加納かのう友之ともゆきかい

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加納かのう友之ともゆきかい

加納かのう 友之ともゆきかい(かのう とものすけ、1872ねん6月13にち明治めいじ5ねん5月8にち) - 1936ねん昭和しょうわ11ねん8がつ14にち)は、明治めいじ官僚かんりょう住友銀行すみともぎんこう理事りじ

経歴けいれき[編集へんしゅう]

茨城いばらきけんまれ。さとせいつとめる郷士ごうし家系かけい。12さい慶應義塾けいおうぎじゅく幼稚ようちしゃはいるも、病気びょうき退学たいがく。1896ねん明治めいじ29ねん帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく卒業そつぎょう。1897ねん明治めいじ30ねんのう商務省しょうむしょうはい参事官さんじかんとして商工しょうこうきょく勤務きんむ。1902ねん明治めいじ35ねん)に政府せいふ委員いいんとして欧州おうしゅう各国かっこく巡視じゅんし。1904ねん明治めいじ37ねん)、北海道拓殖銀行ほっかいどうたくしょくぎんこうはいり、よくはる住友銀行すみともぎんこうてん東京とうきょう支店してんちょうとなる。のち東海銀行とうかいぎんこう1941ねん設立せつりつ同名どうめいぎょうとは無関係むかんけい)の頭取とうどりだいいち銀行ぎんこう取締役とりしまりやく自動車じどうしゃ工業こうぎょうげんいすゞ自動車ずじどうしゃ)の社長しゃちょうなどを歴任れきにんした。墓所はかしょ多磨たま霊園れいえん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]