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ひかり寿ことぶきあんあと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひかり寿ことぶきあんあと
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん高山たかやま上広瀬かみひろせ1007
位置いち 北緯ほくい3612ふん05.0びょう 東経とうけい13714ふん29.3びょう / 北緯ほくい36.201389 東経とうけい137.241472 / 36.201389; 137.241472座標ざひょう: 北緯ほくい3612ふん05.0びょう 東経とうけい13714ふん29.3びょう / 北緯ほくい36.201389 東経とうけい137.241472 / 36.201389; 137.241472
宗派しゅうは 不明ふめい
本尊ほんぞん 不明ふめい
創建そうけんねん 白鳳はくほう
開基かいき 広瀬ひろせ
文化財ぶんかざい 日本にっぽん遺産いさん:ひかり寿ことぶきあんあと
けん:ひかり寿ことぶきあんあと出土しゅつどかわら
光寿庵跡の位置(岐阜県内)
光寿庵跡
ひかり寿ことぶきあんあと
ひかり寿ことぶきあんあと (岐阜ぎふけん)
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ひかり寿ことぶきあんあと(こうじゅあんあと)は岐阜ぎふけん高山市たかやまし国府こくふまち上広瀬かみひろせ諏訪すわ神社じんじゃ後背こうはいにある白鳳はくほう寺院じいんあと出土しゅつどかわら岐阜ぎふけん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい[1]されている。また日本にっぽん遺産いさん飛騨ひだたくみわざ・こころ / 国府こくふ盆地ぼんち中世ちゅうせい社寺しゃじ建築けんちくぐん』の構成こうせい遺産いさんひとつとして認定にんていされている[2] [3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

正確せいかく創建そうけんしょうであるが、出土しゅつど遺物いぶつから白鳳はくほうさかのぼ寺院じいんであるとみられる。開基かいきとう地方ちほう豪族ごうぞくであった広瀬ひろせ関係かんけいがあるとかんがえられている。また、ふもと存在そんざいした石橋いしばし廃寺はいじどう氾のかわら発掘はっくつされており、上寺うえでら下寺しもでら関係かんけいにあったと推定すいていされている。てら盛衰せいすいについては資料しりょうとぼしくあまりおおくわかっていないが長野ながのけん王滝おうたきむら歴史れきし資料しりょうかん所蔵しょぞうする鰐口わにぐちめいに、とうてらことすとみられる向上こうじょうあんという文字もじがみられることから、えいとおる8ねん(1436ねん)までは存続そんぞくしていたとかんがえられている。出土しゅつどひんにはのきまるかわらのきひらかわらひらかわらがある。かわら一部いちぶには制作せいさくこうじん当時とうじ人物じんぶつぞう落書らくがきしたものがのこっており[3]昭和しょうわ31ねん(1956ねん)に岐阜ぎふけん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている[1]。また寺院じいんあとには礎石そせきがみられ、平成へいせい28ねん(2016ねん)に日本にっぽん遺産いさん飛騨ひだたくみわざ・こころ - とともに、いまぐ1300ねん -』の構成こうせい文化財ぶんかざいとなっている。

周辺しゅうへん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 国府こくふまち教育きょういく委員いいんかい 『国府こくふまち文化財ぶんかざい』 1972ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b ひかり寿ことぶきあんあと出土しゅつどかわら / 重要じゅうよう文化財ぶんかざい”. 岐阜ぎふけん. 2021ねん11月20にち閲覧えつらん
  2. ^ 03, ひかり寿ことぶきあんあと”. 飛騨高山ひだたかやま公式こうしき観光かんこうサイト 飛騨ひだ高山たかやま観光かんこうコンベンション協会きょうかい. 2021ねん11月20にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 04, ひかり寿ことぶきあん出土しゅつどかわら”. 飛騨高山ひだたかやま公式こうしき観光かんこうサイト 飛騨ひだ高山たかやま観光かんこうコンベンション協会きょうかい. 2021ねん11月20にち閲覧えつらん