古市ふるいち 宗はじめ理り(ふるいち そうり、生年せいねん不ふ詳しょう - 嘉よしみ永ひさし3年ねん5月12日にち(1850年ねん6月21日にち))は、江戸えど時代じだい後期こうきの茶人ちゃじん、豊前ぶぜん小倉こくら藩はんの茶ちゃ頭あたま。小笠原おがさわら家か茶道さどう古流こりゅう、古市ふるいち流りゅう(通称つうしょう古流こりゅう)中興ちゅうこうの祖そ・11代だい家元いえもと。諱いみなは勝芳かつよし、童わらわ名めいは又また市し。自得じとく斎ときと号ごうす。父ちちは古市ふるいち一決いっけつ斎とき。母ははは村上むらかみ八郎はちろう為ため倫りんの娘むすめ。
文化ぶんか13年ねん(1816年ねん)3月がつ、江戸えどにおいて官かん休きゅう庵あん休きゅう翁おきな宗守むねもり一いち啜すす斎ときより自得じとくの斎とき号ごうを授さずかる。
法名ほうみょうは自得じとく斎とき凞純日び勝かち居士こじ。小倉こくら城じょう下した立法りっぽう寺てらに葬ほうむられる。
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