(Translated by https://www.hiragana.jp/)
儀仗 - Wikipedia コンテンツにスキップ

儀仗ぎじょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1986ねん中曽根なかそね康弘やすひろ首相しゅしょうと、レーガン米国べいこく大統領だいとうりょうたいして儀仗ぎじょうする保安ほあん中隊ちゅうたい

儀仗ぎじょう(ぎじょう)とは、

概要がいよう[編集へんしゅう]

じゅん軍事ぐんじてき目的もくてきのためにもちいられる武器ぶき武具ぶぐ兵仗ひょうじょうぶのにたいして、儀礼ぎれいようのものを儀仗ぎじょうしょうする。両者りょうしゃわせてうつわぶ。

兵仗ひょうじょう新式しんしき武器ぶき登場とうじょうなどによってもちいられなくなり儀仗ぎじょうてんじたものや、儀仗ぎじょうようとして華美かび装飾そうしょくほどこされ実用じつようせいたないものなどがあった。

古墳こふん時代じだいられるあたましい大刀たちなどの装飾そうしょくづけ大刀たちを、儀仗ぎじょうようとしてもちいられた武器ぶき先駆せんくてき存在そんざいとみなすせつがある。律令りつりょう制度せいどのもとで衣服いふくれいなどで武官ぶかん礼服れいふく儀仗ぎじょうについて規定きていされ、みやまもるれいではもとにちなどの儀礼ぎれいにおいて儀仗ぎじょうもちいることが規定きていされている。

時代じだいくだるにつれておおくの儀仗ぎじょうよう武器ぶき武具ぶぐ派生はせいするようになる。公家くげ太刀たち弓矢ゆみやもと実用じつようのためであったが、後世こうせいでは装飾そうしょくほどこされてもっぱ儀仗ぎじょうとしての役目やくめたすようになった。武家ぶけにおいても、ふる時代じだいからのよろいだいよろい)が、もとはちゅう下級かきゅう武士ぶし一般いっぱん兵卒へいそつよう簡素かんそ武具ぶぐであった腹巻はらまき胴丸どうまるえられ、さらには西洋せいよう甲冑かっちゅう技術ぎじゅつ生産せいさんせい機能きのうせい重視じゅうしした当世とうせい具足ぐそく登場とうじょうしたため、「本式ほんしきよろい」として儀仗ぎじょうしていった。じん太刀だち当初とうしょ実戦じっせんようこしらえだったが、次第しだい贈答ぞうとう儀礼ぎれいようになり、江戸えど時代じだいには儀仗ぎじょう太刀たちとして制定せいていされた。

儀仗ぎじょうへい[編集へんしゅう]

ロンドン・ヴィクトリアえき儀仗ぎじょうける皇太子こうたいし裕仁ひろひと親王しんのう左端ひだりはし)。そのとなりジョージ5せい。1921ねん

近代きんだい以後いごになると、元首げんしゅなどの高位こういしゃ威儀いぎせいかざりのために儀仗ぎじょう装備そうびして動員どういんされる兵員へいいんすようになる。ただし、高位こういしゃ警衛けいえいとしての役割やくわり完全かんぜん喪失そうしつしたわけではない。制度せいどによって、儀仗ぎじょうへい儀仗ぎじょう衛兵えいへい儀仗ぎじょうたいなどの呼称こしょうもちいられている。

日本にっぽんきゅう陸軍りくぐんきゅう海軍かいぐんでは、天皇てんのう軍隊ぐんたい艦隊かんたい視察しさつおこなさい儀仗ぎじょうきょうする部隊ぶたい儀仗ぎじょうへいしょうし、視察しさつ途上とじょう護衛ごえいおこな儀仗ぎじょうたい宿舎しゅくしゃなどの護衛ごえいおこな儀仗ぎじょう衛兵えいへいこまかくけられていた。戦後せんご自衛隊じえいたいがその役割やくわりぎ、栄誉えいよれい天皇てんのうなどの葬礼そうれいおこなさい礼式れいしき儀仗ぎじょうしょうし、それをおこな部隊ぶたい儀仗ぎじょうたい呼称こしょうする。今日きょうでは東京とうきょう市ヶ谷いちがや駐屯ちゅうとんきゅう東部とうぶ方面ほうめん総監そうかんげん防衛ぼうえいしょう本省ほんしょう)にかれている陸上りくじょう自衛隊じえいたいだい302保安ほあん警務けいむ中隊ちゅうたい栄誉えいよれいなどの儀仗ぎじょうおこなうこととされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ "儀仗ぎじょう". 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん. コトバンクより2023ねん1がつ30にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]