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吉永 美保子(よしなが みほこ、1954年5月18日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
長崎県北松浦郡出身。ママさんバレーをしていた母親の影響で中学生のときにバレーボールを始める。
佐世保商業高校を経て、1973年に日本リーグのヤシカ(当時)に入部。1977年の第10回日本リーグにおいてサーブ賞を獲得した。同年、ヤシカの廃部とともに日本電気に全体移籍。1979年の第10回実業団リーグ優勝、日本リーグ昇格に大きく貢献した。
1979年に全日本入りを果たし、同年のプレオリンピックならびにアジア選手権大会に出場した。翌年、モスクワオリンピック出場メンバーに選出されたが、西側諸国のボイコットによりオリンピック出場は幻となった。後にこの時の心境を「バレーボールはもういい。現役引退したい」とまで考えたと吐露している[1]。
球歴・受賞歴[編集]
- 佐々町立佐々中学校 → 佐世保商業高校 → ヤシカ(1973-1977年) → 日本電気 (1978-1982年)
- 全日本代表 - 1979 - 1980年
- 受賞歴
- 1977年 - 第10回日本リーグ サーブ賞
- 1979年 - 第10回実業団リーグ サーブ賞
- ^ 月刊バレーボール 1980年9月号 86ページ
- 月刊バレーボール1980年5月号臨時増刊 82ページ(日本文化出版刊)