伊達だて 村元むらもと(だて むらもと)は、江戸えど時代じだい中期ちゅうきの武士ぶし。陸奥みちのく国こく仙台せんだい藩はん一門いちもん第だい四よん席せき・涌谷わくや伊達だて家か4代だい(亘理わたり氏し22代だい)当主とうしゅ。
寛文ひろふみ6年ねん(1666年ねん)、伊達だて宗はじめ元もとの子ことして誕生たんじょう。
後世こうせいに残のこる事績じせきはあまりなかった。享とおる保ほ3年ねん(1718年ねん)に53歳さいで死去しきょし、子こ・村むら定じょうが跡あとを継ついだ。
村むら定じょうの弟おとうと・村むら景けいは、始はじめ仙台せんだい藩はん3代だい藩主はんしゅ・伊達だて綱つな宗むねの養子ようしとなり、その後ごに水沢すいたく家かの伊達だて村むら和わの養子ようしとなり跡あとを継ついだ。
仙台せんだい藩はんの家格かかく