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作事さくじ奉行ぶぎょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

作事さくじ奉行ぶぎょう(さくじぶぎょう)とは、江戸えど時代じだい江戸えど幕府ばくふしょはんかれた役職やくしょくの1つで作事さくじ建物たてもの建築けんちく修理しゅうり)をつかさどる。

概要がいよう

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ふるくは織田おだ信長のぶなが安土あづち時代じだい諸種しょしゅ奉行ぶぎょういたなかの14あるひとつに「作事さくじ奉行ぶぎょう」があり(後述こうじゅつしょ pp.11 - 13)、徳川とくがわ幕府ばくふ以前いぜんからある役職やくしょくであったが、信長のぶなが奉行ぶぎょうしょくはほとんど臨時りんじしょくであり、常時じょうじしょくではなかった[1]

豊臣とよとみ秀吉ひでよし没後ぼつご江戸えど幕府ばくふ創立そうりつあいだ慶長けいちょう6ねん1601ねん)には、小堀こぼり正次まさつぐ伏見ふしみじょう作事さくじ奉行ぶぎょういている。しろ以外いがい事例じれいとしては、天正てんしょう14ねん1586ねん)に方広寺ほうこうじ大仏殿だいぶつでんきょう大仏だいぶつ)の作事さくじ奉行ぶぎょうとして片桐かたぎり且元にんじられているが、後述こうじゅつするように江戸えどになると宮大工みやだいく寺社じしゃ奉行ぶぎょう管轄かんかつ分割ぶんかつされる。

江戸えど幕府ばくふ作事さくじ奉行ぶぎょうは、大工だいくあたまはじ棟梁とうりょうかく士分しぶんとして処遇しょぐうすることにより、建設けんせつ技術ぎじゅつしゃ集団しゅうだん統率とうそつし、江戸城えどじょう維持いじ補修ほしゅうたった(宮大工みやだいくほう寺社じしゃ奉行ぶぎょう管轄かんかつたる)[2]

江戸えど幕府ばくふ作事さくじ奉行ぶぎょう

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普請ふしん奉行ぶぎょう小普請こぶしん奉行ぶぎょうとあわせさん奉行ぶぎょう(しもさんぶぎょう)とばれた。

寛永かんえい9ねん1632ねん設置せっち老中ろうじゅう支配しはいけ、しょ大夫たいふやくやくだかは2000せき定員ていいんは2めい殿中でんちゅうせき芙蓉ふようあいだ幕府ばくふにおける造営ぞうえい修繕しゅうぜん管理かんりてのひらった。とく木工もっこう仕事しごとせんもんで、大工だいく細工ざいくたたみ植木うえきなどを統括とうかつした。寛文ひろふみ2ねん1662ねん)からは1めい宗門しゅうもんあらためやく兼任けんにんした。

納戸なんどこうなかくちもんあいだむね一番いちばんはし目付めつけ部屋へやとなり本部ほんぶかれた。下役したやく京都きょうと大工だいくあたま大工だいくあたま作事さくじ奉行ぶぎょうたたみ奉行ぶぎょう細工所さいくしょあたま勘定かんじょうやく頭取とうどり作事さくじかた被官ひかんかわら奉行ぶぎょう植木うえき奉行ぶぎょう作事さくじかたにわさくなどのやくがある。

作事さくじ奉行ぶぎょう無事ぶじつとめあげたものは、大目おおめづけ町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょうなどに昇進しょうしんした。

歴代れきだい

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しょはん作事さくじ奉行ぶぎょう

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しょはんでも作事さくじ奉行ぶぎょうしょくはん存在そんざいした。ただし仙台せんだいはんにおいて作事さくじ奉行ぶぎょう後年こうねん廃止はいしし、配下はいか作事さくじかた出入でいり直轄ちょっかつとする(仙台せんだいはん役職やくしょく参照さんしょう)など廃止はいしされた場合ばあいもある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 川口かわぐち謙二けんじ 池田いけだたかし 池田いけだ政弘まさひろ東京とうきょう美術びじゅつ選書せんしょ33 江戸えど時代じだい奉行ぶぎょうしょく事典じてん東京とうきょう美術びじゅつ 1983ねん pp.11 - 13.
  2. ^ 週刊しゅうかん朝日あさひムックvol.2 歴史れきしどう 江戸えどらしと仕事しごとだい図鑑ずかん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ出版しゅっぱん 2019ねん p.27.

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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