(Translated by https://www.hiragana.jp/)
回転木馬 (ミュージカル) - Wikipedia コンテンツにスキップ

回転かいてん木馬もくば (ミュージカル)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュリーやくのアイヴァ・ウィザーズ(1947ねんごろ)

回転かいてん木馬もくば』(かいてんもくば、Carousel )は、1945ねんに、リチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン2せいによってかれたブロードウェイミュージカルである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

原作げんさくモルナール・フェレンツげききょくリリオム』。1956ねんには、20世紀せいきフォックスによって映画えいがされた。初演しょえんトニーしょう創設そうせつまえであったため、このしょうとはえんかったが、1993ねんリバイバル上演じょうえんされ、よく1994ねんのトニーしょうでは、最優秀さいゆうしゅうリバイバルミュージカルしょうなど5つの部門ぶもんしょうた。

日本にっぽんには1969ねん宝塚歌劇団たからづかかげきだんゆきぐみにより紹介しょうかいされる。1984ねんほしぐみ宝塚たからづかバウホール再演さいえん1995ねんには東宝とうほう製作せいさくでリバイバルばん帝国ていこく劇場げきじょうにて上演じょうえんされた。この作品さくひんでは、男女だんじょのバレエダンサーが必要ひつようとなるが、この日本にっぽんでの公演こうえんではなみなどトップダンサーがキャスティングされ話題わだいとなった。

2009ねん3がつには東京とうきょう天王てんのうしゅう銀河ぎんが劇場げきじょうにて上演じょうえんされ、メインキャストに笹本ささもと玲奈れいな浦井うらい健治けんじほか。ダンサーには西島にししま千博ちひろ中川なかがわけん三木みきつよしがキャスティングされている。

2011ねん3がつには富山とやまオーバード・ホールにて上演じょうえん。メインキャストに上野うえのきよしふとし中村なかむらももはなほか。

2006ねんごろにはヒュー・ジャックマンによる映画えいがリメイクのニュースがあったが、2011ねん現在げんざいクランクインしていない。

サッカーファンの愛唱あいしょう人生じんせいひとりではない」

[編集へんしゅう]

この作品さくひんちゅううたわれる「人生じんせいひとりではない」(You'll Never Walk Alone)は、1963ねん10月にジェリー&ザ・ペースメイカーズによってぜんえいチャートの1獲得かくとく。そこからリヴァプールFCサポーターの愛唱あいしょうとしてしたしまれるようになり(異説いせつあり) 、やがては世界せかいおおくのフットボール・フリークの愛唱あいしょうとなっていった。日本にっぽんでもFC東京とうきょうのサポーターズ・ソングとなっている。

おもなミュージカルナンバー

[編集へんしゅう]
  • もしもあなたをあいしたら (If I Loved You)
  • ろくがつ一斉いっせい花開はなひらく(June Is Bustin' Out All Over)
  • ミスター・スノー (Mister Snow)
  • 人生じんせいはひとりではない (You'll never walk alone)

あらすじ

[編集へんしゅう]

メインしゅう漁村ぎょそん回転かいてん木馬もくばみを生業せいぎょうとするおとこビリーは、きゃくとしてていた女工じょこうジュリー口説くどき、恋仲こいなかとなる。二人ふたりはやがて結婚けっこんするが、きゃく(ジュリー)にしたとしてビリーは回転かいてん木馬もくば解雇かいこされ、生活せいかつくるしさに苛立いらだつビリーはジュリーに度々どどげていた。

やがてジュリーが子供こどもはらみ、父親ちちおやになるちかづくのを意識いしきしたビリーは、あせりのあまり大金たいきんぬすみをくわだてる。しかしあえなく失敗しっぱい逃亡とうぼうするさいにビリーは事故死じこししてしまった。粗暴そぼうだったがあいしていたおっとうしない、悲嘆ひたんにくれるジュリー。

しばらくち、天界てんかいらしていたビリーは、自分じぶん子供こども苦難くなんおちいっているときつけ、ほしまもる許可きょかて1にちだけ地上ちじょうもどってきた。

ビリーの子供こどもむすめルイーズは、父親ちちおや泥棒どろぼうだったという汚名おめいから、友人ゆうじんらからしろられていた。ビリーはルイーズのまえ姿すがたあらわし、天界てんかいほしのかけらをわたしてはげまそうとするが、警戒けいかいするルイーズに苛立いらだち、彼女かのじょをぶってしまった。

ビリーにとってはいののこちちむすめ対面たいめんとなったが、ルイーズは見知みしらぬひとにぶたれたのに全然ぜんぜんいたくないこと不思議ふしぎおもう。それを母親ははおやのジュリーにたずねると、ジュリーはおっとおもえがきつつ、そういうこともあるのだ、とさとすのだった。

地元じもと学校がっこう卒業そつぎょうしき、いがみあっていた友人ゆうじん和解わかいするルイーズと、それを笑顔えがお見守みまもるジュリーを見届みとどけて、ビリーは天界てんかいかえっていった。

映画えいが

[編集へんしゅう]
回転かいてん木馬もくば
Carousel
監督かんとく ヘンリー・キング
脚本きゃくほん ベンジャミン・F・グレイザー
原作げんさく フェレンツ・モルナール
製作せいさく ヘンリー・キング
音楽おんがく リチャード・ロジャース
アルフレッド・ニューマン
撮影さつえい チャールズ・クラーク
編集へんしゅう ウィリアム・レイノルズ
配給はいきゅう 20世紀せいきフォックス
公開こうかい アメリカ合衆国の旗 1956ねん2がつ16にち
日本の旗 1956ねん7がつ1にち
上映じょうえい時間じかん 128ふん
製作せいさくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
言語げんご 英語えいご
製作せいさく 330まんドル[1]
興行こうぎょう収入しゅうにゅう アメリカ合衆国の旗 375まんドル[2]
テンプレートを表示ひょうじ

1956ねん映画えいが監督かんとくヘンリー・キングゴードン・マクレー英語えいごばんシャーリー・ジョーンズは『オクラホマ!』につづいての共演きょうえんである。

キャスト

[編集へんしゅう]

括弧かっこない日本語にほんご吹替(テレビばんはつ放送ほうそう1970ねん1がつ3にち土曜どよう映画えいが劇場げきじょう』)

スタッフ

[編集へんしゅう]

宝塚歌劇団たからづかかげきだん公演こうえん

[編集へんしゅう]

脚本きゃくほんオスカー・ハマースタインII[3] [4] [5]

ゆきぐみ

[編集へんしゅう]

宝塚たからづかだい劇場げきじょう公演こうえん

[編集へんしゅう]

形式けいしきめいは「ミュージカル[3]」。29じょう[3]

「リリオム[3]」より。

公演こうえん期間きかんは1969ねん5がつ31にちから7がつ3にちまで[3]新人しんじん公演こうえんは6がつ21にち[6]

新人しんじん公演こうえんおも出演しゅつえんしゃみぎわ夏子なつこ[6]摩耶まや明美あけみ[6]くすのきかおり[6]ななあけみ[6]志都美しづみさき[6]たまあずさ真紀まき[6]

スタッフ

おも配役はいやくほん公演こうえん

おも配役はいやく新人しんじん公演こうえん

  • ビリー:みぎわ夏子なつこ[7]
  • ジュリー:摩耶まや明美あけみ[7]

東京とうきょう宝塚劇場たからづかげきじょう公演こうえん

[編集へんしゅう]

演出えんしゅつはエドワード・ロール[4]

公演こうえん期間きかんは1969ねん8がつ2にちから9がつ3にちまで[4]新人しんじん公演こうえんは8がつ14にち[9]と8がつ20日はつか[9]

おも配役はいやくほん公演こうえん

  • ビリー:真帆まほこころざしぶき[7]
  • ジュリー:大原おおはらますみ[7]

おも配役はいやく新人しんじん公演こうえん

  • ビリー:みぎわ夏子なつこ[7]
  • ジュリー:摩耶まや明美あけみ[7]

ほしぐみ

[編集へんしゅう]

公演こうえん場所ばしょ宝塚たからづかバウホール[5]

形式けいしきめいは「バウ・ミュージカル[5]」。2まく[5]

公演こうえん期間きかんは1984ねん9がつ1にちから9がつ15にちまで[5]

スタッフ

おも配役はいやく

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ Solomon, Aubrey. Twentieth Century Fox: A Corporate and Financial History (The Scarecrow Filmmakers Series). Lanham, Maryland: Scarecrow Press, 1989. ISBN 978-0-8108-4244-1. p250
  2. ^ 'The Top Box-Office Hits of 1956', Variety Weekly, January 2, 1957
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 宝塚歌劇たからづかかげきの60ねん別冊べっさつ年譜ねんぷ 最近さいきんの10ねん』p.79(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  4. ^ a b c 宝塚歌劇たからづかかげき90ねん すみれのはな歳月さいげつかさねて』p.280(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z ゆめえがいて はなやかに 宝塚歌劇たからづかかげき80ねん』p.308(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 宝塚歌劇たからづかかげきの60ねん別冊べっさつ年譜ねんぷ 最近さいきんの10ねん』p.80(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  7. ^ a b c d e f g h 宝塚歌劇たからづかかげき100ねん にじはし わたりつづけて(舞台ぶたいへん)』p.292(阪急はんきゅうコミュニケーションズ
  8. ^ 宝塚歌劇たからづかかげきの60ねん別冊べっさつ年譜ねんぷ 最近さいきんの10ねん』pp.79-80(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  9. ^ a b 宝塚歌劇たからづかかげきの60ねん別冊べっさつ年譜ねんぷ 最近さいきんの10ねん』p.82(宝塚歌劇団たからづかかげきだん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 宝塚歌劇たからづかかげきの60ねん別冊べっさつ年譜ねんぷ 最近さいきんの10ねん』(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  • ゆめえがいて はなやかに 宝塚歌劇たからづかかげき80ねん』(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  • 宝塚歌劇たからづかかげき90ねん すみれのはな歳月さいげつかさねて』(宝塚歌劇団たからづかかげきだん
  • 宝塚歌劇たからづかかげきねん100ねん にじはし わたりつづけて(舞台ぶたいへん)』(阪急はんきゅうコミュニケーションズ

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]