沼田 城
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1532 | |
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1682 | |
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概要
[歴史 ・沿革
[- 1532
年 -沼田 顕 泰 により築城 され、沼田 氏 の拠点 となる。 - 1560
年 以前 -山内 上杉 氏 没落 と後 北条 氏 による上野 進攻 のなかで、どちらに属 すかを巡 り沼田 氏 がお家 騒動 を起 こす。後 北条 方 側 が勝 ち後 北条 氏 出身 の沼田 康 元 が城主 となる。 - 1560
年 -長尾 景虎 (上杉 謙信 )が越 山 し沼田 城 を落 とす。沼田 顕 泰 は沼田 の国人 (沼田 衆 )を率 いる立場 になったが城 は景虎 の直属 (上杉 家 の「沼田 三 人 衆 」と呼 ばれる上野 家 成 、河田 重 親 、松本 景 繁 による城代 支配 )となる。 - 1569
年 - 『加沢 記 』ではこの年 に沼田 氏 のお家 騒動 が起 こり、隙 をついて上杉 氏 が沼田 城 を支配 し、本庄 秀 綱 による城代 支配 になる。後 北条 氏 との関連 は記述 されない。ただし後世 史料 のため年代 などが疑問 視 される。 - 1578
年 -謙信 死 後 に起 こった御館 の乱 により沼田 城 を後 北条 氏 が制圧 。城代 に猪俣 邦 憲 、金子 泰清 らを置 く。同年 、甲 越 同盟 の成立 で上杉 景勝 が武田 氏 の沼田 攻略 を承認 し、真田 昌幸 が攻略 の命 を受 ける。 - 1580
年 -昌幸 が城代 の泰清 に調 略 を仕掛 け、また昌幸 の叔父 ・矢沢 頼綱 が沼田 に攻 め入 ってこれを無血 開城 させ、武田 氏 が沼田 を支配 下 におく。同年 、後 北条 方 と由良 氏 の支援 を得 た、顕 泰 の子 ・沼田 景義 が沼田 城 奪還 を目指 して挙兵 するが、昌幸 の謀略 により、泰清 に殺害 される。これによって沼田 氏 は滅亡 する。 天正 10年 (1582年 ) - 3月、織田 氏 ・徳川 氏 連合 軍 の武田 領 侵攻 により武田 氏 が滅亡 し、その功 により、織田 家臣 ・滝川 一益 が武田 遺 領 のうち上野 国一 国 と信濃 佐久 郡 ・小県 郡 を与 えられる。これにより、沼田 城 は滝川 家臣 ・滝川 益 重 の城 となる。同年 6月 の本能寺 の変 を経 て、武田 遺 領 をめぐる「天正 壬 午 の乱 」が発生 する。天正 壬 午 の乱 において沼田 城 は後 北条 家 に降 った真田 昌幸 の支配 となり、徳川 氏 と後 北条 氏 の間 で沼田 領 帰属 問題 が持 ち上 がるが、昌幸 はいずれの提案 も拒否 し、上杉 氏 の傘下 に入 る。これは後年 の徳川 氏 との上田 合戦 や後 北条 氏 による度重 なる侵攻 を招 くことになるが、いずれも退 ける。- 1589
年 -豊臣 秀吉 の裁定 により後 北条 氏 の支配 となり、秀吉 家臣 の津田 盛 月 と富田 一白 、徳川 家康 家臣 の榊原 康政 の立 ち合 いの下 、真田 氏 から北条 氏 に引 き渡 され、猪俣 邦 憲 が再 び城代 となる。しかし、同年 に邦 憲 が昌幸 の名 胡桃 城 を略奪 したことで、豊臣 氏 による小田原 征伐 が起 こる。 - 1590
年 -北条 征伐 の戦後 処理 において、沼田 城 は真田 氏 に返還 され、家康 養女 の婿 である真田 信幸 (昌幸 長男 )が支配 する。 - 1597
年 -信幸 が城郭 整備 をする。 - 1600
年 -関ヶ原 の戦 いにて、東 軍 についた信幸 (以降 信之 に改名 )が改易 となった昌幸 の上田 領 も合 わせて継承 し、沼田 と合 わせ9万 5千 石 の上田 藩 として立 藩 する(信之 は引 き続 き沼田 城 を本拠 とする)。この前後 (1597年 (慶長 2年 )と1607年 (慶長 12年 )説 がある)、五 層 の大 天守 を築 く。 - 1615
年 -大坂 夏 の陣 を期 に、信之 は上田 に本拠 を移 す。沼田 城 は、長男 ・信吉 が城主 となる。 - 1622
年 -信之 が松代 藩 13万 石 へ加増 移 封 。沼田 領 は引 き続 き真田 領 とし、松代 藩 の分 領 として継続 。 - 1638
年 -信吉 の死後 、その嫡子 である熊之助 が跡 を継 ぐが早世 し、信之 の次男 ・信政 (信 澄 )が沼田 領 を継承 する。 - 1656
年 -信之 が隠居 し、信政 が松代 藩 藩主 となる。沼田 領 は、信吉 の子 ・信利 が継承 。 - 1658
年 -信政 が死去 し、その相続 を巡 って真田 本家 と真田 信利 との間 でお家 騒動 が起 こる。これを機 に沼田 領 は沼田 藩 として独立 した。信利 が初代 藩主 となる。 - 1658
年 -松代 藩 への対抗 意識 から再 検地 を行 い、元来 は表高 3万 石 だったところを松代 藩 より多 い14万 4千 石 (実質 は6万 石 余 )として届 ける。のち、同 じく対抗 意識 から江戸 の藩邸 も松代 藩邸 に引 けをとらぬ豪奢 な造 りに改装 した。 - 1681
年 -信利 の暴政 と、10月 納期 の江戸 両国 橋 架 け替 えの用材 調達 の遅延 を理由 に改易 され、沼田 藩 は廃 藩 にされる。以降 1703年 まで天領 となる。 - 1682
年 -沼田 城 は破 却され、堀 も埋 められる。 - 1703
年 -本多 正永 が入 封 し、沼田 藩 2万 石 として再興 される。以降 、黒田 氏 、土岐 氏 と沼田 藩 の藩 庁 として存続 するが、城 の本格 的 な復興 はなされないまま、明治 の廃藩置県 に至 る。 - 1916
年 -旧 沼田 藩士 の家 の久米 民 之 助 が城 地 を購入 し、公園 として整備 。1926年 に沼田 市 へ寄贈 され、現在 は沼田 公園 となっている。 - 1976
年 -沼田 市 指定 文化財 (史跡 )に指定 された。 - 2017
年 -続 日本 100名城 (116番 )に選定 された[2]。
小松 姫 の逸話
[遺構
[また
関連 作品
[歌謡 浪曲
- ゲーム
- ご
当地 アプリ真田 のやぼう 3D沼田 城
脚注
[- ^ 「
沼田 城跡 」(沼田 市 公式 ホームページ) - ^ “
真 田丸 ゆかりの城 など「続 日本 100名城 」に”.朝日新聞 . (2016年 4月 6日 ) 2020年 10月 19日 閲覧 。 - ^ “
沼田 市 歴史 資料 館 ”.沼田 市 観光 協会 . 2020年 9月 26日 閲覧 。
参考 文献
[西 ヶ谷 恭弘 編 『国 別 城郭 ・陣屋 ・要害 ・台場 事典 』東京 堂 出版 、2002年 。富澤 一弘 、佐藤 雄太 「『加沢 記 』からみた戦国 時代 沼田 地方 の政治 情勢 」『高崎経済大学 論集 』54巻 2号 、2011年 。
関連 項目
[外部 リンク
[沼田 公園 -沼田 市 沼田 市 観光 協会 沼田 城 [リンク切 れ]