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北村きたむらだい

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北村きたむら だい
生誕せいたん 1896ねん3月3にち
日本の旗 日本にっぽん 熊本くまもとけん
死没しぼつ (1988-12-31) 1988ねん12月31にち(92さいぼつ
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1919ねん - 1945ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
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北村きたむら だい[注釈ちゅうしゃく 1](きたむら よしふと[2]1896ねん明治めいじ29ねん3月3にち[1] - 1988ねん昭和しょうわ63ねん12月31にち[1])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょうこうよんきゅう[2]

経歴けいれき

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1896ねん明治めいじ29ねん)に熊本くまもとけんまれた[1]陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい31陸軍りくぐんだい学校がっこうだい38卒業そつぎょう[1]1940ねん昭和しょうわ15ねん)3がつ陸軍りくぐん歩兵ほへい大佐たいさ進級しんきゅう[2]1941ねん昭和しょうわ16ねん)11月にだい16ぐん後方こうほう課長かちょう南方なんぽうぐん)に就任しゅうにん[2]フィリピン攻略こうりゃくせん出征しゅっせい[1]1942ねん昭和しょうわ17ねん)4がつ船舶せんぱく参謀さんぼうてん[2]1943ねん昭和しょうわ18ねん)6がつ陸軍りくぐん船舶せんぱく練習れんしゅう研究けんきゅう主事しゅじ就任しゅうにんした[3]

1944ねん昭和しょうわ19ねん3月1にち陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう[2]4がつ7にちだい13船舶せんぱく団長だんちょう着任ちゃくにん[1]同年どうねん11月11にちだい3船舶せんぱく輸送ゆそう司令しれい[4]12月16にち船舶せんぱく司令しれい[5]1945ねん昭和しょうわ20ねん3月16にち船舶せんぱく兵器へいきながけん陸軍りくぐん運輸うんゆ就任しゅうにんした[1][6]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[7]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてんでは北村きたむらふとし表記ひょうきである[1]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h 福川ふくかわ 2001, 258ぺーじ.
  2. ^ a b c d e f 外山とやま 1981, 431ぺーじ.
  3. ^ だい111ごう 昭和しょうわ18ねんがつ15にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120891600 
  4. ^ だい235ごう 昭和しょうわ19ねん11がつ13にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120925100 
  5. ^ だい266ごう 昭和しょうわ19ねん12月じゅうにがつ16にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120928300 
  6. ^ だい61ごう 昭和しょうわ20ねんがつ16にち 陸軍りくぐん異動いどう通報つうほう」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12120936500 
  7. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」54ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 福川ふくかわ秀樹ひでき 編著へんちょ日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねんISBN 4829502738 
  • 外山とやまみさお へん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねんISBN 4829500026