伊達だて 村むら定じょう(だて むらさだ)は、江戸えど時代じだい中期ちゅうきの武士ぶし。陸奥みちのく国こく仙台せんだい藩はん一門いちもん第だい四よん席せき・涌谷わくや伊達だて家か5代だい(亘理わたり氏し23代だい)当主とうしゅ。
貞享ていきょう4年ねん(1687年ねん)、伊達だて村元むらもとの子ことして誕生たんじょう。仙台せんだい藩はん4代だい藩主はんしゅ・伊達だて綱村つなむらの偏へん諱いみなを受うけ村むら定じょうと名乗なのる。
泉田いずみだ虎とら時じの娘むすめから村むら盛もりが、その後ご某ぼう室しつから村むら胤たねが誕生たんじょうした。
父ちちの跡あとを継ついで涌谷わくや伊達だて家かの当主とうしゅとなるが、家督かとくを相続そうぞくして僅わずか5年ねん後ごの享とおる保ほ8年ねん(1723年ねん)に死去しきょ。享年きょうねん37。跡あとは長男ちょうなん・村むら盛もりが継ついだ。
仙台せんだい藩はんの家格かかく