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北園きたぞの克衛かつえ

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北園きたぞの克衛かつえ

北園きたぞの 克衛かつえ(きたぞの かつえ、1902ねん明治めいじ35ねん10月29にち - 1978ねん昭和しょうわ53ねん6月6にち)は、三重みえけん出身しゅっしん詩人しじん写真しゃしん、デザイナー。中央大学ちゅうおうだいがく経済学部けいざいがくぶそつ本名ほんみょう橋本はしもと健吉けんきち(はしもと けんきち)[1]実兄じっけい彫刻ちょうこく橋本はしもと平八へいはち代表だいひょうてき詩集ししゅうに『しろのアルバム』『くろ』などがある。「Kitasono」と署名しょめいしていたことから<きたその>と表記ひょうきされることがおおいが<ぞの>がただしい(マ字まじではなくフランス語ふらんすご署名しょめい)。周辺しゅうへんからは「ゾノさん」とばれていた。エズラ・パウンド北園きたぞのとの往復おうふく書簡しょかんなかで「キットカット」(Kit Kat)とんだ。

人物じんぶつ

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1902ねん現在げんざい三重みえけん伊勢いせ朝熊あさままちまれる[1]関東大震災かんとうだいしんさいのあと、大正たいしょう末期まっきから昭和しょうわ初期しょきにかけてはなひらいた前衛ぜんえい文化ぶんか中心ちゅうしん活躍かつやくした、いわゆるモダニズム詩人しじん代表だいひょうてき人物じんぶつ日本にっぽんはじめてのシュルレアリスム宣言せんげん上田うえだ敏雄としお上田うえだたもつ (英文えいぶん学者がくしゃ)連名れんめい)を配布はいふしたことからシュルレアリスム詩人しじんとされることがおおいが、シュルレアリスムからは短期間たんきかん離脱りだつ該当がいとうする作品さくひん少量しょうりょうにすぎない。むしろバウハウス造型ぞうけい理念りねん視覚しかくてき享受きょうじゅした影響えいきょうおおきい。

本質ほんしつ頑迷がんめい気骨きこつ濃密のうみつロマンティシズムをまとった明治めいじまれの文人ぶんじん典型てんけい。1935ねんにサロンてき同人どうじん・VOU(ヴァウ)を主宰しゅさい同名どうめい機関きかんVOU』を発行はっこう以後いご終生しゅうせいにわたりしゅたる発表はっぴょうとなる。戦前せんぜんには俳句はいくんだが、関東大震災かんとうだいしんさい罹災りさいするまで下宿げしゅくしていたのがはら石鼎せきていたくはなれだったという経緯けいいがある。

自身じしん抒情じょじょう和風わふう実験じっけんみっつに分類ぶんるいされると説明せつめいしているように、傾向けいこう多岐たきにわたる。このうち「実験じっけん」にるいするぐんは、ことばの意味いみよりも文字もじのかたちを重要じゅうようしたり、いちぎょういち、「れん」が図形ずけいをかたちづくるなど、形状けいじょうやパターンに独特どくとく視線しせんそそいで興味深きょうみぶか成果せいかみちびいた。

代表だいひょうさく単調たんちょう空間くうかん」(1959)はこの詩人しじん美意識びいしき結晶けっしょうしたもので、当時とうじ世界せかい席巻せっけんしていたコンクリート・ポエトリー関連かんれんづけることができる日本にっぽんではかずすくない言語げんごである。また処女しょじょ詩集ししゅうしろのアルバム』(1929)に収録しゅうろくされている「図形ずけいせつ」は活字かつじだけをもちいてえがかれた絵画かいがてき作品さくひんぐんで、コンクリート・ポエトリーにおいて前史ぜんしてき位置いちをあたえられており、ロシア構成こうせい主義しゅぎの「こえのために」(マヤコフスキー/リシツキー)と比較ひかくされることがおおい。

1950年代ねんだいから写真しゃしん作品さくひん発表はっぴょうし、主観しゅかん主義しゅぎ写真しゃしん英語えいごばん流行りゅうこうにおいては紹介しょうかいしゃとしての立場たちばをみとめることができる。

ひだりから山本やまもと悍右つじ節子せつこ北園きたぞの 1959ねん
だい12かいVOU形象けいしょうてん会場かいじょうにて

1960年代ねんだい以降いこう室内しつない静物せいぶつ造型ぞうけいてきにセッティングして撮影さつえいする作風さくふう変化へんかしながら、やがて写真しゃしんを<そのもの>と定義ていぎする「プラスティック・ポエム」にたどりく。1966ねんかれたマニフェストはまず英語えいごで、いで日本語にほんご発表はっぴょうされるが、その背景はいけいにはコンクリートおよびヴィジュアル・ポエトリー英語えいごばん変遷へんせんはげしい流行りゅうこうからだっして独自どくじのスタンスを確保かくほしようというねらいがあった。

詩作しさく一方いっぽう北園きたぞの克衛かつえグラフィックデザイナーであり、イラストレーターでもあり、編集へんしゅうしゃでもあった。当初とうしょ油彩ゆさいえが二科展にかてん入選にゅうせんたすなど画才がさいにめぐまれ、昭和しょうわつうじておびただしい文芸ぶんげいしょ装幀そうてい挿画そうがとして関与かんよしている(ハヤカワ・ミステリ文庫ぶんこエラリイ・クイーンのシリーズ装幀そうていなどがひろしたしまれている[1])。多彩たさい活動かつどうひろげる一方いっぽうで、つねに「詩人しじん」という肩書かたがきでとおした。

日本にっぽん戦後せんご戦前せんぜんモダニズム超克ちょうこくすることから開始かいしされたため、1950年代ねんだい以降いこう批評ひひょう前面ぜんめん北園きたぞの克衛かつえ名前なまえがあらわれる機会きかいはまれであった。とくに生活せいかつ社会しゃかいをテーマにすることをきらうこの詩人しじん戦後せんごのリアリズムてき思潮しちょうにかさなるはずもなく、ぼっするまで公平こうへい評価ひょうか機会きかいおとずれなかった。またいわゆる戦争せんそういていたことから文学ぶんがくしゃ戦争せんそう責任せきにんをめぐる議論ぎろんにのぼることもあるが、このてんについては、モダニズムつうそこする一種いっしゅ融通ゆうずうせいナショナリズム容易ようい透過とうかさせるワームホールになっていた、という一般いっぱんてき戦争せんそうのメカニズム理解りかい留意りゅういする必要ひつようがあるかもしれない。当局とうきょくによる統制とうせいにおいて北園きたぞの克衛かつえがもっともおおいた日本にっぽん風土ふうど光景こうけい主題しゅだいとする郷土きょうどであった。

戦後せんごはデザインの仕事しごとにもめぐまれ、建築けんちくやデザイナーに信奉しんぽうしゃおおみ、また詩作しさくについても充実じゅうじつした作品さくひんをつくりつづけ、がいして多方面たほうめんにわたりにぎやかな活躍かつやくつづけた。1978ねん6がつ6にち肺癌はいがんのため死去しきょ戒名かいみょう克行かつゆきいんけんおうらんどう居士こじ[2]ぼっしたのち、1980年代ねんだい以降いこうにはアートや写真しゃしんなど、無関係むかんけい方面ほうめんからあたらしい世代せだいが「発見はっけん」していくかたちで評価ひょうかされはじめ、そのうごきは2002ねん北園きたぞの克衛かつえ生誕せいたんひゃくねんイベントを継続けいぞくしている。

多摩美術大学たまびじゅつだいがく図書館としょかんないに、遺品いひん中心ちゅうしんとした北園きたぞの克衛かつえ文庫ぶんこ設置せっちされている。なお遺品いひんのなかには有名ゆうめいな「つくえ」(北園きたぞの克衛かつえ編集へんしゅうしていた紀伊国屋きのくにや書店しょてんのPR)がいちてんふくまれていなかったが、日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん東京とうきょう駒場こまば)の設立せつりつ北園きたぞの本人ほんにん所蔵しょぞうをすべて寄贈きぞうしたためである。

北園きたぞの克衛かつえぜん詩集ししゅう』が刊行かんこうされているが、これは既刊きかん詩集ししゅうさいろくしたぜん詩集ししゅうであり、詩作しさく網羅もうらするものではない。また種類しゅるいある同名どうめい詩集ししゅうおな原稿げんこうもちい、戦争せんそう割愛かつあいしているなど注意ちゅうい必要ひつよう刊行かんこうぶつである。造形ぞうけいについては『カバンのなかの月夜つきよ』(国書刊行会こくしょかんこうかい)などでることができる。墓所はかしょ渋谷しぶや祥雲寺しょううんじ

1924ねん『GE.GJMGJGAM.RRRR.GJMGEM』編集へんしゅう同人どうじんになった。1927ねん薔薇ばら魔術まじゅつ学説がくせつ』を創刊そうかんした。1928ねん衣裳いしょう太陽たいよう』を創刊そうかんした。1935ねんVOUクラブを結成けっせいし、『VOU』を創刊そうかん編集へんしゅうした。1937ねん風流ふうりゅうじん』を創刊そうかんした。1944ねんむぎかい結成けっせいし、『むぎ通信つうしん』を発刊はっかんした。1946ねん『VOU』を復刊ふっかんした。日本歯科大学にっぽんしかだいがく企画きかく勤務きんむし、図書館としょかんちょうつとめた。

著作ちょさく

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詩集ししゅう

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  • しろのアルバム』厚生こうせいかく書店しょてん現代げんだい芸術げいじゅつ批評ひひょう叢書そうしょ だい6へん)/1929ねん
  • わかいコロニイ』ボン書店しょてん/1932ねん
  • 『Ma Petite Maison』ボン書店しょてん/1933ねん
  • 円錐えんすい詩集ししゅう』ボン書店しょてん/1933ねん
  • 『鯤』民族みんぞくしゃ/1936ねん
  • なつ手紙てがみ』アオイ書房しょぼう/1937ねん
  • 『サボテンとう』アオイ書房しょぼう/1938ねん
  • すみれあきらもりしゃ/1939ねん
  • かたたまご文芸ぶんげい汎論はんろんしゃ/1941ねん
  • 風土ふうどあきらもりしゃ/1943ねん
  • すなうぐいすきょうたて書店しょてん/1951ねん
  • くろあきらもりしゃ/1951ねん
  • わかいコロニイ(定本ていほん)』国文こくぶんしゃ/1953ねん
  • 真昼まひるのレモン』あきらもりしゃ/1954ねん
  • 『Black Rain』ダイバァーズ・プレス/1954ねん
  • 『ヴイナスの貝殻かいがら国文こくぶんしゃ(ピポー叢書そうしょ)/1955ねん
  • 『ガラスの口髭くちひげ国文こくぶんしゃ/1956ねん
  • あお距離きょり』パピルス・プレス(現代げんだい詩人しじん叢書そうしょ1)/1958ねん
  • けむり直線ちょくせん国文こくぶんしゃ/1959ねん
  • いえあきらもりしゃ/1959ねん
  • 眼鏡めがねなか幽霊ゆうれい』プレス・ビブリオマーヌ(コレクション「サフィール」だいへん)/1965ねん
  • 空気くうきはこ』VOU/1966ねん
  • 『Moonlight Night In A Bag』VOU/1966ねん(※プラスティック・ポエムしゅう
  • しろ断片だんぺん』VOU/1973ねん
  • 『Study Of Man By Man』Edizioni Factotum-Art(Factotumbook 15)/1979ねん(※プラスティック・ポエムしゅう
  • 『BLUE』EDITIONS VOU/1979ねん(※遺稿いこう詩集ししゅう
  • 色彩しきさい都市とし 北園きたぞの克衛かつえ初期しょき詩集ししゅうぐん』/プレス・ビブリオマーヌ/1981ねん(※初期しょき詩篇しへん

評論ひょうろん・エッセイ

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  • てん手袋てぶくろ春秋しゅんじゅう書房しょぼう/1933ねん
  • けい風流ふうりゅうじん発行はっこうしょ風流ふうりゅうじん俳句はいく文学ぶんがく叢書そうしょだい4)/1939ねん
  • 『ハイブラウの噴水ふんすいあきらもりしゃ/1941ねん
  • 郷土きょうど詩論しろんあきらもりしゃ・1944ねん
  • いろい楕円だえんたからぶんかん/1953ねん

翻訳ほんやく

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  • 『Les Petites Justes』ポール・エリュアール ちょ/ラベ書店しょてん/1933ねん
  • こいうた』ステフアヌ・マラルメ ちょ/ボン書店しょてん/1934ねん
  • ほお』レェモン・ラディゲ ちょ白水しろみずしゃ/1953ねん

作品さくひんしゅう・その

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  • くろ招待しょうたいけん』Mira Center、1964ねん - ※短編たんぺん小説しょうせつしゅう
  • 句集くしゅう むら』(船木ふなきひとしふじ富保とみやすおとこへんかわららんどう、1980ねん
  • 北園きたぞの克衛かつえ詩集ししゅう思潮しちょうしゃ現代げんだい詩文しぶん1023)、1981ねん
  • 北園きたぞの克衛かつえぜん詩集ししゅう』(ふじ富保とみやすおとこへん沖積舎ちゅうせきしゃ、1986ねん再版さいはん2001ねん新装しんそうばん2017ねん
  • 『2角形かくがた詩論しろん 北園きたぞの克衛かつえエッセイズ』リブロポート(アール・ヴィヴァンへん)、1987ねん
  • 北園きたぞの克衛かつえぜん評論ひょうろんしゅう』(鶴岡つるおか善久よしひさへん沖積舎ちゅうせきしゃ、1988ねん
  • 北園きたぞの克衛かつえぜん写真しゃしんしゅう』(鶴岡つるおか善久よしひさへん沖積舎ちゅうせきしゃ、1992ねん新装しんそうばん2014ねん
  • しろのアルバム:散文さんぶん』ゆまに書房しょぼう現代げんだい芸術げいじゅつ批評ひひょう叢書そうしょ6)、1994ねん(※復刻ふっこくばん
  • 北園きたぞの克衛かつえ・レスプリヌーボーの実験じっけん』(内堀うちぼりひろしへんほんともしゃ (コレクション・日本にっぽんシュールレアリスム7)、2000ねん
  • 『カバンのなかの月夜つきよ 北園きたぞの克衛かつえ造型ぞうけい』(金澤かなざわ一志かずし監修かんしゅう国書刊行会こくしょかんこうかい、2002ねん
  • 北園きたぞの克衛かつえエッセイしゅう沖積舎ちゅうせきしゃ、2004ねん
  • 記号きごうせつ 1924-1941』(金澤かなざわ一志かずしへん思潮しちょうしゃ、2014ねん
  • 単調たんちょう空間くうかん 1949-1978』(金澤かなざわ一志かずしへん思潮しちょうしゃ、2014ねん
  • 白昼はくちゅうのスカイスクレエパア = Skyscraper of broad daylight:北園きたぞの克衛かつえモダン小説しょうせつしゅうまぼろしおどけ書房しょぼう、2016ねん
  • 北園きたぞの克衛かつえ しおり樹木じゅもくそして茶碗ちゃわん中松なかまつ商店しょうてん、2019ねん中松なかまつ弘毅こうきへん
  • 『20's 北園きたぞの克衛かつえ1920年代ねんだい実験じっけん小説しょうせつ集成しゅうせい』(加藤かとうひとしへんまぼろしおどけ書房しょぼう、2023ねん

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 読売新聞よみうりしんぶん』 2010ねん9がつ28にちづけ朝刊ちょうかん、13はん、24めん
  2. ^ 大塚おおつかえいりょう文学ぶんがくしゃ掃苔ろく図書館としょかん』(はら書房しょぼう、2015ねん)79ぺーじ

関連かんれん文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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  • 北園きたぞの克衛かつえ音楽おんがく - ウェイバックマシン(2016ねん3がつ4にちアーカイブぶん) - 長木ながき誠司せいじによる論文ろんぶん一部いちぶ日本にっぽん現代げんだい音楽おんがく協会きょうかい機関きかん『NEW COMPOSER』で発表はっぴょうされた。北園きたぞの克衛かつえによる音楽おんがく作品さくひん紹介しょうかいされている。