伊達だて 宗はじめ元もと(だて むねもと)は、江戸えど時代じだい前期ぜんきから中期ちゅうきにかけての武士ぶし。陸奥みちのく国こく仙台せんだい藩はん一門いちもん第だい四よん席せき・涌谷わくや伊達だて家か3代だい(亘理わたり氏し21代だい)当主とうしゅ。
寛永かんえい19年ねん(1642年ねん)、伊達だて宗そう重しげるの次男じなんとして誕生たんじょう。
宗そう元はじめが日光にっこう東照宮とうしょうぐうの修築しゅうちくを任まかされた際さい、藩主はんしゅ伊達だて綱村つなむらから御家おいえの幕まくを改あらためるよう命めいじられた。
宗そう元はじめの系統けいとうは亘理わたり氏しから起おこっている。そして亘理わたり氏しは千葉ちば六ろく党とうの武石たけいし氏し一族いちぞくであるため、宗そう元はじめは家臣かしんに千葉ちば氏しの家紋かもんを調しらべさせ、以後いご改あらためた。
仙台せんだい藩はんの家格かかく