小倉 城
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概要
[1569
1837
歴史
[最初 の築城 年代 は明 らかではないが文 永 年間 (1264年 - 1274年 )に緒方 大膳 亮 惟 重 が居城 した。緒方 惟 重 の孫 の緒方 石見 守 惟 尚 は、延 慶 年中 (1308年 - 1311年 )に水原 備中 守 定 允 に城 を攻 め落 とされ、伊予 国 宇和島 まで落 ち延 びた。- 1330
年 (元 徳 2年 )に黒崎 土佐 守景 経 が小倉 に城 を築 き居城 としたが、建 武 元年 に長野 七郎 貞 家 によって攻 め滅 ぼされ、長野 貞 家 が城主 となった。 長野 但馬 守 教 家 のとき、応 永 年中 に大内 氏 によって滅 ぼされ、大内 氏 の持 城 となり城代 として杉 左 馬 助 重 兼 、杉 主膳 重之 、杉 宮内 左衛門 重 植 、小林 六郎兵衛 光 任 等 が置 かれた。- 1442
年 (嘉吉 2年 )に太宰 少 弐 頼 冬 が攻 め落 とし番兵 を置 いたが、三 四 ヶ月 後 には原田 近江 守 種 虎 に奪 われた。 文明 年間 (1469年 - 1486年 )には菊池 出羽守 武村 入道 一 玄 とその子 の菊池 荒 太郎 武 陸 が在 城 していた。延徳 2年 8月 に臼杵 掃部助 高直 によって攻 め落 とされ、菊池 武 陸 の子 の平蔵 は里見 源三郎 の介錯 により切腹 した。永 正 年間 から享 禄 年間 にかけては小野田 兵部 少 輔種尚 が在 城 した。享 禄 4年 4月 から天文 年間 は、長野 壱岐 克 盛 が在 城 した。弘治 から永 禄 の頃 は大内 の一族 の冷泉 五郎 高 祐 が在 城 した。
と
- 1569
年 (永 禄 12年 )、毛利 氏 らと結 んで大友 氏 に対 し反乱 を起 こしていた宝 満 ・岩屋 城 督 高橋 鑑 種 が降伏 した結果 、小倉 城 に領地 替 えとなる。 - 1587
年 (天正 15年 )、高橋 鑑 種 の養嗣子 ・高橋 元種 は豊臣 軍 の侵攻 に小倉 城 を開城 。豊臣 秀吉 の家臣 であった森 勝信 が豊前 国 企 救 郡 、田川 郡 の6万 石 (一説 に10万 石 )を与 えられ、小倉 城 に入城 する。この当時 の城 の様子 については、記録 がなく詳 しく分 かっていない。なお、子 の勝永 にも豊前 国 に1万 石 (4万 石 とも)を与 えられ、この際 に秀吉 の計 らいによって、元 の姓 である森 に変 えて中国 地方 の太守 ・毛利 氏 の姓 を名乗 らせている。毛利 勝信 ・勝永 父子 は関ヶ原 の戦 いで西 軍 に付 き改易 となる。 - 1600
年 (慶長 5年 )、関ヶ原 の戦 いの論功行賞 で丹後 国 宮津 18万 石 の領主 であった細川 忠興 が豊前 国 1国 と、豊後 国 速見 郡 、国東 郡 合 せて39万 9千 石 で入 封 。初 め黒田 氏 の居城 であった豊前 国 の中津 城 に入城 するが、1602年 から7年 かけて毛利 氏 の居城 であった小倉 城 を改築 し居城 した。なお、この時 に城下町 も整備 され紫川 で東西 に二分 し、西 は主 として侍 町 、東 は町人 や下級 武士 達 の町 とした。 - 1632
年 (寛永 9年 )、細川 家 が54万 石 で肥後 国 に移 封 後 、播磨 国 明石 から譜代 大名 の小笠原 忠真 が豊前 国 企 救 郡 、田川 郡 、京都 郡 、中津 郡 、築城 郡 、上 毛 郡 、計 6郡 15万 石 で入 封 。小倉 城 を居城 とする。以後 、幕末 の慶応 年間 まで小笠原 氏 の居城 となる。 - 1837
年 (天保 8年 )、本丸 御殿 、天守 を焼失 [4]し、それ以後 天守 は再建 されず。 - 1863
年 (文久 3年 )4月 、海防 強化 のため、城 の外郭 で海 からの入口 に当 たる紫川 河口 両 岸 に砲台 (東浜 台場 ・西浜 台場 )を建設 [6][7]。 - 1866
年 (慶応 2年 )、第 二 次 長州 征討 で小倉 藩 と長州 藩 の戦闘 の際 、小倉 藩 は長州 藩 の攻勢 の前 に小倉 城 撤退 を決 める。同年 8月 1日 、小倉 藩 の付火 により小倉 城 を焼却 [4]し、幼少 の藩主 は熊本 藩 に退避 。家老 以下 の藩 首脳 は香春 で指揮 を執 った。 - 1867
年 (慶応 3年 )、長州 藩 と小倉 藩 で和平 が成立 。しかし、小倉 城 を含 む企 救 郡 は長州 藩 の預 りとされ、引 き続 き占領 されたままとなったため、以後 も藩 庁 は香春 に置 かれ、お茶屋 (藩主 巡察 時 の滞在 施設 )を中心 に付近 一帯 の町人 宅 も多数 借 り上 げて設置 された(その後 、1870年 (明治 2年 )に京都 郡 豊津 (現在 のみやこ町 )に藩 庁 を新設 し移転 )。 - 1875
年 (明治 8年 )、陸軍 の歩兵 第 14連隊 と歩兵 第 14連隊 を管轄 する歩兵 第 12旅団 本部 が松 の丸 跡 に置 かれる。 - 1898
年 (明治 31年 )、陸軍 第 12師団 司令 部 庁舎 が本丸 跡 に建 てられる(1925年 (大正 14年 )久留 米 に移転 )。 - 1934
年 (昭和 9年 )、八坂神社 が鋳物師 町 より城内 に遷座 された。 - 1959
年 (昭和 34年 )、鉄筋 コンクリート構造 で天守 が外観 復興 された。内部 は郷土 資料 館 として利用 された。 - 1990
年 (平成 2年 )、内部 全面 リニューアル、ジオラマ・からくりシアター等 を導入 し、体験 型 施設 に変更 された。 - 1998
年 (平成 10年 )、小倉 城 庭園 および北九州 市立 松本 清張 記念 館 が開館 した。 - 2004
年 (平成 16年 )春 から秋 にかけての調査 により、篠崎 口 から清水 門 の外堀 (総 構)で畝 堀 と堀 障子 が発見 される[2]。忠興 当時 のものと考 えられている。 - 2007
年 (平成 19年 )、瓦 屋根 約 9万 枚 を全面 葺 き替 え。 - 2017
年 (平成 29年 )、続 日本 100名城 (181番 )に選定 された[8]。 - 2019
年 (平成 31年 )3月 30日 、2018年 8月 より閉館 して改装 を行 い、内部 全面 リニューアル[9]。エレベーター新設 。同時 に、大手門 広場 に観光 客 施設 「しろテラス」オープン[10]。
構造
[天守
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イラストによる |
ギャラリー
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本丸 の空堀 -
水堀 -
大手 門跡 -
虎ノ門 跡 -
櫻 門跡 -
復興 天守
海 城 としての小倉 城
[祭事 ・イベント
[小倉 城 薪能 - 9月 下旬 北九州 小倉 お城 まつり - 10月 中旬 竹 あかり - 10月 下旬 -11月上旬 小倉 城 おしるこ会 - 1月 上旬 夜桜 見物 - 3月 下旬 -4月 上旬 (期間 に限 り、天守閣 前 広場 を22時 までの開門 )[17]小倉 城 桜 まつり - 3月 下旬 -4月 上旬
そのほか
[この |
北 隣 にリバーウォーク北九州 が完成 して以来 、中央 図書館 側 からは城 の背景 にリバーウォークの赤 い建物 が見 える。- 1960
年 (昭和 35年 )から10年間 、小倉 城内 (北九州 市役所 敷地 付近 )に遊 園地 が設置 されていた[18]。「小倉 城 とジェットコースター」(昭和 37年 頃 )という絵葉書 が残 されている。[19] 天守閣 広場 は多数 の花見 客 で賑 わう花見 の名所 としても知 られているが、花見 の時期 の広場 では、バーベキュー機材 やシートが放置 されるなどマナーの改善 が見 られないため、2019年 (平成 31年 )3月 、北九州 市 は天守閣 広場 における花見 について、2017年 (平成 29年 )に設定 したルールを改定 、全 てのエリアにおいて火気 使用 禁止 、場所 取 りは当日 午前 8時 開始 とした[20]。- バリアフリー
対応 として2001年 (平成 13年 )に天守閣 内 にある各 階段 に階段 昇降 機 が設置 され、2019年 (平成 31年 )のリニューアル時 にはエレベーターが設置 された。 城内 にある着 見 櫓 (つきみやぐら)は、漬物 処 「糠 蔵 」の店舗 として営業 しており、2011年 からは元 女子 プロレスラーのデビル雅美 が店長 を務 めていた[21] 。2022年 (令 和 4年 )6月 12日 に閉店 。
メディアへの登場
[- プラモデル
- フジミ
模型 株式会社 からフジミ建築 モデルシリーズ天下 の名城 No.6として1/400スケールでプラモデルが製造 販売 されている。 - NHK
地 デジCM「地 デジ侍 テレビ維新 の巻 」 劇団 ギンギラ太陽 'Sが出演 、加賀美 幸子 ナレーションを担当 。制作 にあたったのは地元 北九州 局 ではなく福岡 局 であったが、ロケシーンは城前 と小倉 城 庭園 で撮影 された。2分 版 の最後 のシーンにはハローワーク小倉 が移転 した跡 に建 てられた超 高層 アパートの上層 が映 りこんでいる。
交通
[九州旅客鉄道 (JR九州 )鹿児島本線 ・日豊本線 西小倉 駅 から徒歩 10分 山陽新幹線 ・鹿児島本線 小倉 駅 から徒歩 15分 北九州 高速 1号線 ・大手町 出入口 から約 5分 、勝山 出入口 から約 2分 駐車 場 (有料 )あり
脚注
[- ^ “
小倉 城 と小倉 藩 ”.北九州 市 . 2019年 4月 27日 閲覧 。 - ^ a b c
小笠原 2016 - ^ “ぺたぺたタクシー:
車体 に桜 ぺたぺた貼 ろう勝山 自動車 がイベント”.毎日新聞 (毎日新聞社 ). (2016年 3月 17日 ) 2019年 9月 7日 閲覧 。 - ^ a b c d
井石 栄司 (2018年 3月 17日 ). “小倉 城 、堀 の水 抜 いたら旧 天守閣 の瓦 180年 前 に焼失 ”.朝日新聞 デジタル (朝日新聞社 ) 2019年 8月 7日 閲覧 。 - ^ “
小倉 城 3月 30日 新装 オープン展望 コーナーや大型 シアター隣接 の観光 案内 施設 も”.西日本 新聞 北九州 版 (西日本新聞社 ). (2019年 2月 21日 ) 2019年 8月 7日 閲覧 。 - ^
土井 重人 『大 庄屋 走 る小倉 藩 ・村役人 の日記 』海鳥 社 、2007年 、182頁 -183頁 - ^
白石 壽 『小倉 藩 家老 島村 志津 摩 』海鳥 社 、2001年 、36頁 ・73頁 - ^ 「
浜松 城 や忍 城 など選定 =「続 100名城 」-日本 城郭 協会 」時事通信 、2017年 4月 6日 - ^ “
改修 の小倉 城 、30日 一般 公開 流鏑馬 ゲームなど体験 も”.日本経済新聞社 . (2019年 3月 29日 ) 2019年 4月 6日 閲覧 。 - ^ “
小倉 城 「しろテラス」急増 する観光 客 対策 、休憩 スペース新設 ”.小倉 経済 新聞 . (2019年 4月 1日 ) 2019年 4月 6日 閲覧 。 - ^ a b c d
西 ヶ谷 恭弘 監修 、学習研究社 編 『復原 『名城 天守 』』学習研究社 、1996年 、ISBN 4-05-500160-6 - ^
平井 聖 監修 『城 』(〔8〕九州 沖縄 /火 燃 ゆる強者 どもの城 )毎日新聞社 、1996年 、ISBN 4-620-60518-2 - ^ a b c
北九州 市 教育 委員 会 文化 課 (1977年 3月 31日 ).小倉 城 -小倉 城 調査 報告 書 -.北九州 市 の文化財 を守 る会 - ^
米津 三郎 (昭和 53年 10月 14日 ).小倉 城 の話 .小倉 観光 株式会社 . p. 175 - ^
柴田 2008、16・17頁 - ^
柴田 2008、17頁 - ^
勝山 公園 (小倉 城 ) - ^
小倉 城 (昭和 39年 九州 発 、読売新聞 ) - ^ 「ふくおか
絵葉書 浪漫 」益田 啓一郎 編 (海鳥 社 刊 )91頁 ISBN 4-87415-491-3 - ^ 『
小倉 城 花見 バーベキュー禁止 マナー悪 くルール見直 し照明 、3月22日 から』西日本 新聞 . 2019年 02月 9日 朝刊 . 2019年 04月 7日 閲覧 . - ^ デビル
雅美 は漬物 処 の店長 に プロレスもぬか漬 けも地道 な努力 の積 み重 ね - デイリースポーツ
参考 文献
[柴田 龍司 「海 城 の様相 と変遷 」『中世 城郭 研究 』第 22号 、中世 城郭 研究 会 、2008年 、4-30頁 、ISSN 0914-3203、2020年 3月 12日 閲覧 。 - 『海 城 』[第 24回 全国 城郭 研究 者 セミナー(2007年 8月 5日 開催 、中世 城郭 研究 会 主催 )]における同 タイトルの報告 を論考 にしたもの。小笠原 清 「「障子 堀 」甦 って43年 :北条 技法 と多様 な様態 事例 附 「堀 障子 関連 略 年表 2015」」『中世 城郭 研究 』第 30号 〈特集 ・「障子 堀 」の新 展開 〉、中世 城郭 研究 会 、2016年 、267-268頁 、ISSN 0914-3203、2020年 5月 8日 閲覧 。「2004平成 16小倉 城 (北九州 市 )外堀 (総 構)で障子 堀 検出 天正 18年 小田原 合戦 後 」 - 『「障子 堀 」の新 展開 』[第 32回 全国 城郭 研究 者 セミナー(2015年 8月 2日 開催 、中世 城郭 研究 会 主催 )]における同氏 の報告 を活字 化 したうえで、障子 堀 の確認 事例 を編 年 化 した表 を附 したもの。- 「
倉 城 大略 誌 」『小倉 市 誌 上 編 -第 二 章 寛永 以前 の小倉 -』(小倉 市 編 、大正 10年 )掲載
関連 項目
[外部 リンク
[小倉 城 正 保城 絵図 (国立 公文書 館 デジタルアーカイブ)豊前 国 小倉 城 絵図 あり