(Translated by https://www.hiragana.jp/)
国際モータースポーツ協会 - Wikipedia コンテンツにスキップ

国際こくさいモータースポーツ協会きょうかい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
国際こくさいモータースポーツ協会きょうかい
2022ねん デイトナ24あいだレース
スポーツ スポーツカーレース
管轄かんかつ地域ちいき 北米ほくべい
略称りゃくしょう IMSA(イムサ)
創立そうりつ 1969ねん (55ねんまえ) (1969)
所属しょぞく ACCUS-FIA
本部ほんぶ所在地しょざいち フロリダしゅうデイトナビーチ
公式こうしきサイト
www.imsa.com
アメリカ合衆国の旗
カナダの旗

国際こくさいモータースポーツ協会きょうかいえい: International Motor Sports Association)は、フロリダしゅうデイトナビーチ拠点きょてんく、米国べいこく自動車じどうしゃレース統括とうかつ団体だんたいである。略称りゃくしょうIMSA(イムサ)。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

SCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ[1])のもと常務じょうむ取締役とりしまりやくであったジョン・ビショップ[2]かれつまペギー・ビショップ[3]によって、NASCARビル・フランス・シニア[4]援助えんじょけて、1969ねん創設そうせつされた[5]

デイトナ24あいだセブリング12あいだをメインにえるプロトタイプカーレースを長年ながねん主催しゅさいし、アメリカの耐久たいきゅうレース文化ぶんかまもってきた。現在げんざいIMSAは、ユナイテッド・スポーツカー選手権せんしゅけん運営うんえいし、NASCARが会社かいしゃ一部いちぶもんとして所有しょゆうしている[6]。またミシュラン・パイロットチャレンジ英語えいごばんなどのエントリーシリーズも開催かいさいしている。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

IMSA GT選手権せんしゅけん

[編集へんしゅう]
1969ねんから2013ねんまで使用しようされた、IMSAのロゴ

IMSA GT選手権せんしゅけん発足ほっそくした1971ねんは6せんおこなわれた。当初とうしょ車両しゃりょう規定きてい国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)で規定きていされていたグループ2およびグループ4同様どうようのものであったが、やがて・GTO(排気はいきりょう2.5L以上いじょうのエンジンを搭載とうさいしたグランドツーリングタイプのくるま文字もじOの 「2.5L以上いじょう」の意味いみ)[7]。・GTU(排気はいきりょう2.5L以下いかのエンジンを搭載とうさいしたグランドツーリングタイプのくるま文字もじUは「2.5L未満みまん」の意味いみ)・TO・TUの4つに分割ぶんかつされた。

最初さいしょのチャンピオンは、ポルシェ・914/6 GTUのピーター・H・グレッグハーレイ・ヘイウッドだった。IMSAの初期しょきは、ポルシェ・911 カレラRSRシボレー・コルベット勝利しょうりすることがほとんどであった。翌年よくねんキャメルかんむりスポンサーとなり、シリーズは「キャメルGT」とばれるようになった。

1975ねんに、GTOでポルシェ優位ゆうい打破だはするために「AAGT」(オール・アメリカン・グランドツーリング)とばれるあたらしいカテゴリを導入どうにゅうした。

ターボチャージャーは、1977ねん中頃なかごろまでは認可にんかされていなかったが、アル・ホルバート優勝ゆうしょうしゃであり、2つのタイトルをもたらしたシボレー・モンツァ検査けんさのち、ポルシェのモータースポーツ部門ぶもん抗議こうぎにより、認可にんかされることとなった。1977ねん以前いぜんからポルシェを使用しようしていたプライベーターは、時代遅じだいおくれの911カレラRSR3.0であいだわせなければならず、ときにはかろうじて勝利しょうりすることもあったが、のAAGT出場しゅつじょうしゃとのあいだ苦戦くせんいられることとなった[8]

ターボ認可にんか結果けっか、1978ねんから「GTX」(グランドツーリング・エクスペリメンタル:FIAのさだめるグループ5もとにしたもの)としてられているあたらしいさい上位じょういのクラスはポルシェ・935絶対ぜったいてき優勢ゆうせいとなった。そのため主催しゅさいしゃがわツインターボ禁止きんしした。

勝利しょうり経験けいけんしたメーカーはマツダがある。マツダ・RX-2RX-3によりいく成功せいこうしたのちに、RX-7デイトナ24あいだレースで1982ねんから93ねんまで12ねん連続れんぞくでGTUクラス優勝ゆうしょうかざり、1980ねんから1987ねんまでGTUクラス(GTU:グランドツーリング・2リッター以下いかクラス)でマニュファクチャラーズタイトルを獲得かくとくした。RX-7は、IMSAレースにおいてほかのモデルのくるまよりもおおつづけ、1990ねん9がつ2にちに100しょうげ、1995ねんまでにIMSA合計ごうけい117しょうというかがやかしい戦績せんせきのこした[9]

また、トヨタガーニーフラップ考案こうあんしゃであるダン・ガーニーオール・アメリカン・レーサーズとジョイントし、1987ねんセリカでGTOクラスのタイトルを獲得かくとくした。

GTPクラス

[編集へんしゅう]
トヨタ・イーグル MkⅢ
日産にっさん・GTP ZX-T
GTPのデカール (1986-1993)

1981ねんには、あたらしいプロトタイプカテゴリー「GTP」が登場とうじょうした。このくるま世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(WEC)で導入どうにゅうされたあたらしいグループC規定きてい類似るいじしたものであるが、2つのカテゴリのおもちがいは、燃料ねんりょう使用しよう総量そうりょう規制きせいされたグループCとことなり、GTPは燃費ねんぴについて規制きせいかったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランをているのではない」と強調きょうちょうした[10]ほかにも、GTPはガソリンタンク容量ようりょうが20リッターおおい120リッターであったことや、ツインターボ禁止きんしされていたことなどがグループC(C1)とことなる。

1984ねんにはポルシェ・962導入どうにゅうされ、1985ねんから1987ねんまでシリーズを支配しはいした。この当時とうじのIMSA-GTPシリーズには、ポルシェのほか、ザクスピード製作せいさくのフォード・プローブGTP、グループ44製作せいさくジャガー・XJR-7マーチ製作せいさくBMW-GTPローラ製作せいさくのコルベットGTP(T610)、日産にっさん・GTP(T810)が参戦さんせんし、世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん上回うわまわ盛況せいきょうほこった。

1988ねん、WSPCを制覇せいはしたTWRジャガー参戦さんせん、IMSA-GTPは益々ますます激戦げきせんとなる。しかしポルシェにわり王座おうざいたのは、エレクトラモーティブはしらせる日産にっさん・GTP ZX-Tであった。IMSAしん記録きろくの8連勝れんしょうふく参戦さんせん12戦中せんちゅう9しょう圧倒的あっとうてきつよさで、ジェフ・ブラバムがドライバーズタイトルを獲得かくとくする。しかしクラシック耐久たいきゅうデイトナ24あいだセブリング12あいだへの欠場けつじょう、および台数だいすうのハンデのため、メイクス部門ぶもんはポルシェにタイトルを死守ししゅされる。

しかしよく1989ねん以降いこう3年間ねんかんはジャガー、ポルシェ、トヨタからの追撃ついげきをかわし、日産にっさんがシリーズをりょう部門ぶもんとも制覇せいはする。

一方いっぽうでトヨタは1991ねん終盤しゅうばんイーグル・MkIII投入とうにゅう。このマシンはたか戦闘せんとうりょく発揮はっきして1992ねんにダブルタイトルを獲得かくとく、1993ねんにはデイトナふくめ、出場しゅつじょうしたレース全勝ぜんしょうでタイトルを連覇れんぱした。しかし1991ねんFIAスポーツカー世界せかい選手権せんしゅけんF1振興しんこう目的もくてき軽量けいりょうシャシー(ハイコストなカーボン前提ぜんてい)に3.5L NAエンジン(F1参画さんかく前提ぜんてい)を発表はっぴょう、これがコストはもちろん、かくメーカーのアイデンティティの象徴しょうちょうである自社じしゃせいエンジンが使つかえない、ということでのメーカー次々つぎつぎ撤退てったい。もちろんIMSAにもし、1993ねんでGTPクラスは終焉しゅうえんむかえた。

WSCクラス

[編集へんしゅう]
ライリーアンドスコット・MkⅢ

コストの上昇じょうしょうとメーカーけいワークス・チーム離脱りだつにより、シリーズへの出場しゅつじょうチームが減少げんしょうしたのにともない、IMSAは1993ねんにWSC(ワールド・スポーツカー)とばれるしんプロトタイプカテゴリーを導入どうにゅうし、翌年よくねんよりGTPクラスおよびGTPライトクラスのクローズドボディの車両しゃりょうえることとした。WSCよう車両しゃりょうはオープントップ、フラットボトムの車両しゃりょうで、GTPよう車両しゃりょうがレース専用せんよう製作せいさくされたエンジンを搭載とうさいするのにたいして、量産りょうさんしゃようのエンジンをチューニングしたものを搭載とうさいした。そのフェラーリ・333SPライリーアンドスコット・MkⅢオールズモビル/フォード)が、1995ねんから1998ねんわりのIMSAの終焉しゅうえんまで、WSCクラスの主要しゅようなマシンとなった。

1987ねんにビショップは心臓しんぞう手術しゅじゅつ成功せいこうしたのち自分じぶん優先ゆうせん事項じこう再考さいこうはじめた。かれIMSA セントピーターズバーグGP所有しょゆうしゃであるマイクコーンと、ジェフパーカーから連絡れんらくけた。

1989ねん1がつ、ビショップとフランスはシリーズをコーンとパーカーに売却ばいきゃくし、ビショップは会長かいちょう辞職じしょくした。あたらしいオーナーは、IMSA本部ほんぶコネチカットからタンパベイ移転いてんした。そのコーンとパーカーはシリーズをビジネスマンのチャールズ・スレーターに売却ばいきゃくした。

1996ねん、チャールズ・スレーターは組織そしきをロベルト・ミュラー(リーボックもとCEO)とウォうぉル街るがい金融きんゆう業者ぎょうしゃインディカーのチームオーナーで、スカンディアWSCチームのオーナードライバーでもあったアンディ・エバンス売却ばいきゃくした。エバンスはIMSAから、プロフェッショナル・スポーツカー・レーシング(PSCR)に名称めいしょう変更へんこうした[11]

1990年代ねんだいのシリーズは複数ふくすう所有しょゆうけん交錯こうさくした状況じょうきょう、およびPSCRへの改名かいめいと、変化へんかんだものとなった。

アメリカン・ル・マン・シリーズ

[編集へんしゅう]
2008ねん ラグナセカ ポルシェ・RSスパイダー
2009ねん アキュラ・ARX-02

1998ねんドン・パノスル・マン24あいだレース主催しゅさいしゃであるフランス西部せいぶ自動車じどうしゃクラブ(ACO)と提携ていけいし、自身じしん所有しょゆうするロード・アトランタプチ・ル・マン開催かいさいし、1998ねんのIMSA GT選手権せんしゅけんの1せんとしてはつ開催かいさいのプチ・ルマンの成功せいこうさせた。1998ねんかぎりでIMSA GT選手権せんしゅけん終了しゅうりょうとなり、翌年よくねんからしんシリーズの、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)が開催かいさいされた。ACOは、創設そうせつしゃのドン・パノスにル・マンの名前なまえをライセンス供与きょうよし、ル・マンのレギュレーションに沿った車両しゃりょうによるシリーズを創設そうせつした。チームオーナーと経営けいえいじんからの多大ただい重圧じゅうあつけていたアンディ・エバンスは、PSCRを2001ねんにドン・パノスに売却ばいきゃくした[11]。これにより1999ねん以来いらい、PSCRによって認可にんかされていたALMSを、パノスによる体制たいせいかためた。パノスは組織そしきめいふたたびIMSAに改名かいめいし、ALMS、スター・マツダシリーズ、パノス・GTプロシリーズの公式こうしき認可にんか組織そしきとなった。ALMSはル・マン24あいだレースにもとづいた規制きせい使用しようしているが、2005ねんにパノスがわとACOとの関係かんけい問題もんだいしょうじた。

ALMSとACOのあいだには関係かんけい開始かいし以来いらいいくつかのてんにおいて意見いけん相違そういられ、この紛糾ふんきゅうもあってエントリーすう予想よそうよりもすくなくなってしまった。 これをけてALMSは、エントリーを増加ぞうかさせるため、ACOの規則きそく適合てきごうしない車両しゃりょうが2005ねんシーズンに参戦さんせんすることを、ACOの意向いこうはんして決定けっていした。これによりポルシェが元々もともとプライベーターけのカテゴリー設計せっけいだったLMP2クラスの有利ゆうりさにき、トップカテゴリーではなくLMP2(ポルシェ・RSスパイダー)で復帰ふっきし、総合そうごう優勝ゆうしょうあらそうマシンとしてだい活躍かつやくした。さらに2006ねんにはいくつかの新型しんがたのシャシーが参戦さんせん可能かのうになることが告知こくちされると、ALMSが再興さいこうするのではないかという楽観らっかんてきなムードにつつまれたが、結局けっきょくそれほどおおきな効果こうかはなく2010ねんをもってポルシェはLMP2から撤退てったいした。

グランダム・シリーズ

[編集へんしゅう]
2012ねん ロードアメリカ コルベット・DP

1998ねんからPSCRからわかれ、USRRCというスポーツカー・クラブオブ・アメリカ(SCCA)の認可にんかけ、アメリカンスタイルのカーレースを維持いじしたいとかんがえた競合きょうごうするグループによって結成けっせいされたシリーズは、1999ねん失敗しっぱいわった。つぎNASCARジム・フランスから全面ぜんめんてき支援しえんけてグランド・アメリカン・ロードレーシング(グランダム)を設立せつりつ、2000ねんから、ロレックス・スポーツカー・シリーズ(グランダム・シリーズ)を運営うんえいした。グランダムは初期しょきのころは苦戦くせんしていたが、のち有名ゆうめいなドライバー、広大こうだいなフィールド、僅差きんさでの勝負しょうぶ安価あんか参戦さんせんコスト、さらにはデイトナ24あいだレースようしているなどのてんから、ALMSにたいする強力きょうりょくなライバルとして存続そんぞくした。2003ねん導入どうにゅう当初とうしょデイトナ・プロトタイプ規定きていじょうみにくいスタイルだったが改定かいていされ、コルベット・DP代表だいひょうされるアイデンティティのあるうつくしいマシンに変貌へんぼうした。またGTクラスでは北米ほくべいマツダとジョイントしたスピードソースチームのRX-8活躍かつやく。デイトナ24あいだでは2のクラス優勝ゆうしょうった。しかしチャンプカーインディ・レーシング・リーグ(IRL)との分裂ぶんれつ状態じょうたい同様どうように、このような分裂ぶんれつ状態じょうたい観客かんきゃくすう、スポンサー、マスコミの報道ほうどう劇的げきてき減少げんしょうこし、アメリカの耐久たいきゅうレース文化ぶんかおおきな悪影響あくえいきょうおよぼした。

ユナイテッド・スポーツカー選手権せんしゅけん

[編集へんしゅう]
2015ねん リジェ・JS P2-ジャッド

以後いご北米ほくべいのスポーツカーレースシリーズは、ALMSとグランダム・シリーズという2つのシリーズが併存へいそんする状況じょうきょうながつづいていたが、ドン・パノスジョージアしゅうブラゼルトン拠点きょてんとするALMSをグランドダム・ロードレーシング売却ばいきゃくし、それをNASCAR直接ちょくせつ所有しょゆうし、ALMSとグランダム・シリーズの合併がっぺい支援しえんした。2012ねん9月にりょうシリーズの主催しゅさいしゃ2014ねんからシリーズを統合とうごうすることで合意ごうい[12]2013ねん3月、「ユナイテッド・スポーツカー・レーシング」の発足ほっそく発表はっぴょうした[13]同年どうねん9がつにはしん名称めいしょうが「ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ」(以下いかUSCC)となることが発表はっぴょうされた[14]。IMSAはNASCARの子会社こがいしゃとしてしんシリーズを主催しゅさいする。

2014ねんチュードル、2016ねんからはウェザーテック英語えいごばんがタイトルスポンサーとなっており、ユナイテッドをはぶいて【かんむりスポンサー】+スポーツカーチャンピオンシップとぶのが一般いっぱんてきである。IMSAのLMP1とグランダムのGXクラスは廃止はいしされ、デイトナ・プロトタイプLMP2こんはしするPクラスが頂点ちょうてんとなり、IMSAのLMPC・GTクラスがそれぞれPC・GTLMクラス、IMSAのGTCとグランダムのGTが統合とうごうされGTDクラスとなった。

さらに合併がっぺいともなドイツツーリングカー選手権せんしゅけん(DTM)とも車両しゃりょう規定きてい統一とういつすることで合意ごうい、2015ねんまたは2016ねんにDTMスタイルのレースをUSCCと併催へいさいするかたち開催かいさいする予定よていであると発表はっぴょうされた。これにより予定よていされているこのレースにDTMや2014ねん車両しゃりょう規定きてい統合とうごうまっているSUPER GTのGT500クラスの車両しゃりょう参戦さんせんできるようになり、最終さいしゅうてきには3選手権せんしゅけんのグローバルはかられる見込みこみであったが、[15]のちにこれらはすべ白紙はくし撤回てっかいされた。

2018ねん アキュラ・ARX-05

2017ねんにPCクラスが廃止はいしされ、プロトタイプのPクラス(2019ねんよりLMP2クラスが分離ぶんり)、LM-GTE車両しゃりょうのGTLMクラス、GT3車両しゃりょうのGTDクラスにかれており、LMP2、GT-LMマシンはWEC/ル・マン共通きょうつう車両しゃりょう参戦さんせんすることが可能かのうになっているため、欧州おうしゅうからの有力ゆうりょくチーム・ドライバーの参戦さんせん増加ぞうかしている。またPクラスはデイトナ・プロトタイプ廃止はいしされ、従来じゅうらいのLMP2にくわえて、LMP2のシャーシをベースにメーカーが改造かいぞうほどこすDPi(デイトナ・プロトタイプ・インターナショナル規定きていが2017ねん導入どうにゅうされ、これにキャデラック日産にっさんマツダ参戦さんせん。またアキュラも2018ねんにDPiに参入さんにゅうし、隆盛りゅうせいきざしをせている。

2020ねん独自どくじプロトタイプ規定きていである『LMDh』を発表はっぴょうした。IMSAとFIA・ACOの合意ごういによりLMH(ル・マン・ハイパーカー)/LMDh規定きていのマシンがル・マン24あいだレースデイトナ24あいだレースなどに相互そうご参戦さんせんすることがみとめられている[16][17]

LMDhで2023ねんよりIMSAに、ポルシェ[18][19]アキュラ[20]BMW[21]キャデラック[22]参戦さんせん表明ひょうめいしている。

2021ねん、IMSAは2022ねんシーズンのどうシリーズにGTデイトナPro(GTD Pro)クラスをあらたに導入どうにゅうすることを発表はっぴょうした。FIA-GT3マシンあらそわれるこのクラスは、GTEカテゴリーでオールプロが基本きほんとなる現行げんこうのGTル・マン(GTLM)クラスをえることになった[23]

認可にんかされたシリーズ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ えい: Sports Car Club of America
  2. ^ えい: John Bishop
  3. ^ えい: Peggy Bishop
  4. ^ えい: William France Sr.
  5. ^ IMSA At 50: Part One, Overview & The 1970s – dailysportscar.com”. www.dailysportscar.com. 2019ねん6がつ28にち閲覧えつらん
  6. ^ @bobpockrass (2019ねん10がつ20日はつか). "@DrewPalmquist IMSA Holdings is a division of NASCAR". X(きゅうTwitter)より2019ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  7. ^ IMSA blog: Do you want to know about GT racing in the 70s”. Alex62.typepad.com (2006ねん1がつ6にち). 2011ねん7がつ17にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ2014ねん6がつ23にち閲覧えつらん
  8. ^ 930 to 935: The Turbo Porsches, John Starkey, Renwick & Starkey Ltd. ISBN 0-9665094-1-2
  9. ^ マツダのルマン24あいだレース優勝ゆうしょうへのながみちのり(その2)”. くるまひょうオンライン(三樹みき書房しょぼう). 2017ねん8がつ24にち閲覧えつらん
  10. ^ Prototypes: The History of the Imsa GTP Series
  11. ^ a b Smotherman, Mark (2007ねん6がつ24にち). “Selected Sports Car Racing History:1997 shakeup in US”. 2008ねん1がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ ALMSとグランダムが統合とうごう北米ほくべいスポーツカー統一とういつ - オートスポーツ・2012ねん9がつ6にち
  13. ^ 14ねんから『ユナイテッド・スポーツカー』誕生たんじょう - オートスポーツ・2013ねん3がつ15にち
  14. ^ USCRのタイトルスポンサーにチュードル決定けってい - オートスポーツ・2013ねん9がつ17にち
  15. ^ DTM、グランダムと合意ごうい北米ほくべいでDTMレース開催かいさい,オートスポーツWeb,2013ねん3がつ27にち
  16. ^ IMSAとWECがプロトタイプカーのしんカテゴリー、LMDh導入どうにゅう発表はっぴょう - motorsport.com 2020ねん1がつ25にち
  17. ^ IMSA&WEC:“LMDh”規則きそく詳細しょうさい発表はっぴょう。ハイブリッドシステム供給きょうきゅうメーカーもあきらかに - オートスポーツ・2020ねん9がつ19にち
  18. ^ ポルシェが2023ねんからLMDhプロトタイプでふたたびル・マン24あいだレースに参戦さんせんへ、トヨタに強敵きょうてき出現しゅつげん!【モータースポーツ】 - Webモーターマガジン・2020ねん12月17にち
  19. ^ チーム・ペンスキーがポルシェ・ワークスとしてWEC&IMSAに参戦さんせん。2023ねんからLMDhで”. autosport web. 2021ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  20. ^ アキュラが2023ねんからのLMDh参戦さんせん正式せいしき表明ひょうめい/IMSA”. autosport web. 2021ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  21. ^ BMWが最高峰さいこうほうプロトタイプレース復帰ふっき確認かくにん。2023ねんからLMDhプログラム開始かいし”. autosport web. 2021ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  22. ^ キャデラックが2023ねんから『LMDh-V.R』でLMDhカテゴリーに参入さんにゅう。IMSAとル・マンに参戦さんせん”. autosport web. 2021ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  23. ^ 事実じじつじょう崩壊ほうかいのGTLMにわり、GTD Proクラスが2022ねん誕生たんじょう/IMSA”. autosport web. 2021ねん1がつ29にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]