせき)の誕生たんじょう発展はってん 東京とうきょう:チーム医療いりょう
  • Stewart, I. & Joines, V. (2002) Personality Adaptations
    • (I.スチュアート・V.ジョインズ(ちょ) 白井しらい幸子さちこ繁田しげた千恵ちえ(かんやく) 2007 交流こうりゅう分析ぶんせきによる人格じんかく適応てきおうろん 東京とうきょうまことしん書房しょぼう

外部がいぶリンク

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