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倉島くらしま富次郎とみじろう

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倉島くらしま 富次郎とみじろう
生誕せいたん 1877ねん4がつ28にち
日本の旗 日本にっぽん 長野ながのけん
死没しぼつ 不明ふめい
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1898ねん - 1928ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
除隊じょたい 信濃しなの招魂しょうこんしゃ社司しゃし
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倉島くらしま 富次郎とみじろう(くらしま とみじろう、1877ねん明治めいじ10ねん4がつ28にち[1][2] - 没年ぼつねん不明ふめい[1])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょうこうよんきゅう[3]

経歴けいれき人物じんぶつ

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長野ながのけん小県ちいさがたぐん本原もとはらむらげん上田うえだ真田さなだまち本原もとはら出身しゅっしん[2]1898ねん明治めいじ31ねん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい10卒業そつぎょう[1]

1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ麻布あざぶ連隊れんたい司令しれいかんて、同年どうねん4がつ陸軍りくぐん歩兵ほへい大佐たいさ昇進しょうしん[3]。その1923ねん大正たいしょう12ねん)8がつ歩兵ほへいだい69連隊れんたいちょう1925ねん大正たいしょう14ねん)5がつ富山とやま連隊れんたい司令しれい同年どうねん8がつだい9師団しだん司令しれい金沢医科大学かなざわいかだいがく服務ふくむて、1927ねん昭和しょうわ2ねん)3がつ陸軍りくぐん少将しょうしょう歩兵ほへいだい4旅団りょだんちょう補任ほにん翌年よくねん1928ねん昭和しょうわ3ねん)8がつ10日とおか待命たいめい同年どうねん8がつ29にち予備よびやく編入へんにゅうした[3]

退役たいえきは、神職しんしょくてんじ、信濃しなの招魂しょうこんしゃ社司しゃしなどをつとめた[2]1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[4]

栄典えいてん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』281ぺーじ
  2. ^ a b c 帝国ていこく秘密ひみつ探偵たんていしゃ 1943, 長野ながの9ぺーじ.
  3. ^ a b c 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』154ぺーじ
  4. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」54ぺーじ
  5. ^ 官報かんぽうだい5587ごう叙任じょにん及辞れい」1902ねん2がつ21にち

参考さんこう文献ぶんけん

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