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喜兵衛島きへえじま

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喜兵衛島きへえじま
屏風びょうぶとうひだり)と喜兵衛島きへえじまみぎ
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん香川かがわけん香川かがわぐん直島なおしままち
所在しょざい海域かいいき 瀬戸内海せとないかい
座標ざひょう 北緯ほくい3430ふん3びょう 東経とうけい13358ふん36びょう / 北緯ほくい34.50083 東経とうけい133.97667 / 34.50083; 133.97667座標ざひょう: 北緯ほくい3430ふん3びょう 東経とうけい13358ふん36びょう / 北緯ほくい34.50083 東経とうけい133.97667 / 34.50083; 133.97667
面積めんせき 0.16 km²
最高さいこう標高ひょうこう 45 m
喜兵衛島の位置(香川県内)
喜兵衛島
     
プロジェクト 地形ちけい
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喜兵衛島きへえじま(きへいじま[1]、きべえじま[2][注釈ちゅうしゃく 1])は、香川かがわけん香川かがわぐん直島なおしままちぞくする無人島むじんとうである。瀬戸内海せとないかい直島諸島なおしましょとうぞくしている。

地理ちり[編集へんしゅう]

喜兵衛島きへえじまは、本州ほんしゅうからやく2キロメートルほどへだてた、岡山おかやまけん玉野たまの中心ちゅうしんひがし位置いちする。本州ほんしゅうからの交通こうつう手段しゅだん玉野たまの宇野うのこうからがちかい。やく100メートルほどへだてたとなり屏風びょうぶとうとはてつもうもちいたコンクリート人道じんどうきょう堤防ていぼうでつながっている。

東西とうざいなが四角形しかっけいから、北東ほくとうかく北西ほくせいかく半島はんとうしたかたちである。東西とうざいやく450メートル、南北なんぼくやく200メートル[3]面積めんせきは0.16平方へいほうキロメートル[4]最高さいこうてん海抜かいばつ45メートル。しまだい部分ぶぶん丘陵きゅうりょうで、平地ひらちとぼしい[3]。4かしょ砂浜すなはまがある。北面ほくめん北西ほくせいはま北東ほくとうはま南面なんめん西にしよりに南東なんとうはま南西なんせいはまである。

喜兵衛島きへえじま南側みなみがわにある砂浜すなはま

歴史れきし[編集へんしゅう]

喜兵衛島きへえじまでは、古墳こふん時代じだいらくしき製塩せいえん土器どきもちいたしおづくりがさかんにおこなわれた。4つの砂浜すなはますべてに土器どきへん散乱さんらん[5]塩焼しおやきのあととともに喜兵衛島きへえじま製塩せいえん遺跡いせきばれる。当時とうじひと居住きょじゅうしていたとかんがえられるが、住居じゅうきょあとはみつかっていない[6]おかには喜兵衛島きへえじま古墳こふんぐんがあり、10メートル前後ぜんこう古墳こふんが13のこされた[7]

だい世界せかい大戦たいせん末期まっきには、陸軍りくぐん船舶せんぱくへいが、舟艇しゅうてい格納かくのう隠蔽いんぺいするために砂浜すなはま傾斜地けいしゃち境目さかいめ複数ふくすう掩蔽えんぺいごうった[8]

きん現代げんだいには、しま採石さいせきぎょういとなまれた。しま北東ほくとうにそのあとのこる。

また、1966ねん昭和しょうわ41ねん)まで、屏風びょうぶとう喜兵衛島きへえじまあいだうみつつみ仕切しきって、ハマチ養殖ようしょくしていた[9][10]屏風びょうぶとうにつながるコンクリート人道じんどうきょうつつみはその名残なごりである。

砂浜すなはま散乱さんらんした土器どきへんおかうえ古墳こふんについては、1953ねん昭和しょうわ28ねん)から考古こうこ学者がくしゃ近藤こんどう義郎よしお調査ちょうさをはじめた。おびただしい土器どきへんらばる意味いみは、当初とうしょ不明ふめいだったが、調査ちょうさなか製塩せいえん使つかわれたものと判明はんめいした[11]たような土器どき散乱さんらん瀬戸内海せとないかい中心ちゅうしんひろ分布ぶんぷしており、喜兵衛島きへえじま研究けんきゅうなかで「なぞ楽土らくど」の正体しょうたいかされたことでられるようになった[12]1979ねん昭和しょうわ54ねん6月25にちには喜兵衛島きへえじま製塩せいえん遺跡いせきくに史跡しせき指定していされた[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 島名しまなみについては、文化庁ぶんかちょうの「くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース」における喜兵衛島きへえじま製塩せいえん遺跡いせきのページでも、しゅ情報じょうほうでは「きべえじま」、詳細しょうさい解説かいせつでは「きへいじま」とあり、れがみられる[2]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、6ぺーじ
  2. ^ a b c 喜兵衛島きへえじま製塩せいえん遺跡いせき - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  3. ^ a b 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、9ぺーじ
  4. ^ 香川かがわけんのしまっぷ - だいろく管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ、2020ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  5. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、45ぺーじ
  6. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、41ぺーじ
  7. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、50ぺーじ
  8. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、14ぺーじ
  9. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、15ぺーじ
  10. ^ 養殖ようしょく製塩せいえん遺跡いせきしま(屏風びょうぶとう) - さぬき瀬戸せとしまネッとう
  11. ^ 近藤こんどう義郎よしお土器どき製塩せいえんしま』、31 -32ぺーじ
  12. ^ 岩崎いわさき卓也たくや古墳こふん時代じだい知識ちしき』、東京とうきょう美術びじゅつ、1984ねん、116ぺーじ石野いしの博文ひろぶみ総論そうろん古墳こふん時代じだい」、石野いしのへん古墳こふん時代じだい研究けんきゅう』1(総論そうろん研究けんきゅう)、雄山閣ゆうざんかく、1993ねん、8ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 近藤こんどう, 義郎よしお『シリーズ「遺跡いせきまなぶ」 土器どき製塩せいえんしま 喜兵衛島きへえじま製塩せいえん遺跡いせき古墳こふん新泉しんいずみしゃ、2005ねん8がつISBN 9784787705389